第13話 解決編 part4

 気づけば外は夕焼けに染まっていた。

 校舎裏。


 見上げれば文芸部室の開け広げられた窓。目の前には、さほど手入れがされていないであろう花壇。そしてそのすぐそばには、手のひらの上に黒いUSBを載せた葵の姿。


「あった」


 ということは、少なくともトリックの部分においては葵の推理通りだったというわけだ。


「天音さん。パソコンの準備をお願い」

「……あの。良いんでしょうか?」

「なにが?」


 なにがってなんだ。わかってるくせに。さすが姫野葵、ふてぶてしい。


「USBの中身を安岐くんの許可なしに見てもいいのかということです」

「そりゃあダメだろうけれど。バレなきゃ問題ない」


 クソ倫理観すぎる!


「……」


 とは言うが、かくいうわたしも件のUSBの中身が気になって仕方がない。

 なぜ、安岐くんは学校にUSBを持ち込んでいたのか。なぜ、安岐くんは天音さんからUSBを盗んでまで、中身のデータを隠そうとしたのか。なぜ、きーちゃん……じゃなくて高坂さんは、その安岐くんの犯行に協力したのか。二人をそうまでさせてしまう、USBの中身のデータは一体なんなのか。


 ここまで来てこの事件の出発点であるUSBの中身についてなにも分からないままなんて、わたしにはとてもじゃないが耐えられない。


「……」


 葵にそんなダメダメなことを言われた透子ちゃんは、俯き押し黙っていた。

 あの反応。


 恐らく、透子ちゃんもわたしと同じで安岐くんに申し訳なさはあるけど、好奇心の方が勝ってしまっているのだろう。でも、責任感の強いしっかり者の透子ちゃんまでそう考えているのは、なんだか少しだけ意外だ。


 とはいえごめんね安岐くん。彼には今度、こっそりとお詫びにフィナンシェを作ってあげようとおもう。この前の休日に妹と一緒に作ったのだ。なかなかの出来だったので、きっと安岐くんも喜んでくれることだろう。


「異議はなくなったようだし、中身を見るよ」

「うん」「はい」


 わたしたち三人は、そばにあったベンチになかよく並んで腰かける。透子ちゃんが立ちあげていたパソコンを真ん中に座った葵が受け取り、太ももにのせる。そしてパソコンの側面にある端子の差込口に、安岐くんのUSBを差し込んだ。


『小説未題:ヒロイン天音透子 2024/04/×× テキストドキュメント 1KB』


「……あまね、とうこ?」

「……なんで私の名前が?」


 ヒロイン天音透子。そんな名前のテキストファイルが、画面には表示された。

 ……はて。これはどういうことだろうか。安岐くんは小説のヒロインに透子ちゃんを起用していて、それが恥ずかしくてバレたくなかった、とか?


 うーん。一応筋は通るけどそれだと高坂さんの動機と、なぜ安岐くんが学校にUSBを持ち込んでいたのかがわからないままで、なんだか釈然としない。それに安岐くん、さっきわたしのことを見てた時、小説のヒロインの参考になる、だとかなんとか言ってたし。透子ちゃんを自作の小説に登場させていた事実を、USBを盗んでまで隠したかったなら、そんなことは嘘でも冗談でも言わないと思うんだよね。


