第16話 塩を撒く

「バカにしてるの?」

「バカにしているのは翼だろ?」


 切り返すと、翼と呼ばれた女性はあきらかに意外そうな顔をした。まさか反論してくるとは思わなかった、そんな風に目が揺れる。だからだろう、なにか言い返そうとした唇は震えるだけで止まる。そのすきに護が言った。


「古臭い和菓子屋だとさんざん言っていたよな。継ぐなんてバカみたい、って。次男だからと思ったのに外れくじひいたとかなんとか。自分のキャリアはここで終わった、とか」


 聞きながら、「あー……」と摩利は心の中でうめく。


 護は翼に対して負い目があった。

 だから翼の母親の介護も結婚前から買って出たし、翼の言い分をまるっと飲んでカフェスペースを作ったり、二世帯住宅に関しても生活しずらいことこの上ない設計でもそのまま進めた。


 そこまで譲歩し、彼女に寄り添ったのに。

 あっさりと梯子を外して遁走されたら。


(護さんみたいな態度になるわなぁ……)


 しかも、翼の態度を見るに、付き合っているころの護というのは翼に対して冷たい態度も反論もしなかったのだろう。


 だから。

 こんな取材しごととはいえ、こうやって堂々とやって来れるわけだ。


(翼さん、まさかと思うけど、歓迎されるとでも思ってたのかな……)


 いや歓迎まではないとしても「久しぶり、元気?」「へえ! すごいな、夢をかなえてライターになったんだ!」「またちょくちょく会おうよ!」ぐらいは言ってもらえると思っていたのかもしれない。


「なんか、フェブ3のチャンネルで紹介されて以来、人気らしいじゃない」

 翼は強引に話題を替えた。


「フェブ3?」


 いぶかし気に護がおうむ返しする。摩利も「はて」状態だったのだが、翼の視線を追って気づく。


 そこにはあのユーチューバーたちの写真と色紙が飾ってあるからだ。


「ああ、おかげさまで」


 護はあくまでそっけないし、摩利に対しても「すみませんが、お茶を出してもらえますか」と言わない。商店街の主人たちが来たらいつも申し訳なさそうにそうお願いするのに。


 いまはまるで「早く帰れ」と言わんばかりだ。


「それでうちの編集長が取材に行って来いって。ほら、私……」

「よく来れたな」


 知らない仲じゃないじゃない、と続けた翼の語尾を護はぶった切る。ひぇと摩利は小さく声を漏らしたが、翼はあっけにとられたように目を丸くしたまま無言だ。


「取材か何か知らないけど、うちは必要ないから。帰って」

「いや、あの! それは……、え、だって『SAR☆G・Ⅼ』ですよ⁉」


 つい摩利は口を挟んだ。


「そりゃ『るるぶ』とかみたいに全国紙じゃないですけど、『SAR☆G・Ⅼ』ですよ⁉」


 なかには新装開店とともに自分から取材をお願いしたりするところもあると聞く。役場に勤務していた時も、子育て中のお母さんたちはよくこういう雑誌を参考にして行動を決めたりしていた。


