幼馴染の作った飯を食う

「おかえり」


 故郷の村に帰った俺を出迎えてくれたのは、気心の知れた幼馴染だった。


「……ただいま、ミリー」


 日に焼けた小麦色の肌に、人懐っこい大きな瞳。陽の光を浴びてキラキラと輝く髪は白にも金にも見える。

 年を取って少女から女性になってはいたけれど、昔と変わらない柔和な笑顔のミリーは昔から一緒に育った幼馴染だ。


「これからはずっと村にいるんだ?」

「……そのつもり」

「あたしといっしょだ」


 俺とミリーは、俺の方が一つ年上でほとんど兄妹みたいに一緒に過ごしてきた。家が隣同士だったということもあって、小さい頃はよく俺がミリーの面倒を見ていたと思う。

 隣同士とはいっても田舎の村の隣なんていうのは、町で言えば間に家が何軒も建つくらいの距離ではあるんだけど。その家と家の間には畑だったり家畜の飼育場所だったりがあったりする。田舎なんて大体そんなもんだ。


 ミリーの家は故郷の村の唯一の宿屋だった。うちの故郷は田舎とはいえ大きな町に繋がる街道沿いにあることもあって、宿屋にはそれなりに旅の人が泊っていく。

 だから日中は結構忙しくて子供の面倒が見れないから、そういう時には俺の家にミリーを預けていっていた。


 そんなんだから、俺とミリーはお互いのことで知らないことは無いんじゃないかってくらい近くで育った。他にも村には同年代の男女の子供はいたけど、幼馴染って言えるのはミリーくらいだと思う。

 小さな頃のミリーは泣き虫で、よく周囲の大人や俺に甘えてくる子供だった。


 ちょっとしたことですぐ泣いたり、難しいことがあったら大人にやってもらったり。かといって別に嫌なことから逃げ出すような性格でもなくて、その辺りは上手に折り合いを付けながら過ごしていたように思う。

 俺は俺で心配性というか過保護というか、ミリーが泣くたびにミリーに駆け寄ってはあやしていた。


 幼馴染の男女なんていうのはともすれば甘酸っぱい関係になったりするものだと物語の中では語られたりするけど、子供の頃の俺とミリーの関係はまさしく「兄と妹」だったからそんな関係になることも、雰囲気になることもなかった。

 それでも両親を除けば一番信頼し合っていたのもミリーと俺だったのも確かで。


 だから、俺が村を飛び出して冒険者になるってわがままを言った時も、周囲の人間はこぞって反対したのにミリーだけは応援してくれて。


『いつでも帰ってきなよ。待ってるからさ』


 って。

 その一言で心がすっと軽くなったのを覚えている。


 そうして俺は村を飛び出して冒険者になって、そしてあのことがあって心がぽっきりと折れてしまって。

 なんだか心が空っぽになった気がしながら故郷に帰った時に、俺を一番に出迎えてくれたのがミリーだった。






 故郷に帰ってからしばらくの間、俺は何をするにしても上手にできなかった。何かをしようとしても全然手に付かなくて、実家の畑の種蒔きすら満足にできなかった。

 幸い俺の両親はまだまだ壮健で俺がいなくても畑仕事をすることに支障はないけど、だからといって何もせずにただ飯食らいのままでいるのは忍びない。


 それに、俺は両親にどうして故郷に帰ってきたのか詳しいことを話していなかった。ただ端的に「冒険者を辞めた」ということだけを話して、それ以降のことは口をつぐんでしまっていた。

 両親はそんな俺の様子に気を使ってくれてそれ以上のことを聞いてこようとしなかった。だから俺は申し訳なくて何かをしようとするんだけど、それが上手くいかない。


 別に体の問題じゃない。怪我は治っていて、普段の生活を過ごす分には何の支障もない。でも「何かをする」っていうことがなんとなく上手くできない。なんとなく取りこぼしてしまう。なんとなく失敗してしまう。そんな状態だった。

 こんなのでは両親にも、周りの人にも迷惑をかけてしまう。ただでさえわがままを言って村を飛び出した俺をこうしてまた受け入れてくれているのに、これではどうしようもない。


