第37話
「あたし、何にも知らなくて…、いつも能天気なことばっか言ってて…」
「…姉ちゃんは、それでいいんだよ」
陽ちゃんは優しく笑った。
「あの頃、さ。母さんの具合が悪くなって、僕にまでひどい言葉を投げつけてくるようになると、いつもタイミング良く、ばあちゃんがうちの勝手口に現れるんだ、“こんばんは”って。それで、“陽ちゃん、今夜はうちに泊まってくかい?”って、手招きしてくれるんだ。婆ちゃんの痩せた白い手がさ、僕には神様の救いの手のように光り輝いて見えたんだ」
「お祖母ちゃんが…」
そんなことがあったなんて、今まで知らなかった。でも確かに、陽ちゃんがうちに泊まりに来る時はいつも、お祖母ちゃんに手を引かれていたっけ。
「僕が眠れなくて夜中に縁側の隅で泣いてた時も、ばあちゃんは障子越しの部屋でずっと裁縫をしてた。声をかけたり励ましたりするわけじゃない。ただ、黙ってそばに居続けてくれた。それがどんなに心強かったか…」
そう言って、陽ちゃんはかすかに鼻をすすり、もう一度スタジャンの袖で目を拭った。
「ミリ姉ちゃんの家にいる間は、本当に楽しかったんだよ。ケンちゃんとミリ姉ちゃんと野球カードで遊ぶのは最高に面白かったし、おばさんも優しいし、おじさんは愉快で――ねぇ、おじさんは今でも“アンチ・タイタンズ”?」
「うん、そうだよ。だから最近はすっごく機嫌が悪くてさ、テレビも観ないの。スポーツニュースを観たくないからって」
「どうして?」
「そりゃもちろん、タイタンズの優勝が決まったからよ。大和田監督の胴上げシーンは二度と見ないぞって、毎日プンプン怒ってる」
「あはは。昔から変わってないんだ、おじさん。あの頃もそうだったよね。クロウズの勝ちよりもタイタンズの負けのほうが嬉しいって言ってさ。僕らが帝都テレビのアニメを観てたら“敵のテレビを観る気か!”って、変な理由で怒られたりもしたなぁ」
「ごめんね。ホント、頑固親父だから」
「ううん。でも、…そっか、相変わらずアンチ・タイタンズなのかぁ…」
陽ちゃんは深い溜息をついた。
「…どうしたの?」
「実は今日、此処に来る前に、姉ちゃんちの前を通ってみたんだ。そしたら『かちがらす』の店の奥に灯りが点いてたから、おじさんに挨拶しようかなって思ったんだよ」
『かちがらす』というのは、うちの両親がやってる居酒屋の名前だ。
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