13 皇帝が英雄に瞳を焼かれた日

 妖精の森、その奥に深い谷がある。


 まわりは断崖に囲まれ、ひとたび足をすべらせて落ちてしまえばただの妖精なら逃れることなどできないだろう。人を喰らうこともできず飢えて狂う、それが末路だ。


 そんな日の光もささない闇が、幼き皇帝の妖精の故郷だった。


 生まれたばかりの皇帝の妖精には力がなかった。そもそも後に天にもとどかんばかりの人の脳みそを食らったとて単騎としてはたかが知れている。


 そして、そんななにも知らぬ皇帝の妖精が生まれた谷の下は、そのような力なき妖精にとっては正しく地獄そのものであった。


 妖精は人の心を求め、飢えている。


 人を喰らわなければそれは手に入らず、手に入らなければ暴れまわってその果てに死ぬほかない。谷に落ちるようなただの妖精が狂ったところでどうにもならない。


 故に、谷の妖精たちは地上の妖精とはまったく違う戦争に興じていた。


 人の脳みそとくらべればチリアクタのような妖精の頭にかすかに残る心、それを求めて妖精たちはたがいを食らいあったのだ。妖精どうしの殺しあいである。


 母が食われているちょうどその時に皇帝の妖精は生まれた。


 目と鼻の先にいるのは、巨大な豚の妖精。なんら力をもたない皇帝の妖精が、生まれて初めて学んだことは、その後の一生の恥となった。


「へへ、へへへへ。殺さないでください、わたしは心から従いますから」


 媚びる。


 豚の妖精が己を生かしてくれるように母と父の肉を捧げる。卑屈な笑みでぺこぺこと頭をさげながら、豚の妖精につき従い、へつらう。


 豚の妖精の慈悲をもらうためにはなんだってした。


 豚の妖精に追いつめられた妖精を助けるふりをして背後から殺したこともある。豚の妖精の番となれるような獣の妖精を探してくることだってした。


 力なき者は、力ある者の慈悲によってのみ生かされる。


 それが皇帝の妖精の学んだこの世の理であり、それはまったくもってどうしようもないことだった。妖精の森の谷は、そんな不条理の煮こごりだったのだから。


 皇帝の妖精はそれからより優れた力をもった妖精へと恥もへったくれもなく媚びて生きていった。その胸にあるのは力への絶大なる信奉だけである。


 豚の妖精が熊の妖精に追いつめられれば背後からつき、熊の妖精が狼の妖精に噛みつかれればあわせて首を締めあげる。


 死にたくないだけの皇帝の妖精は、ありとあらゆる悪逆に手を染めた。


 いつだってまわりの妖精の力に脅えていた。いつだってその気になれば殺されてしまう、そんな力なき己を心から軽んじた。皇帝の妖精にとってすべては力だった。


 生きるためには負け犬のままでは駄目なのだ。


 まわりの妖精に駄犬よろしく尾をふりながら、誰も信じずありとあらゆる手で力を身にする。媚びることで肉にありつけた皇帝の妖精はわずかながら歩んでいた。


 そして、すべての転機は一瞬にやってくる。


 手に入れたのは己よりも力なき妖精を従える魔術。妖精が身につけるのはありえないはずの、人ではなく妖精を食らうための魔術であった。



 ◆◆◆◆◆



 魔術を手にした皇帝の妖精は、ほかの妖精から学んだことをひたむきに追いかけた。つまり、力でもってほかの妖精を従え、気まぐれに殺すことである。


 いかな妖精とて、数の暴力には屈する。


 皇帝の妖精は雑魚の妖精ばかりを集め、そしてつい先日まで媚びへつらっていた巨大な妖精を闇討ちさせた。力が手に入ったのだから、力なき者は殺すのだ。


 己より力なき者を従え、己より力ある者を殺す。


 優れた妖精をあらかた殺しつくした皇帝の妖精はあっというまに谷の王となった。負け犬から、谷を従える狼の王までなりあがったのだ。


 だが、それでも皇帝の妖精は恐怖に震えていた。


 いつとて頭に焼きついているのは生まれて初めて目にした妖精が妖精を食らうその光景。父と母が生きながらにむさぼられる姿。


 あんな風に死ぬのだけは嫌だ。こんな谷の奥で、己の血に沈みながら人生を終わらせることだけは嫌だ。それが皇帝の妖精の魂の叫びである。


 だからこそ、皇帝の妖精は正しく王者たらんとした。


 己の従える妖精で己の玉座を脅かす力を手にした者はかならず殺した。それがどれほどの忠義者であっても、いつしか己を殺すかもしれないのだから。


 常に臣下の妖精を恐怖で縛りつけた。ほんのわずかでも逆らおうという者は殺し、気まぐれに死をふりまいた。信じられるのは、頼れるのは己だけだった。


 やがて皇帝の妖精は谷を後にする。


 谷のうちで手にいれられる力などたかが知れている。より優れた妖精となるためには人を喰らわなければならない、しゃれこうべの山を築くほどに。