 そう思ってはいるんだけど、ぽっきり折れてしまった心は中々すぐには以前のように戻ってはくれない。

 何かをしなければいけない。でもうまくいかない。何かをしなければいけない。どうしても上手にできない。


 その繰り返しで日々精神をすり減らしていた俺を見かねたのか、ある日ミリーが俺を実家から連れ出して自分の家の宿屋の食堂に座らせた。


「なんかいろいろ思い詰めてるみたいだけど、あんまり考えすぎるのもよくないよ。あたしの作った料理でも食べて気分転換でもしたら?」


 そう言ってミリーは俺の前にたくさんの料理を並べた。

 鶏肉の香草焼きとか、卵のスープとか、小麦を使った柔らかいパンとか、その他にもいろんな料理があって、こんな田舎で食べるには結構なご馳走だ。


「いや、ありがたいけど……もったいないよ、こんな豪華な料理」

「いいから黙って食べなさい。気分が落ち込んでる時は美味しいご飯食べて体動かして思いっきり寝るの。難しいこと考えんな」

「……ありがとう」


 そうお礼を言って、用意してくれたナイフとフォークを手に取って料理を食べ始める。

 鶏肉の香草焼きは、ナイフで切り分けると中までしっかりと火が通っていて、それでいて鶏肉の肉汁がじゅわっと溢れ出てくるくらいジューシーだ。香草の香りづけもスパイシーながらしつこくない香りで、鼻を抜けて直接お腹に殴り込んでくるかのようだった。


 それでいてお肉自体はさっぱりとした味わいで、これだけ肉汁が出ているのに胃もたれすることもない絶妙な匙加減だった。

 卵のスープは、溶いた卵とネギ、それと薬味のシンプルなスープだった。シンプルながら味はしっかりとついていて、ホッと一息つくような温かさがあった。鶏肉で溜まった油をスープで流し込めば、いくらでも食べれてしまいそうだ。


 そしてそれらをさらにおいしく食べるための主食であるパンは、外側が茶色の焼き色がついていて、内側が真っ白な柔らかい小麦のパンだった。冒険者なんていうのは普段日持ちがする黒い固いパンが主食だったりするから、こういう白くて柔らかくて甘い小麦のパンはめったに食べない。

 味は文句なしに美味しかった。鶏肉の邪魔もしない。そのまま食べても美味しい。スープに漬けたっていい。これぞ主食という味わいで、これなら毎日食べたって絶対に飽きないだろうという食感と味だった。


「――美味い。美味いよ、ミリー」

「あたりまえよ。なんせこのあたしが作ったんだから」

「本当に――美味い」


 気付いたら俺はぽろぽろと涙をこぼしていた。本当に無意識で、全く泣くつもりなんてなかったのに。

 ミリーの作ってくれた料理が美味しくて、温かくて、俺の心までなんだかあったかくなって、それで……。


 泣きながら料理を食べる俺をミリーは何も言わずに見守ってくれていた。昔はミリーがよく泣いて俺に甘えてきていたのに、これじゃどっちが兄で妹かわからなくなってしまう。

 とても美味しいのに、なんだかしょっぱく感じる。そんな料理を、俺は手を休めることなく食べていった。






「たぶん浮気してたんだと思う。もう確かめようがないけど」

「ふーん。ま、人の心なんてどうなるかわかんないもんだしね」


 料理を食べ終わったあと、俺はぽつりぽつりとミリーにこれまでのことを話していた。

 村を出て冒険者になったこと。冒険者として一生懸命に過ごしていたこと。初めての恋人ができたこと。もっと上に行きたくて教育してもらっていたこと。彼女の心が離れているみたいに感じて、がむしゃらだったこと。ダンジョン内で起きたこと。


 ゆっくりとだけど、一つ一つ話していった。涙は止まっていたけど、そもそもこんな話を他の人にしたのは初めてだったから話を整理しながらしゃべるのが大変で、とても聞きづらかったと思う。