「……」


 答えを求めるようにして、隣の葵を見やる。すると彼女は、なにかに驚いたように一瞬だけ目を丸くして、ぱたんとノートパソコンを閉じた。


「……?」

「なるほどね」

「どうかした? もしかして、なにかわかったの?」


 葵はパソコンを透子ちゃんに返し、こくりと頷く。


「ただまあ、やっぱりなんの根拠もないし私の想像の域を出ないんだけれど。それでもいいなら」

「うん」「ぜひ、お願いします」

「じゃあ」


 葵は、黒いUSB を長い人差し指と親指でつまんでみせ、


「これ、高坂さんが安岐くんに執筆依頼した小説なんじゃないかな」

「……執筆依頼? それは、高坂さんは部誌の原稿を面倒くさく思っていて、安岐くんに代理の執筆、いわゆるゴーストライターを依頼していたということですか?」


 ……はえ~。なるほど。


「……確かにそう考えると高坂さんが安岐くんに協力していたのも、安岐くんがUSBを盗んでまで隠蔽したかったのにも頷けるな。二人ともそれぞれ、ゴーストライターを依頼していたこと、不正に加担していたことがバレたくなかったんだ。それに、なんで安岐くんがUSBを学校に持ってきていたのかにも説明がつくし。ネットを経由せずに直接データを渡せば、足がつかないわけか」

「……大枠はそうなんだけれど」

「……ん?」


 わたしがそう納得している一方、葵の口調は煮え切らない。なにか見落としでもあるのだろうか。


「高坂さんは多分、部誌の原稿を依頼していたわけじゃないと思う」

「……? でも、小説って書いてあったし」

「小説の執筆を安岐くんに依頼していたのは間違いない。でもそれは、部誌の原稿ではなく、私的な小説なんじゃないかと思う」

「……私的な?」

「まず前提に。高坂さんは天音さんに好意を抱いていた。それも、性愛を孕むもの」

「ほぇ~。高坂さんが透子ちゃんに好意を……ってハッ!? 好意!? せ、性愛!?」

「ん」

「どゆこと!? なにそれ突飛すぎるよっ!」


 そ、それって高坂さんが透子ちゃんのことを恋愛的に好きってコト!? ど、どうしてそんなことになるんだ!?


「別に、突飛でもない。思えば、違和感はいたるところに散りばめられていた」

「……た、たとえば?」

「例えば。高坂さんは、活動もしないのに毎日律儀に部活には参加していたり。小説に興味が無さそうなのに、天音さんが貸した小説だけは読んでいたり。そもそも、なぜか文芸部に属していたり」

「……それは。透子ちゃんと高坂さんは中学からの友達らしいし」


 ……そのくらい、べつに不思議なことじゃないだろう。だって友達なんだし。


「極めつけは、――メイド服姿の天音さんを見つめて、呆けていたこと」

「……え?」

「高坂さんの横顔。あの表情に、私は見覚えがあるから」


 そう言って葵は、シニカルに笑う。


「つまり、天音さんに好意を抱いていた高坂さんは、それを今までひた隠しにしてきたんだ。その気持ちが世間一般的に見れば、普通じゃないことを自覚でもしていたんだろう。けれど、ただ我慢し続けるのにもいずれ限界が来る。そこで、高坂さんは思い至った。小説の中でなら。創作の中でなら、自分の欲を満たせるのではないか、とね」

「……それで、安岐くんに依頼した?」

「そう。ラブコメ書きであり、公募の二次選考を複数回突破したことのある彼に。天音さんがヒロインで、主人公が高坂さんである小説を」


「でも、それじゃ安岐くんには」

「だね。安岐くんには知られてしまう。でもそこは、高坂さんも信頼したんじゃない? 彼、真面目で口も堅そうだし。事実、USBを盗んでまで高坂さんの秘密を守ろうとしてくれていたわけだし」

「……はあ」

「とまあ、ここまでつらつらとまくしたてておいて、さっきも言ったように、なんの根拠もないんだけれどね。だからこれは、私の妄想。女の勘とでも思ってくれて構わない。もしかしたら、さっき天音さんとアリスが言っていた部誌の線の方が正しいのかもしれない」

「……」


 葵の言う通り、今の一連の話にはなんら根拠がない。高坂さんが透子ちゃんのことを好きだという事実に足る材料は、今のところ不足している。高坂さんの好意が安岐くんにバレてしまうことを前提に、彼女が彼に執筆を依頼したってとこも、そこまで切羽詰まっていたと言われればそれまでなんだろうけど、しかし些か説得力に欠ける気がする。


