第14話 弟、家族

 休暇の雨情うじょうさんを除いて四人が集まった会議室には、未だに小叕こてつの肉の匂いが微かに漂っている気がする。


「あ……朝忌あさきさん、」


 招集をかけた張本人である弥束やつかが、ここでの僕の名を呼んで切り出した。


「爆発につきましてですが……マンションの件は煙草の不始末として、こ、コンビニエンスストアの件はフライヤーの電源プラグに油がかかって引火ということで、いずれも処理済みです。て、店内にいた数名の目撃者にも、全員に口止め料を渡してあります」


 透き通るような白い肌に、憂いを帯びた瞳。同性でありながら、弥束の美貌には気を抜くと見惚れてしまいそうになる。


 ときにはその端麗な容姿を存分に活かした女装で標的を籠絡することもあるようだが、しかし弥束が殺しをやることはめったにない。なぜなら彼は消除師しょうじょしではなく、拭掃師しきそうしだからである。


 依頼を受けると、消除師が出向いて標的を殺す。では標的が殺されれば任務完了かといえば、当然そうではない。後始末が必要だ。この場合の後始末とは死体の回収や処理だけでなく、証拠隠滅、もっともらしい死因の捏造、さらには標的の遺族に対するアフターケア──むろん、標的が我々によって命を奪われたという事実は伏せて──までもが含まれる。


 それらをすべて、弥束たち拭掃師チームが担当している。弥束は見かけによらず警視庁から暴力団にまで顔が利くらしく、その幅広いコネクションを駆使した一切の妥協を許さない徹底した後始末は組織内外から高い評価を受ける。平和な東高円寺の夕方に突如として起こった立て続けの爆発が、たった一日SNSとワイドショーを賑わせただけで、同時多発テロの類を疑われることもなく丸く収まったのは、すべて弥束の完璧な事後処理のおかげだ。


「ありがとう。すまない……僕の不手際のせいで余計な手間をかけて」


「い、いえいえ、朝忌あさきさんに非はありませんよ」


 弥束やつかはジップロックを取り出した。何やら猫のひげみたいなコードのついた小さな電子部品が入っている。


「朝忌さんと交戦した自立飛行型ドローンのうち、い、一機に搭載されていたマイコンがかろうじて生きています。これを解析すれば、せ、〈癬惨行センザンコウ〉の新たな拠点を突き止められるかもしれません」


 饗童きょうどうさんがジップロックを受け取り、光のない瞳でじっと見つめながら


零涎慈れいぜんじさん、お願いできますか」


 と言った。


 零涎慈さんは退屈そうに目頭を掻いた。「まあ、やってみます」


「所長、」


 そのとき、扉の外で慌ただしい声とノックの音がして、僕たちは一斉に顔を向けた。


「おられますか、所長っ」


「何事です」


 饗童さんが扉を開くと、そこには新人の構成員──失礼なことに僕は名前すら認識していない──の一人が息を切らして立っている。


「連中からです。今朝、下部構成員全員の自宅にまったく同じカードが」


 彼が喘ぎながら差し出した名刺大の紙を見つめるなり、饗童さんの目からますます光が失われる。


 それは案の定、〈癬惨行センザンコウ〉からのメッセージだった。


 ──拝啓、爬个庭たち。先刻我たち、爬个庭たちの一人発破せしめんとするも逸走許し誠に慚愧に堪えず。爬个庭たちの即刻解体成されなくば如何なる報復も辞さず。愈々、爬个庭たちのみならず由縁なき庶民まで駄肉と変じざるを得なきこと心の髄より存ぜよ。あらあらかしこ──


 文面を見た僕たちの顔に、怒り、屈辱、焦燥、とりあえず思いつく限りの負の感情をぜんぶひっくるめてミキサーに突っ込んでごちゃ混ぜにしたような表情が浮かぶ。


 僕の暗殺に失敗したことが連中の逆鱗に触れたらしいが、そんなのは知ったことではない。とにかく、一般人にまで被害が及ぶのはなんとしても避けなければ。


「おいっ」零涎慈さんがドスのきいた声で叫ぶ。「密査師みっさし全員にこう伝えやがれ、このふざけた紙の送り主を今すぐに突き止めろ」


「ま、待ってください! 連中を刺激するのは危険すぎます」弥束が慌てて制する。


「うるせえ、もう我慢の限界だ。これ以上侮辱されて堪るかっ」


 ついに肩を怒らせて会議室を出ていこうとした零涎慈さんだったが、突然つまずいたように立ち止まった。見ると彼の胸の前に、饗童さんが無言で手を伸ばしている。


 饗童さんの腕がゆっくりと下ろされるとともに、会議室全体に湿った沈黙が訪れた。


「所長……いかがなさいますか」


 沈黙に耐えかねてか、新人が呟く。だが饗童さんは答えない。


 扉の前で、背を向けている饗童さんの表情は、僕からは窺えない。だが不思議と、彼女の考えていることが手に取るようにわかった。


 饗童さんは、迷っているのだ。


 未曽有の危機的状況である。かつて伝説の消除師として名を馳せた饗童さんが最前線に立って戦ってくれることを、多くの構成員が期待している。その期待は饗童さん自身理解していながらも、とはいえ既に現役を退しりぞいた身。はたして自分に十分な働きができるのか、不安が大きいのだろう。そして、懸念はそれだけではないはず。


 自分が前線に出るとしたら、いったい誰が〈爬个庭はこにわ〉を守るのか。


 所長の使命は何をおいても、この組織を、事務所を、構成員を、最後まで守り抜くこと。自分が文字通りの意味で陣頭指揮を執っている間に、この事務所が襲撃され、構成員が皆殺しにされるなんて事態も十分に起こりうる。そのとき、責任も覚悟も一身に負い、組織とともに心中するべき人間が、所長である自分のほかに誰がいるというのか。


「わたくしはみなさんを、本当の家族のように思っております」


 時折、饗童さんは思い出したように言う。家族がいない──訂正、つい最近までいなかった──僕にとって、その言葉はいつだって、ひとつの光だった。


 どうなんだ、僕自身は。


 僕は今まで〈爬个庭〉を、仲間たちを、どんなふうに思ってきたんだ。どんな思いで消除師しょうじょしという仕事に向き合ってきたんだ。


 そのことを自問したとき、僕の眼前には自分のなすべきことがはっきりと立ち上がっていた。


「饗童さん、」


 一歩を踏み出すとともに、僕は言った。


「〈癬惨行センザンコウ〉のボスは、僕が必ず見つけ出して仕留めます。だから饗童さんは、どうか安心してここに残ってください。饗童さんの、僕たちの、かけがえのない家を守り抜いてください」


 僕を見つめる饗童さんは、一瞬驚いたように見開いた目をすぐに細め、


朝忌あさきさん……ありがとうございます」


 と頭を下げた。


 それから僕、零涎慈さん、弥束を見渡して、声を張った。


「みなさん、現在起きていることは〈爬个庭〉と〈癬惨行〉との戦争です。想像をはるかに上回る強大な敵を、我々は必ずや打ち倒さねばなりません。総員、気を引き締めて参りましょう」


 僕たちの力強い返事が、会議室にこだました。

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