第29話 子どもは覚えたての言葉を使いたがる

「おねえちゃん、みてみてー、かんなとつくったっ。きょうこちゃんはヘタっぴだった」

「おはなぼうし! おひめさまのやつなの!」


 柚樹くんと柑菜ちゃんが息を弾ませながら差し出してきたのは、ついに完成したらしい、カタバミの花冠であった。不揃いな花びら、不格好に結ばれた茎――だけど、それが愛おしくてたまらない。二人ともこっそり連れて帰りたい。そしてミャーは既に僕の膝の上でおねんねしている。こっそり連れて帰りたい。


 そして当然、僕以上に愛おしさを溢れさせているのが、実のお姉ちゃんである。


「すっごーい! よくできたねー!」


 サンダルを履いて庭に屈み、双子に視線を合わせる結菜ちゃん。二人のサラッサラな髪をこれでもかと撫で回している。僕の器の大きさを褒めてくれた時とはまるで違って、ちゃんと心がこもっている。棒読みじゃない。


 しかし、この二人の愛おしさはこんなもんじゃない。こんなもんでは終わらせてくれない。ナデナデされ中の双子は一度顔を見合わせた後、二人息ピッタリでぴょんっと飛び跳ね、


「きゃっ――え……?」

「「はいっ、おねえちゃんがおひめさま!」」


 花冠を結菜ちゃんの頭にポンと置き、これまた息ピッタリに声を合わせるのだった。


「…………っ……ちょ、もーっ! 嬉しすぎるぅ!! ありがとー、柚樹、柑菜ぁ!」


 しばし声を詰まらせた後、喜びを爆発させて、二人をギューッと抱きしめる結菜ちゃん。サプライズプレゼントが大成功してキャッキャキャッキャと大喜びする柚樹くんと柑菜ちゃん。

 よっし、さすが僕。一部始終をちゃんと動画に収めてた! バイト中の豪樹に送りつけてやろっと! これを生で見てたことに対する嫉妬を頂戴するぜ!


「ねーねー、いったは、どうおもうー?」


 姉の薄い胸の中から柚樹くんが問いかけてくるので、もちろん僕も素直に答える。


「すごいよ、ホントによくできてる。さすが僕の柚樹くんと柑菜ちゃんだな! あとミャー」


 しかし、薄い胸の中の柑菜ちゃんは不満げに、


「ちがうよ、いったー。おねえちゃん。おねえちゃんのおひめさますがた、どうおもうの?」

「それは、まぁ」

「どう思うんですか、一太」

「あれ? 何か突然ハキハキした問いかけが聞こえたぞ?」


 ここで素直に「綺麗」と答えてしまうとプロポーズしたことにされてしまうし、かといって、言葉を濁してしまっては可愛い双子を傷つけてしまう。究極の二択、では全然ないな、うん。僕の可愛いチビたちを悲しませるなんてありえないからな!


「うん、めちゃくちゃ綺麗だよ! 結菜ちゃん、本物のお姫様みたいだ!」

「でしょー? おねえちゃんはねー、いったのおひめさまなんだよー?」「よかったね、おねえちゃん!」


 よし、これでいい。あとは適当に流すだけだからな!


