【22話】かつてのライバル


 しめじめとした雨が降る、暗がりの空が広がる昼下がり。

 昼食を食べ終えて私室に戻ったアンバーは、物憂げな表情で外を眺めていた。


「こういう天気だと、なんだか憂鬱な気分になってしまうわね――って、いけない!」


 特に理由もなく沈んでしまいそうになるが、ぶんぶんと首を振る。

 

 これから、モルガナの手伝いに行こうとしている。

 

 面倒見のいい彼女のことだ。

 暗い顔で手伝いに行こうものなら、すぐさま心配して声をかけてくるに違いない。

 

 そんないらない心配を、モルガナにかけたくなかった。


「よし!」

 

 お腹から声を上げて、気合を注入。

 どんよりとした暗い気持ちを吹き飛ばす。

 

 そんなタイミングで、部屋にメイドが訪ねてきた。


「お客様がお見えになりました。アンバー様との面会を希望しております」

「来客? 私に?」


(誰かしら?)


 屋敷を訪ねてくるような親しい人物に、これといった心当たりはなかった。

 となれば、商品を売り込みにきた商人か、事業の話を持ち掛けにきた貴族のどちらかだろう。

 

(よりにもよって、リゼリオ様が仕事で外出中のときに来るなんて……)


 過去にも数回、そういったことがあった。

 そのときはいつも、リゼリオが対応してくれていた。


 しかし今回は、アンバーが対応しなければならないようだ。

 

 適当に追っ払ってしまいたいが、そういう訳にもいかない。

 いい加減な対応をすれば、レイデン公爵家の名に傷がついてしまう。

 そのため、丁寧にお断りをしなければならないのだ。

 

 しかし、なんというタイミングの悪さだろうか。

 小さくため息を吐いたアンバーは、面倒くさそうに声を上げる。


「その方のお名前は?」

「フィール様です。ただし、ファミリーネームは不明。お伺いしたのですが、答えてくれませんでした。面会をお断りすることもできますが、どのようにいたしましょうか?」

「…………ゲストルームに案内して。私もすぐに向かうわ」


(……私に会いに来るなんて、どういうことからしら?)


 フィールは、アンバーを激しく嫌っている。

 和気あいあいと世間話をするためにやって来たとは、到底思えない。

 わざわざ遠くから来たのには、何らかの重要な目的があるはずだ。


 それを確かめるためには、フィール本人に直接聞くしかなかった。

 

 

 ゲストルームへ入る。

 部屋の中心に置かれているソファーには、既にフィールの姿があった。

 

 彼女の表情は、外の天気と同じくどんよりとしていた。

 疲れの色が、これでもかというくらいにはっきりと浮かんでいる。

 

(変わったわね)

 

 アンバーが知っているフィールは、常に自信に満ちあふれていた女の子だった。

 その頃の面影はどこへやら。別人になってかのように思えてしまう。

 

 不思議に思いつつも、フィールの対面に置かれたソファーへ腰を下ろした。

 二人は向かい合う形になる。

 

 そうするとすぐに、フィールが口を開いた。

 

「久しぶりね。アンバー・イディオライト。あぁ……それとも今は、レイデン公爵夫人と呼んだほうがいいかしら?」

「好きにしたら? フィール・サブルマディさん」


 会って早々突っかかってくるフィールを相手にせず、さらっと受け流す。

 

 顔つきは変わったが、面倒な絡み方をしてくるのは以前と同じだった。

 外見は変わっても本質が変わっていなかったことに、ある種の安心感のようなものを感じてしまう。


「今の私はただのフィールよ。サブルマディ侯爵家からは絶縁されてしまったの。ベイル様に婚約破棄されたおかげでね」

「……ふぅん、そうだったのね。それは、お気の毒に」

「思ってもない癖に。……まぁいいわ。それにしてもだけど。あなた、無警戒にもほどがなくて?」


 両手を上げて肩をすくめたフィールは、呆れ顔でわざとらしく息を吐いた。

 

「私とあなたは犬猿の仲。私が会いに来たら、普通は警戒するものでしょ? それなのに、一人でノコノコ出てくるなんて……。私に襲われるとか、そういうのは考えもしなかったの?」

「考えなかったわ。だってあなたは、そんなこと絶対にしないもの」


 問われてから答えを口にするまでに、まったく間を置かない。

 即答してみせたアンバーの顔は堂々としており、まっすぐな自信に満ちていた。

 

「ここで私を襲えばどうなるか――そんなことを考えられないほど、あなたは馬鹿じゃない。それは私がよく知ってるわ」


 公爵夫人であるアンバーは、貴族の中でもかなり高い地位にいる。

 

 高位の貴族を襲う行為は、通常よりも重い罰を課せられることになる。

 ここでもしアンバーを襲おうものなら、フィールに待っている未来は無期懲役か死刑だろう。

 

 フィールは利口だ。

 ハイリスクを冒してまでアンバーを襲うなんてことを、彼女は絶対にしない。いくら嫌っているとしてもだ。

 

 付き合いが長いアンバーは、フィールがどんな人間なのかをよく知っている。

 だから、確信を持ってそう断言することができた。

 