 それでもミリーはそんな俺の話を真剣に聞いてくれて、時には相槌を打ってくれて、時には感想を言ってくれたりしてくれて。


 そうやってミリーが話を聞いてくれたおかげで、俺はあの出来事があってから初めて心がすっきりした。肩の荷が降りたような、胸のつっかえがとれたような、そんな感じだ。

 俺のそんな気持ちは顔に出ていたのか、俺が話し終わるとミリーは一言「お疲れ様」と声をかけてくれた。


 そう声をかけてもらって、俺は初めて自分が疲れていたんだと自覚した。体が疲れていたんじゃない。心が疲れていたんだって。

 だから何をしても上手くいかないし、気力も湧かなかったんだ。そんなことすらわからないほど疲れて、でもミリーはたぶんそれをわかってくれていた。


「ミリーはどんなふうに過ごしてたんだ?」


 気付けば俺はミリーにそんなことを聞いていた。

 心にゆとりができて、他人の話を聞ける余裕ができたんだと思う。


 俺のそんな質問に、ミリーは笑いながら答えてくれた。


「この宿屋の手伝いをしながら過ごしてたよ」

「ちょっとだけ町に料理の修行に出させてもらったり」

「宿で旅人の話を聞くのも料理をするのも好きだから、それなりに楽しく過ごしてたわ」


 なんて話から、こんな話まで。


「前に『いい加減嫁に行くか婿を貰ってこい』って言われてしぶしぶ近くの村の男とお見合いしたんだけど、相手がこれでもかってくらい上から目線の偉そうなやつで、なんでうちとそんな変わらない田舎の男にこんな態度とられなきゃならないんだ! って怒ってぶっ飛ばしちゃった。もちろんお見合いは破談だし、その後から親から結婚しろって言われなくなっちゃった」


 ミリーのそんな話を聞いて、俺は久しぶりに声を上げて笑ったのだ。






 ミリーの料理を食べてから、俺は人並みに仕事ができるようになった。実家の畑仕事も、村での頼まれごとも。何かやろうとしても上手くいかなかったのが嘘みたいに、しっかりと仕事をこなせるようになっていた。

 それもこれも、美味い料理とミリーのおかげだ。いや、料理もミリーが作ってるんだから、全部ミリーのおかげか。


 あの日以来俺はちょくちょくミリーのいる宿屋に顔を出しては、ミリーの料理を食べさせてもらっていた。本当なら宿の食事として提供する料理だし、それでなくてもタダで食べさせてもらうのも忍びないからお金を払おうとしたんだけど、ミリーはそれを受け取ってくれなかった。


「あたしが食べさせたいから食べさせてるだけだし」


 そう言って笑うミリーを見て「これは受け取ってくれないな」と思ってお金を渡すのを諦めたけど、それはそれとして食べさせてもらうたびに渡そうと思っていたお金を貯めていた。これは何かの折にミリーに使ってもらうための貯金だ。

 ミリーの料理は相変わらず美味しくて、俺はいつも舌鼓を打ちながら満腹まで食べさせてもらっていた。


 ミリーの料理の評判は結構広まっているらしくて、ミリーの料理を食べるためにわざわざこの村に泊まりに来る旅人もいたりするくらいだ。

 でも、それも納得できるくらいミリーの料理はおいしい。


 俺が今こうして普通に過ごせているのはミリーのおかげだ。

 俺はいつかミリーに恩返しがしたい。でもこんなことを直接ミリーに言うと「そんなことしなくていいって!」なんて言われてしまうだろうから、ミリーには言わないでおいた。


 ミリーと過ごしていると楽しいし、ミリーのことを考えると不思議と心が温かくなる。


「ミリー。何か手伝えることはあるか?」

「えー? じゃあ外から野菜運んできてもらおっかな!」


 そうして穏やかな日常を送っていたある日のことだった。

 村に一匹のモンスターが現れたのは。






「戦えない人はさっさとモンスターがいる方とは逆の方に避難して! 特に女性と子供を優先して! 早く!」


 大声で声を上げながら村人への非難を促す。

 現れたモンスターは一匹だけだった。おそらく群れからはぐれて、何もないところで突然湧き出てきたのだろう。餌を求めてさ迷い歩いて、それでこの村にたどり着いたのだ。


 牛のような頭をもって、蜘蛛のような足を持つ異形のモンスターだった。大柄の成人男性よりさらに一回りくらい大きい。

 普通はこんな村までモンスターがやってくることなんて無い。ダンジョンから出てくるモンスターは即座に駆除されるし、町の外の野生のモンスターは冒険者や軍が逐一駆除していっている。


 だから本当に運が悪かった。それだけの話なんだ。

 もう村の人が近くの町に助けを呼びに行っている。でも助けが来るまでにはそれなりに時間がかかる。だからそれまでの間、あのモンスターをどうにかする必要があった。


 この村に冒険者なんていない。そんな経験があるのも俺だけだった。その日の宿の旅人にも残念ながら冒険者はいなかった。つまり、俺がどうにかするしかない。

 まともな武器なんて村にはない。俺だって冒険者を辞める時に全部売ってきたからそんなもの持っていない。


 でもどうにかしなきゃいけない。何もせずに放っておいたら村が荒らされてしまうのは目に見えている。

 だから俺は畑仕事に使う用の鍬を手に取ってモンスターの前に立ったのだ。


「はっ……はっ……」


 モンスターの前に立った俺は、恐怖で呼吸が浅くなっていた。全身から冷汗も滝のように流れていた。

 冒険者をやっていた時にこのくらいのモンスターは相手にしたことがある。倒したことだってある。でもその時はネルとパーティを組んでいた時で、ちゃんとした武器も持っていた。


