第34話 ラストチャンスはすぐそばにある


 延長戦は前半10分、後半10分。


 短い休憩の間に水分を摂っておく。

 試合に出ていた選手は、芝生の吸っていた水と汗とで顔もユニフォームもぐちゃぐちゃになっている。濃い水色の筈のユニフォームは水と汗を吸ってすっかり青い。ところどころに水色が残っているだけだ。

 わたしの赤いユニフォームも赤が濃くなって、えんじ色になっている。

 途中交替で入った選手ですら肩で息をしていて、最初から試合に出ているメンバーは相当に疲れていた。

 体力バカと思われているニシザーとゴトゥーですら疲労の色は隠せない。


「すっごいねえ、私らぁ」


 全員が疲労困憊といったベンチの中で、原先輩が大きな声を出した。

「初めての準決勝で、前回大会の優勝校相手に延長戦まで来たよ」

 明らかに疲れた顔で掠れた声だった。でも、朗らかでもあった。

「でも、止まんないからね!」

 その低く響く声に、みんなはハイタッチで応えた。


 わたしは、みんなほど体力を使っていない。でも、精神的には相当にすり減っている。それでも、延長戦でもう20分ゴールを守り続けなくてはならない。とんでもない、スタメンのデビュー戦になってしまった。

「長谷川」

 正キーパーの宮本先輩から名前を呼ばれる。

「大丈夫、なワケないか」

「いや、大丈夫す」

 ちょっと無理に作った笑顔を宮本先輩に見せた。

「ごめんね、こんな試合になるなんて思ってなかった」

「先輩、そんなん当たり前ですよ。誰にも試合の結果は見通せないんですから」

「ハセガーは、よくやってる」

 宮本先輩は、座っているわたしの湿った前髪をなでるようにちょんちょんと触った。

 少しだけ頬が赤くなるのを感じた。先輩から可愛がられている後輩だと思って、それから、じゃないんだ、と思い直して照れた。

「もう20分、頼んだからね」

 宮本先輩はそう言って、もう1回前髪を撫でて、それから、両手で両手を引っ張るようにしてベンチから立たせてくれた。そして、背中を押してピッチへと向かわせる。

「行っておいで」

「はい!」

 そして、ニシザーと並んでピッチに戻った。



 延長戦が始まった。



 雨雲が切れて、空は晴れないまでも白く明るくなってきた。もし、晴れていたら、きっと太陽が眩しくて、ボールがよく見えなかっただろう。

 芝生の水捌けは良く、少し水が引いて、ボールの転がりは速くなっている。選手たちは敵も味方も疲れ切っていて、走り続けることが難しく、なんとかパスを繋いでは、また、切られては、を繰り返している。

 たまにシュートのようなボールが転がってくるが、慌てることなく処理できるレベルだった。これなら、何とかゴールを守り切ることはできるが、かと言って、自分達のチームも似たようなもので、ボールを敵陣に運んでシュートに持っていくことがなかなかできない。


 あっと言う間に延長線前半が終わってしまった。

 ばしゃっという音がして、何人かが膝を着いた。

 疲れていても、もう双方のチームが交替できる人数を使ってしまっている。

 ニシザーは腰に手を当てて、敵ゴールを険しい顔をしてじっと見ている。ゴトゥーはいつものようにくるくる回る余分な動きはないが、両手の指を組み合わせてこねるように手首を動かしている。手足の代わりに指を動かしているようだった。

 そして、すぐに10分間の後半が始まる。


 ニシザーが水音を立てながらスライディングタックルで、敵からボールを奪い取る。そのボールが味方の2年生MFミッドフィルダーの足に届いたものの、既に走る力がなく、サイドに上がっている別のMFの3年生にボールをなんとかパスする。その3年生がドリブルで走り出すと、中央をニシザーが上がっていく。

 すかさずニシザーにボールが渡り、ニシザーがドリブルで突っ込む。

 まだこの速さで走ることができる選手がいることに敵が慌てるが、ニシザーの足がもつれて転んだ。こぼれ出たボールを拾ったゴトゥーが、そこからゴールを狙ってシュートする。

 ロングシュートだ。


 ガンっという音がして、ボールはポストに当たってしまう。


 跳ね返ったボールがラインを割る前に自分達のボールにしようとニシザーが突っ込んでいく。

 しかし、敵DFディフェンダーが雅より速くボールを奪おうとする。


「ニシザー!?」

 思わず小さく叫ぶ。


 ニシザーは敵を避けながらラインぎりぎりでボールに追い付いたが、ボールをコントロールできず、結局ボールはラインの外に転がり出てしまった。

「のおお」

 ゴトゥーが悔しがる。

「ナイスラン」

 原先輩がニシザーに声を掛けると、ニシザーは返事をする代わりに軽く手を上げて応えた。

 惜しかった。ゴトゥーが蹴った瞬間、味方は誰もが期待しただろう。それが、ラストチャンスだった。


 フィイイーっとホイッスルが鳴った。

 延長戦はどちらも得点できず、2ー2のまま、遂に試合はPK戦に突入することとなった。

 緊張の糸が切れて、がくんと膝を着く。

 前半後半80分、そして延長戦20分。長い長い100分だった。



 しかし、まだPK戦が残っている。



 自分がスタメンで出ると決まった日、PK戦について宮本先輩から説明を聞いた。

 PK、ペナルティーキック。

「ボックスの中で攻撃の邪魔になるようなファウルをしてしまうとPKになるのは知っているよね」

 宮本先輩がにっこりしながら言う。知ってるよね、知らなかったら覚えろよ、とその笑顔が言っているようで、真面目に耳を傾けた。

「まさかPKを知らない、なんてことはないよね」

「しっ、知ってます、キーパーと蹴る人で1対1の勝負するですよねっ」

「日本語おかしいけど合ってるかな。で、キーパーとキッカーは、どれくらい離れてる?」

「じゅ、じゅ、12メートル、っちが、えっと12ヤード?でしたっけ」

「正解、だいたい11メートル。PKを敵味方で5人ずつ、で得点の多い方が勝ち。同点だったらサドンデスで、6人目、7人目と続けて、勝負の決着が付くまで」

 宮本先輩が指を立てる。

「PKはゴールキーパー最大の見せ場だね」


 ベンチから宮本先輩が跪いているわたしのところに走って来た。

「ハセガー、立てる?」

 宮本先輩は屋根のあるベンチのところにいたから、ユニフォームはきれいなままだ。

「本当、よくやったね、ハセガー」

「はい、でも、まだPKがまだ……」

 宮本先輩がわたしの腕を引っ張って立たせてくれようとしたけど、膝が笑って立てない。


「…大丈夫、PK戦は私が出るから」



 

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