「偉そうに……! 上から見下ろして!!」


 勢いよく立ち上がったフィールから、ナイフのように鋭く尖った視線が飛んでくる。

 

 肩は小刻みに上下し、唇はプルプルと震えていた。

 ブラウンの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 

「私は生まれながらに完璧だった……完璧だったのに! あんたに出会ったせいで、私の人生めちゃくちゃよ!! 返してよ……! 私の人生を返して!!」

「ひどい言いがかりね。あまりに暴論過ぎて、びっくりしちゃったわ。……ねぇ、フィール。あなたもしかして、私にそれを言うためにわざわざここまで来たの?」


 フィールは何も答えない。

 強く唇を噛んだあと、バツが悪そうに視線を外した。

 

(図星……か)

 

 フィールの沈黙が何を意味するのかが、アンバーには分かっていた。

 気まずそうにしている彼女の反応が、そうだと認めているようなものだった。


「それで、どう? 吐き出せてスッキリした? 私に言いたかったことはもうおしまい?」

「……」

「それならすぐに、ラーペンド王国へ帰ることね。あなたにはまだ、やれることがあるはずでしょ? 強力な力を持つ聖女である、あなただけにしかできないことがね」

「…………私に、国を救えって言いたいの?」


 見開かれたフィールの瞳に見つめられる。

 

 そこに映っているのは、怯えや諦め。

 後ろ向きな、マイナスの感情ばかりだった。

 

「この危機を救えば、あなたは大聖女よりもずっと上の存在――言うなら、救世主としてあがめられるはずよ。フィールという名前は、未来永劫まで語り継がれることになるでしょうね」

「そんなの無理よ。だって私は、特別じゃないんだもの……あんたとは違ってね。できるはずがないわ」

「いいえ。そんなことない」


 消えてしまいそうなくらいに弱々しい雰囲気のフィールに、間髪おかずに即答する。

 アンバーのその顔は先ほどと同じように――いや、先ほどよりもずっと、大きな自信で満ちていた。

 

「……どうしてそう言えるのよ」

「そんなの簡単よ。負けず嫌いで執着心が強くてネチネチしている嫌な女で……それでいて、とっても努力家。それがあなただもの。こんなところで諦めるはずがない。そんなのは私のたった一人のライバルだった、フィールじゃないわ」

「――!? ライバルって。あんた、私のことをそんな風に……」


 下を向いたフィールは、拳を強く握った。

 

「どこまで遠い存在なのよ……。まったく、嫌になっちゃう」

 

 フィールの顔が上がる。

 

 口元には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 憑き物が落ちたようにスッキリとしている。

 

(やっと元に戻ったわね)


 それは、自身に満ちあふれている、いつもの見慣れたフィールだった。

 やっぱり彼女は、こうでなければいけない。それでこそ、アンバーのライバルだ。

 

「ありがとう――なんて言わないから」

「別に欲しくないわよ。あなたにお礼を言われるのは、なんだか気持ち悪いもの。鳥肌が立っちゃいそうだから、こっちから願い下げよ」

「相変わらず口の減らない女ね。……それじゃあね、元大聖女様。せいぜい幸せになりなさいよ」


 背を向けたフィールが、部屋を去っていく。

 

 アンバーは微笑むと、その背中へ向け、「上から目線はどっちだか」と呟いた。

 次に会うときは、必ず文句を言ってやろうと思う。

 

******

 

 リゼリオとの共用の寝室。

 

 アンバーとリゼリオは、大きなベッドの縁に横並びで腰をかけている。

 先日起こったフィールとの一件を、リゼリオへ報告していた。

 

「俺がいない間に、そんなことがあったのか」

「はい。勝手ながら、対応いたしました」


 報告を終えると、リゼリオは満足そうに頷いた。

 

 リゼリオとは密着状態になっており、隙間はほとんどない。

 間近で見る彼の顔は、やっぱりものすごくかっこよかった。

 

 何回も見ているというのに、未だにドキッとしてしまう。

 

「懐の広い最良の対応だ。素晴らしいの一言に尽きる。流石は、俺の妻だ」

「あ、ありがとうございます……」


 体温が一気に急上昇する。

 

 愛の告白をされてからというもの、リゼリオはたびたび、アンバーのことを『俺の妻』と呼ぶようになった。

 その際には毎回、「俺の」という部分を強調している。

 独占欲がそうさせているのだろうか。

 

 そんな新しい呼び名だが、呼ばれたのはまだ数回ほどしかない。

 

 だからアンバーは、まだ慣れていなかった。

 呼ばれると、嬉しいと同時に、どうにも恥ずかしくなってしまう。


 リゼリオの顔を見ていられなくなったアンバーは、赤くなった顔を俯かせる。


「可愛らしい反応をする。流石は、俺の妻だ」

「もう! からかわないでください!」

「からかってなどいないさ。本心だ」


 微笑んだリゼリオが、アンバーの頭をそっと撫でる。

 大きな手から伝わってくるのはたっぷりの優しさと、溢れんばかりの深い愛情だった。

 

 

 聖女の力を失ったとき、アンバーは深く絶望し後悔した。

 でも今は、そうなって良かったと、心から思っている。

 

 そのおかげでこうして、最愛の人に出会うことができたのだから。

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