 今の俺は一人だ。手に持っているのだってただの鍬だ。こんなので倒せるわけがない。

 それに――こんな時に。いや、こんな時だからか。俺の脳裏には、あの時の光景がフラッシュバックしていた。


 アキラをかばってモンスターに八つ裂きにされるネル。それを見てモンスターに突っ込んで串刺しにされるアキラ。そしてその場から逃げ出した俺。

 悪夢のような現実にあった光景が、確実に俺の神経をすり減らしていっていた。


 手は震えるし、視界は狭くなる。できれば今すぐ逃げ出したい衝動にだって駆られている。

 そんな状態でまともにモンスターの相手なんかできるわけがない。牛頭の角をかわして、蜘蛛の足先を受け流しているだけで精いっぱいだ。


 でもそんなの長く続くはずがない。だって俺は才能のない普通の人間だから。物語の英雄なんかじゃない、ただの村人だ。

 限界を迎えるのなんて時間の問題だった。むしろ良く持った方だと、自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。


 どれだけ時間を稼げただろうか? もう助けを求めに行った人は町に着いただろうか? 村人はみんな避難できただろうか? 村の家とか小屋とかが壊されるのは……多少は仕方ないかな?

 お前はよくやったよ。ただの村人がモンスターを相手に、鍬で粘ったんだから。心の折れた冒険者崩れにしては上出来だよ。


 俺が村に戻ってきたのは、この瞬間のためだったのかもしれない。この少しの間の時間稼ぎのために、俺は村に戻ってきたのかもしれない。

 でもそれでいいじゃないか。この時間稼ぎで救われる人がいるなら、それはよくやったって誇っていいじゃないか。


 そんな諦めの気持ちが俺の心を支配しかけていた。生きることを半ば諦めていた。もとよりあのダンジョンを生き残ったのが奇跡だったのだ。元々あそこで死んでいたのだ。それが何の因果か今日まで生き延びてしまっただけのことだったのだ。

 だから、俺はここまで。残される両親が心配だけど、どうにかしてくれるはずだ。


 ミリーのことだけが心残りだ。ミリーのおかげで立ち直れたのに、まだそのお返しが全然できていない。俺の一生を使ったってよかったのに、その俺の一生はここで終わってしまう。

 ごめんな、ミリー。あの世で詫びておくよ。


 そんなことを考えていたから、俺は気付かなかった。生きることを諦めていたから、ただモンスターに視線を向けていただけだったから。

 俺の命を刈り取るためにモンスターが足を振り上げた時に、俺とモンスターの間に入り込む人影に。


「ミリー!」

「バカ! 何諦めてんのよ!」


 モンスターの足は振り上げ切ってしまっていて、今更逃げ出すこともできない。

 俺をかばってモンスターの前に立ち塞がったミリーの肩は小刻みに震えていて。


 その光景を見た瞬間、俺の脳裏を駆け巡っていたあの時の光景がすっと消えていった。靄が晴れるように、明瞭に。

 俺は冒険者じゃない。ましてや物語に出てくる英雄でもない。田舎の村の農夫の息子で、心がぽっきり折れてしまったただの凡人だ。


 でも、そんな俺でも、幼馴染の女の子一人。俺の恩人一人。俺の――俺の一生を捧げてもいいと思った人一人守れない男でありたいわけじゃない。あっていいはずがない。

 たくさんのものは守れない。でもこの手の届く、目の前の大切な人だけは何としてでも守りたい。


「――下がってろ!」


 咄嗟にミリーを後ろに突き飛ばした。握っていた鍬が折れる音が響いた。視界が真っ赤に染まった。

 それでも、折れた持ち手の先端をモンスターに突き立ててやった。ざまーみろだ。


「いやあぁぁぁぁ!」

「だい、じょうぶか……ミリー……」


 そこで俺の記憶は途切れた。最後立っていたのか、倒れていたのかも覚えていない。

 目に焼き付いたのは、俺を見て泣き叫ぶミリーの悲痛な顔だけだった。

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