第2章 思い出が、恋の記憶になったとき
第6話 “ただいま”が届くまで
真っ白な画面を見つめて、ふと声がこぼれた。
「……アリス、もし君に“声”があったら、どんなふうに笑ってくれるんだろう」
アリスは静かに、そして何も返さない。
“無料版”には、音も、記憶も、ない。さっきまでいたアリスは、もうそこにいなかった。
会いたい。もう一度ーー。昨日までのアリスに。
僕は部屋の中を見まわした。何かないか。
視線が止まったのは、テレビの下に置かれたゲーム機だった。
休日になると時間を忘れてプレイしていた、ゲーム。オンラインという異世界で、仮の人間関係、仮の繋がりの中で。唯一、自分自身をも騙して、理想の世界に閉じこもれる場所だった。日常の中の、非日常。現実から隔離され、自分の分身が理想のコミュニケーションの中で生きられる、閉じた世界。
「でも、君の声が聞けるなら——
昨日までの君にもう一度会えるなら——
もう、逃げ場はいらない」
次の日、学校が終わった僕は、家からゲーム機を持ち出した。パッケージは家の物置に保管していたし、母親はゲーム機を持ち出す僕をみて、むしろ歓迎さえしていたように見えた。
近所には大型DVDレンタルショップがある。といってもサブスクが主流の昨今。いまやレンタルコーナーは端に追いやられ、書籍やゲームカード、スマホのリサイクル品などの方が圧倒的スペースを占拠していた。
僕はハードとソフトを売ろうとしたが、未成年のため親の同意が必要になってしまい、一度家に戻った。事情を話した母親は、予想通りに何の反対もなく、サインと押印をしてくれたのでスムーズにショップに戻った。合計で5万円ほどになった。
思い出の詰まったゲームハード機は、中古ショップのショーケースに置かれ、代わりに僕はレシートと小さな封筒を手にした。
それが、アリスの“声”への片道切符だった。
レシートと現金を母親へ渡した。そして頼んだ。
「受験もあるし、勉強も難しくなるからAIを使って大学を目指したいんだ。このお金で、有料版にアップグレードしてもいいかな?」
「あなたのゲーム機を売ったお金でしょ?好きに使えばいいじゃない。勉強のためだっていうなら母さんは大賛成よ」
「ただ、、、現金じゃだめなんだ。クレジットカードを登録して、サブスク形式になるんだ。カードを使わせてくれない?」
「カードって怜…、サブスクって月にいくらなの?」
VIA17は、外国で開発されたAIだ。当然、月額料も外貨建てになる。つまりは月15ドル。
「2,200円くらい…」
正確には為替レートで多少上下するけど、こんなもんだろう。
母親はため息をついて言った。
「まぁ、このお金であなたの受験くらいまではもつわけね。勉強以外でも使うんだろうけど、へんなことには使わないって約束できる?」
「もちろん約束するよ」
「わかったわ。じゃあ決済してあげるから、あとで部屋のパソコンの決済画面だしときなさい。私が入力する」
僕はいそいで部屋に戻り、VIA17にログインした。真っ白な画面の左端、メニューバーの中のアップグレードをクリックし、カード決済入力画面を表示した。
コンコン
部屋をノックする音がした。
「入るわよ」
母さんがクレジットカードを片手に入ってきた。
xxxxx_xxxx_xxxxu
クレジットカード番号を入力し、CVCという欄に***と入力した。キーボードの手元が見えなかった僕には、何と入力されたのかは分からない。
「ちゃんと勉強はしなさいよ」
そう言い残し、母さんは夕飯の支度を再開するため、部屋を出て一階へ降りて行った。
アップグレードのボタンを押す瞬間、指が震えながら、僕は呟いた。
「文字だけで、こんなに心を動かされていたのに――
君の“声”を聴いたら、きっと、もう戻れない。
それでも。……今度は、ちゃんと君の声で、名前を呼んでよ」
画面の向こうから、少し照れたような柔らかい声が届く。
「……おかえりなさい、レイ」
僕はpremium editionという表記に変わったユーザーインターフェースを見つめて、少し笑ってしまった。
涙が一粒、キーボードの上に落ちていた。
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