「新たな客層にも訴えられるかもしれないですし。こうやってほら、取材も来てくれたわけですし……」

「頼んでない」


「そ、そりゃそうですが。それにほら、護さん、ビジュアルもいいから。こう、和菓子を手に持って一緒に写真に写ったら、マダムのファンも来ますよ⁉」

「マダムやおばあちゃんは元から来てるし。なんなら太客だし」


「そ、そりゃそうか……。えー……。そんな、護さん」


 摩利は素早くショーウインドーに近づき、護の肘を引いて背を向けさせた。

 つま先立ちになって護の耳元で囁く。


「あんまり冷たい態度は……。その、ライター仲間同士のつながりもあるでしょうし。変な噂流されて、変な記事書かれたら」

「だったら名誉棄損で訴えます」


 ばちりと言われては、「ぎゃふん」と言わざるを得ない。


「わかった、帰るわよ」


 それでもどうやって護の意思決定を揺さぶろうかと考えていたら、背後から投げやりな声をぶつけられた。


「別にこっちだって。編集長に行けって言われたから来ただけだし。こんな一発屋みたいな和菓子屋取材したいわけじゃないのよ」


 おそるおそる振り返ると、翼は腕を組んで鼻を鳴らした。


 あれ、と思ったのは。

 怒り狂ってなかったからだ。


 なんとなく摩利の頭の中では頭から湯気を吹き上げるぐらい顔を真っ赤にし、憤怒の表情で地団太を踏み「覚えてなさい!」とでも言い捨てて出て行く。


 そんな翼の姿だったのだが。

 護と同じぐらいの冷めたい感情を迸らせて立っている。


「帰るわよ」

「あ、そうだ。待って」


 護がそんなことを言うから摩利はちょっとほっとした。「ま、写真掲載とかそんなぐらいならいいよ」と言うのだろうか。


 護はひょいと手を伸ばし、すでに包装済みの菓子折りをひとつ手に取って紙袋に入れた。


「これ、編集長さんに。このたびはご縁がなく残念です、とよろしくお伝えください」


 ショーウインドーから出てくると、ぶっきらぼうに翼につきだすから、「あ、終わった」と摩利は内心がっくりと肩を落とした。


「伝えるわ」

「一字一句間違いなく、ね」


 護が言うと、翼は無言で紙袋を奪い取った。


「あと、今日来たのはこれもあるのよ」


 翼は受け取った紙袋を椅子に放り投げると、代わりにやけに大きなカバンを取り上げた。

 あの黒いビニール製のものだ。


「まあ、いろいろあったし、なんだかんだあったけど」

 翼はぐい、とそのカバンを護に突き付けた。


「私だって護の……というかこのカフェが軌道に乗ったみたいでうれしい気持ちはあるのよ? これ、遅くなったけど開店祝い」

「いらない」

「これっ」


 手を出そうともせず完全拒否の護を、摩利はつい子どものように叱ってしまった。


「それはそれ、これはこれですよ。お祝いを断るのはいけませんっ」


 護はそれでもぶすっとした顔で眉根を寄せていたが、しぶしぶ手を伸ばし、まるでばい菌でもさわるようにバッグの把手をつまんだ。


「え、ちょっとこの人だれ? 護のなに」


 翼はきれいに弧を描く眉を跳ね上げて摩利を見た。そしてくすりと笑う。


「ってか、なんか私の知らない護になってるんだけど。ひとって付き合う人間で変わるのねぇ」

「だからさっさと出て行ってくれてうれしいよ、ぼくは。それよりこれなに」


 護が不機嫌にうなると、翼は笑った。


「絵。私が描いたの」


 ああ、と護は納得する。摩利もそういえば出て行った若嫁さんは絵が趣味で新居に絵を飾るスペースがあるということを思い出した。


 今度、由真と一緒に飾る絵を探そうとしていたことも。


「新築祝いよ。西洋画だからこの店内じゃ浮くかもね。新居のスペースにでも飾っておいてよ」


 それに対する護の答えは、心底迷惑そうなため息だった。


「あ、飾りましょう。ね、護さん。飾ろう、わー。楽しみだなー」

 摩利は両手を合わせてわざとらしくはしゃいだ声を上げる。


「ルイさんにも見てもらいましょう、意外に気に入るかもしれませんよ?」

「そういえばあの人どこなの? 施設にでも入った?」


 きょろきょろと翼は店内を見回して尋ねる。


「デイサービスに行ってる。まだ在宅で生活してるよ」

「ふぅん。大変そ。じゃ」


 翼は言うと、ビジネスバッグと手土産を持って店を出て行った。

 途端に護が動き出すから何事かと思ったら、製菓スペースから塩の入った壺を手に持って戻って来るからぎょっとする。


「ま、護さん⁉」

「塩を撒かないと。縁起が悪い」


 ばっさばっさと護は店内と言わず店外まで塩を撒きまわった。

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