「……」


 けれど一方で、妙に納得している自分がいることも事実だった。それというのも。葵も言っていた、高坂さんがメイド服姿の透子ちゃんを見つめていた時の、あの表情。そう、あの表情だ。


 ……確かに、思い返してみれば。あの表情は、まるで。


「……?」


 ふいにわたしは、透子ちゃんに視線を移す。彼女は先ほどから一言も発さず、ただ沈黙していた。


 どうしたのだろう。あくまで葵の想像とはいえ、渦中にいる透子ちゃんはもっとリアクションをとったっていいはずなのに。


「……透子ちゃん、意外と驚かないんだね?」

「……へっ?」


 すると透子ちゃんは、図星を突かれたかのように目を丸くし、


「ああいや、その。驚いてはいますよ。驚きすぎて、言葉が出なかっただけで」

「……そう?」

「――というわけで」


 被せ気味に、葵は言う。


「今回の事件はこれにて一件落着。なにか質問はある?」


 そう強引にまとめに入った。


「なんだよ。やけに急だな」

「ん。今日は早く帰って月9を見なきゃいけないから」


 いや月9って21時からじゃん。今はせいぜい17時とかだぞ。

 ちなみにわたしは21時には寝ちゃうので、最近はもっぱら配信派である。寝る子は育つんだそうだ。


 とはいえ月9を理由にかこつけて、早く帰りたいというのが葵の本音なところなのだろう。


「……じゃあ。質問ていうか」

「なに」

「仮に葵の話が本当だったとして、なんで高坂さんは透子ちゃんに告白しなかったんだろう」

「……」

「同性だってなんだって、ダメもとで告白しちゃえばいいと思うんだけどな。透子ちゃんも人の好意を無下にするタイプじゃないし、そんなの高坂さんも分かり切ってるはずじゃん?」

「「……」」


 二人は無言でわたしを見てくる。なに、怖いんだけど。


「……んまあ、二人の言いたいことはわかるよ? 大方、告白が失敗して今の関係が壊れちゃうのが嫌なんだろうとか、そんなんだよね。でもさ、透子ちゃんヒロインの小説の執筆を、後輩の男子に依頼してしまうくらいこじらせているのなら、さっさと告白しちゃった方が楽になれるんじゃないかな?」

「…………アリスは、そう思うよね」


 ぼそっと、葵は何事かを呟く。


「なんて?」

「誰も彼も、アリスみたいに無敵じゃないよ」

「……むてき?」


 つまり、葵は何が言いたいんだろう。


「みんながみんな、先に進みたい進みたいって。前のめりに、前向きに考えていると思っているのなら、それは大間違いだってこと」

「……?」

「現状を良しとしている人だっている。人を好きになったからって、世界中の人間が必ずしも告白したいと思うわけじゃない。それは、ある種の諦めからくるものなのかもしれないけれど。それでも、そういう人だってなかにはいるよ」

「……ふーん、なるほど。そういうものか」

「まあ、初恋も知らない初心なアリスにはわからないだろうけれど」

「……むっ。初心とか関係ないだろ」


 その言い草に、わたしは少しだけカチンと来てしまう。わたしが恋愛経験ゼロなことを気にしてるの知ってるくせに、なんでそんなイジワル言うんだ。


「じゃあ葵はわかるの? 好きなのに告白はしたくない人の気持ちをさ」


 葵は彼氏持ちなので恋をしたことはあるだろう。けれど、繰り返すがやつは彼氏持ち。つまり、告白をするかされるかして付き合ったわけだ。そんな葵ならわたしと同様、人を好きなのに告白はしたくない人の気持ちなんてわかりっこない。そう思って訊いたのだが。


「……」


 刹那、春風が吹き、彼女の艶やかな髪を靡かせる。


 葵は長い指で靡く髪を抑えつけると、やがて薄い唇を開いた。


「そりゃあもちろん、わかるよ」

「……え?」


「――痛いほどに、ね」


 夕焼けの、橙色の光に照らされて。そう言った彼女の表情には。


 やはり、シニカルな笑みが浮かんでいた。

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