 食らい、従え、殺すのだ。


 谷ではそうだった、地上でもそうだった。そうしなければ、皇帝の妖精は己こそが殺されると考えていた。この世すべてを従えて初めて穏やかな生が手に入るのだ。


 その時の妖精のほとんどを従え、人類を攻めたてていく。


 それまで数十年も足踏みしたままであった人類と妖精の戦争は皇帝の妖精によって妖精のほうに傾けられた。皇帝の妖精が率いる軍はすべてを壊していく。


 皇帝の妖精は後もうすこしで願いを叶えようとしていた。


 すでに人類は滅びかけている、残るは己に従わなかった妖精がいく人か。誰もかれも己より力があるが、だからといって敗北はありえない。


 なにしろ皇帝の妖精はそのほかのほぼすべての妖精を従えているのだ。


 皇帝の妖精がなにもかもを手にする日はすぐそこである。死に脅える暮らしも幕を降ろす、そう皇帝の妖精は信じて疑わなかった。


 そんなある日、皇帝の妖精は人類の英雄、ミッカネンなる男のことを耳にした。



 ◆◆◆◆◆



 はじめは気にもとめていなかった。


 しょせんはただの人、聖女の妖精など未だ皇帝の妖精に従わない優れた力ある者にくらべれば、ミッカネンなどはただの幸運に恵まれたものにすぎない。


 人類が魔王と恐れる四人の妖精。


 聖女の妖精、賢人の妖精、星天の妖精、そして皇帝の妖精。人類にこれらを殺すことのできる者などいるはずがない。それはこの世の理であるはずであった。


 初めに殺されたのは星天の妖精だった。


 その一報を聞いた時、皇帝の妖精は耳を疑った。星天の妖精はこの世でもっとも敗北が思いつかない力ある者というのに、たかが人類がその命を絶っただと。


 そのつぎは賢人の妖精だった。


 皇帝の妖精にはまったく訳のわからないことをして人類で遊ぶ馬鹿だったが、だがその魔術の腕だけは知っていた。人類に負けるはずのない妖精だった。


 聖女の妖精が討たれたと知った時には、もう驚かなかった。


 人類に妖精に敵うほどの力ある者が生まれたことは違いない。滅びかけていたはずの人類が今や妖精の森にせまってきているのだ。


 己がオグダネル宮殿にて、皇帝の妖精はしかしと不敵に笑った。


 いつだってそういう窮地に陥ってきた。そのたびに人質、毒殺、闇討ち、ありとあらゆる手をもって勝ってきたのが己だ。


 ほかの妖精とは違う、皇帝の妖精はありとあらゆる者を従える。


 そうして、ミッカネンという英雄を目にした時、皇帝の妖精は胸がひきつれるような激痛におそわれた。



 ◆◆◆◆◆



 皇帝の妖精が目にしたのは未知だった。輝きだった。


 ずっと力だけが信頼できる道を生きてきた皇帝の妖精にとって、ミッカネンの戦いはまるで遠い星からやってきたバケモノのようで、訳がわからなかった。


 ありえないことに、ミッカネンはどれほど力なき者でも救っていたのだ。


 たとえそれで己が傷つくことになろうとも、なにがあろうとも人を救おうとした。死んだ力なき者のために瞳をぬらした。


 それは、訳がわからなかった。


 力ある者は力なき者を従え、気まぐれに殺す。それこそがこの世の理であり、そう信じてずっと皇帝の妖精は生きてきた。


 あの日、母と父を妖精にさしだしたあの時から。


 そう生きることしかできなかった、死人の山を積みあげてきた。なんなんだ、あれは知らない、誰も教えてくれなかったぞ。


 またミッカネンが血を流すのを従える妖精の目をとおしてみつめる。


 助けられる雑兵がうらやましくてしかたがなかった。たとえ己に力がなくとも生きていけるのだと、救われるのだと。


 どうして人類だけが許されるのだ。どうしてかつての妖精の森の谷にミッカネンはきてくれなかったのだ。心が、壊れてしまいそうになった。


 ああ、このミッカネンという男だけはどうしても跪かせなければならない。


 欲しい、欲しい。あの優しさが、たとえ力なき者であってもむけられる慈悲が、なにがなんでも欲しい。皇帝の妖精に、我にその愛をそそいで欲しい。


 こういう思いを人類はどう口にするのであったか。


「これを愛と、いうのか。ならば、あのミッカネンとやらをしつけ、その瞳を我のみで独り占めにしよう」


 この暗く辛く嫌なことばかりの世において、たったひとつ美しく楽しいもの。己が生れて初めて心から欲しいと願った者。


「ミッカネン、我が婿となれ」


「は?」


 ある晩、人類の軍を攻めたてる先頭を歩みながら、皇帝の妖精は愛の告白をミッカネンにおくった。

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