第20話 あの人みたいになりたかっただけなのに
7歳のとき、下の兄のミニバスケットの応援に連れて行かれて、そこで初めて
翠は、下の兄と同い年の4学年上、当時、下の兄が入っていたミニバスケットの女子チームのキャプテンだった。
背番号4のきれいで格好いいお姉さん。
長い髪をポニーテールにして、チームで一番背が高くて、ばんばんシュートを決めていた。敵の隙を見抜いて、いや、フェイントで隙を作って、相手の脇を簡単に抜き、ふわっと高く飛んで、指先から浮いたボールがそのままネットに吸い込まれる。ネットがボールを引き寄せてるみたいだった。そして、タンっという音で着地して、仲間とハイタッチをしながら走り出す。
小学校2年生で、お姉さんという存在に憧れていたわたしにとって、翠はとても素敵で、憧れないわけがなかった。だから、わたしがバスケを始めたのは翠の真似なのだ。ほとんどの人は兄たちの影響だと思っているらしいけれど、違う。
わたしは、翠みたいになりたかった。
まだ2年生だったけれど、既に5~6年生並みの身長と運動能力があったわたしは、すぐにミニバスのチームに入れてもらえた。入ったチームでは、わたしはバカみたいに翠にまとわりついていた。6年生だった翠が卒業するまでの短い間だったけれど、翠もわたしをちょっと体の大きい妹として可愛がってくれて、バスケのことを色々と教えてくれた。
今でも、自分のプレイスタイルの根幹は、このとき翠に教わったものだと思う。
翠は小学校を卒業して、地元のスポーツの名門校、私立陽湘大学付属の中等部に入学し、中学校でも全国大会に出場して大活躍した。わたしは、そんな翠に追い付きたくて、翠がいなくなった後もミニバスで頑張って、6年生のときには翠のように背番号4を付けて全国大会に出た。
翠のように、翠のように
わたしは呪文のように、翠のようになる、と唱え続けていた。
卒業を前にして、県内外の私立の中学校からいくつかスカウトが来たらしいけど、そんなわたしが翠のいた陽湘中等部を選択するのは当然だった。同じ市内なので自宅から通えることも大きな理由になった。
「
中学校に入学して間もなく、中等部と高等部の合同練習があって、久し振りにわたしは翠と再会した。バスケ専用体育館に集合していた中学生たちに向かって、高校生の一人だった翠がわざわざ駆け寄って来て、すぐにわたしを見付けてくれたときは舞い上がるくらい嬉しかった。
「翠ちゃん、あ、先輩だった」
入部してすぐに教わったように、気を付けの姿勢から90度ガクンと腰を曲げて挨拶をする。
「よろしくお願いします!」
「あはは、そんなのいいのに。それにしても涼は大きくなったね」
翠は高等部に上がって厳しい練習をしていたせいか、以前に会ったときより痩せてひきしまり、髪型もショートボブに変わっていた。大人びた顔は、小学生のときよりもシャープで、大人になるってこういうことなんだな、とわたしに思わせた。
一方、わたしの身長は170cmに近付きつつあり、もう、翠と身長はそんなに変わらなかった。小学生のときにはちょっと見上げていた翠と同じ高さの目線になると、翠のきれいな顔が前より近くなったように感じて胸が高鳴った。そして、自分の翠に対する気持ちが単なる憧れだけではないことにだんだん気付いていくことになる。
陽湘のバスケ部は、中等部も高等部も全国大会の常連で、選手層は厚い。良くも悪くも実力主義で、中等部高等部も学年に関係なく厳しく鍛えられ、実力で選別された者が試合に出れる。
4月。
新学年になって中等部も高等部も1年生が加わり、新体制になるこの時期が最もレギュラー争いが厳しくなる。身長の高さとミニバスの経験があったことに加え、上の兄が既に名を知られていたこともあって、わたしは中等部の1年生の中では最も目立っていて注目もされていた。入学前の春休みから練習に参加して、2、3年生に混ざって試合形式の練習に加えられるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
高等部の4月はもっとずっと厳しい。
中学時代からのメンバーに、外部から特待生や推薦入学で入ってきた実力のある新1年生が加わり、熾烈なレギュラー争いが春休みだった3月から続いていた。中等部でエースだった翠ですら、1年のときは中等部のように活躍することはできず、2年になってようやくレギュラーに手が届くかどうか、という状況だった。
あの頃のわたしには、翠のそんな事情は全然分からなかった。
高等部の合同練習では、監督やコーチたちよりも、翠に、上手になった自分を見てほしくて、ひたすら頑張っていた。1年生の中で誰よりも先にベンチ入りしたことを翠に報告して、「さすが涼だね、上手になったね」と翠に褒められて、すっかり舞い上がり、もっと頑張ろうなんて調子に乗っていた。
だから、翠の気持ちなんて何も分かってなかった。
そんな風に目立っていたし、上級生からレギュラーを奪うことが確実になってくると、わたしには、まあ、お決まりの嫌がらせが始まった。
負傷はさせないまでも、体力作りと称したしごきに加え、精神的な嫌がらせが多かった。練習中の仲間外れ、陰口、悪口といった定番から、雑用を押し付けられるとか、ウェアやシューズを汚されたり隠されたりとか。しかも、上級生は、1年生を使ってやらせるから
ただし、実は、これは想定内だった。
我が家には同じような洗礼を受けた兄が二人もいた。絶対、同級生にも上級生にもヤられるから、今のうちに覚悟しておけ、とか、こういうときにはこうしろ、とか、バスケのことはさして教えてくれない兄たちが、嫌がらせ対策だけはみっちりしてくれた。
上の兄に至っては、下手をすれば一生バスケができなくなるくらいの暴力を受けそうになったこともあったと笑っており、スポーツマン精神なんて、テレビに映るところにしかないんだぜ、などとひどいことを言っていたほどだ。
そう言いながらも、兄たちは素晴らしい仲間たちに囲まれてもいることを知っていたから、ここを乗り越えられれば、自分も仲間がたくさんできると信じていた。
いじめられるのは嫌だったし、つらかった。
でも、負けるのはもっと嫌いだった。
「涼、大丈夫?」
高等部との合同練習のときに、翠が心配してこっそり声を掛けてきてくれた。
「まあ、大丈夫だよ、です」
「私も中1のときにいじめられたよ」
「翠ちゃんも?」
「あるあるだよ」
「心配してくれてありがと、うございます。でも、わたし、大丈夫だから、じゃなくて、大丈夫ですから」
「そうならいいけど。何か、わたしにできることある?」
陽湘は、女子校だった。
だからってワケじゃないけど、同性に恋をするのはよくあることで、付き合っている人たちも少なからずいた。
小さな声でわたしは翠に言った。
「じゃあスタメン獲れたら、わたしと付き合って下さい。恋人として」
「……ませてるなあ、涼。私、高校生だよ」
「そんなの関係ありません」
「しかもレギュラーじゃなくてスタメンか。1年生で?」
「もうレギュラー入りは見えてますから。それに翠ちゃんだって、中等部では1年からスタメンだったじゃないですか」
練習中の体育館。レギュラー争いの真剣勝負が繰り広げられている中でわたしは翠に告白した。
「わたし、翠ちゃんのこと、小学生のときから、ずっと好きです」
中体連の全国大会、陽湘中等部はベスト8まで進んで、3年生が引退して間もなく、わたしは翠の恋人になった。
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