「……一太さんのバカ」

「は?」


 何だこいつ、なにいっちょ前に頬染めてんだよ。目ぇそらしてんだよ。たまにそういう不意打ち乙女リアクションされるとドキッとしちゃうだろ。

 何となく君の乙女のツボもわかってきたけど。これからは踏まないように気をつけないと好きになっちゃう。


「おねえちゃん、かおまっかー」「あんぱんまんだー」「ミャー……」

「はい、お口チャック。あ、あははっ、でもホントすごいと思いませんか、一太さん!」


 カタバミ姫は潤んだ目を誤魔化すように笑顔を作り、照れ隠しバレバレのハイテンションで続ける。ちょっと好きになっちゃった。


「カタバミでもこんな綺麗な花冠ができちゃうんですね。あたし、知りませんでした。うちのチビたち、天才すぎません? 将来は芸術家かなー」


 ほんとそっち方面に目覚めてほしい。郷土の遺伝子を覚醒させないために。


「そうだ、一太さん。夏休みに入ったら、今度はクローバーや他のお花なんかもある場所にみんなでピクニックに行きませんか? お兄ちゃんが自然系の穴場には詳しいので」


 それはたぶん、人目につかず喧嘩できる場所を探し回った末の副産物なんだろうけど、まぁあいつの兄としての威厳のために言わないでおこう。


「それはもちろん。僕なんかがいて邪魔にならないなら絶対行くよ」

「やったー、いったとピクニックー」「おねえちゃん、さんどいっちつくるー? かんなたちもてつだうー」


 結菜ちゃんは双子の頭をナデナデして「ありがとー! お手伝いえらいねー」と褒めながら、ミャーをナデナデ中の僕に向き直り、


「ようやくお母さんにも紹介できますね。一太さんには幼稚園のお迎えまでお任せしちゃってますし、母もぜひ挨拶したいと言っていて」

「確かに何度も晩ご飯ご馳走になっちゃってるし、家主のお母様にはご挨拶しないとね」

「彼女さんも連れてきていいですからね?」

「怖すぎる」

「もちろんお客様ですから、手ぶらでオッケーですとお伝えください」

「震え止まらん」


 もはや郷土パワーとか必要なかったんだわ。微笑んでるだけで怖いわ。むしろこのダンジョンの真ボスこっちだったわ。あの脳筋兄貴、ただの噛ませだったわ。


「ダメ! 一太をイジメないで!」


 その時だった。僕とラスボス姫の間に石鹸の香りが割り込んできた。両腕を広げ、僕に背中を見せて立ちふさがる黒髪ロングの幼なじみ幼女お姉さん――橘京子だった。なぜ背中に土が付くのか。幼児って不思議である。


「うふふ、大丈夫だよ、京子ちゃん。あたし、一太さんのことイジメてないからね? 大人のお話していただけなの」

「うそだもん! 一太ブルブルしてるもん! 一太はおとなじゃないもん! きょうこよりもこどもだもん! 9にちも!」


 それにしても……こんな光景を前にしていると、さすがにノスタルジックな気分になってくるな……。


 双子と結菜ちゃん、そして僕がわちゃわちゃしている間、ついつい京子を放っておいてしまったわけだが……彼女は平気そうな顔を作って、ただただ僕の様子を眺めていた。本人は、「見守って」いたつもりなのだろう。


 ――昔から、京子はこうだった。


 僕と違い、活発で好奇心旺盛で社交性も高い子であったけど、決してガキ大将タイプではなく、常に僕の一歩前にいることだけを好んだ。年齢からすると大人びた子だったし、そう扱われることを求めている子でもあったから、大人たちもあまり京子に構うことはなかった。それは信頼の証でもあったわけだが……本人は内心、寂しい思いをしたこともあっただろう。それでも彼女は決してワガママは言わず、泣くことも拗ねることもいじけることもない、「えらい子」だった。


 ただし、それもこれも全て、ある条件下を除いて、の話だ。僕に何らかの危機が迫ったとき、京子はただの「えらい子」ではなくなる。目には炎が灯り、口からは攻撃的な言葉も飛び出る。大人にだって平気で反抗する。


 全ては、僕を守るために。


「一太は、なきむしだけど、やさしいからそれでいいの! よわむしじゃないんだもん! おとなだからって、一太をおこっちゃダメ!」

「……確かにそうだね。ごめんなさい。あたしが悪かったみたい。京子ちゃんは、本当に一太くんの立派なお姉さんなんだね。あたしも京子ちゃんを見習って、強いお姉さんになれるよう頑張らなくちゃ」


 京子の必死さを見て取り、結菜ちゃんも方針を変えてきた。決して子ども扱いすることなく、神妙な顔で応対する。確かに、ませた子ども相手には、甘い声音と笑顔でヨシヨシあやすよりも、こちらの方が効果的だろう。このお姉さん(十四歳)、幼児への対応力が高すぎる。精神科医より頼りになる。


「うん! がんばってね!」


 そしてまんまと乗せられる幼児(十七歳)(五歳)。とても満足げなドヤ顔を浮かべていた。むっふーとしていた。背中の土はそっと落としておいてあげた。


「もうだいじょーぶだよ、一太。わるものは、きょうこがたいじしてあげたからね!」


 回れ右して、僕に向き直る京子。いつも以上に距離が近い。というか――幼児化したことで思い出したが――昔の距離感はこうだったのだ。十七年間僕にベッタリな京子だけど、物理的には微妙な変化もあったのだと気付く。


「うん。いつもありがとう、京子。僕は京子がいないとダメダメだからね」


 僕も立ち上がって、京子にちゃんと向き合う。


「いいのっ。一太はやさしいんだから、そのままでいいのっ」


 ここで当時の京子のようにナデナデしてくるのかとも思ったが――そうはならなかった。

 京子は、両手を後ろ手に組んで、なぜかモジモジとしていた。もしかして、立ち上がってしまったからか。心は幼女モードなのに僕の方が身長が高いという状況に脳がエラーでも起こしてしまったのかもしれない。


「それでね、一太、あのね、」

 僕がおもむろに体を屈めようとした、そのタイミングで、

「はい、これ! 一太にプレゼント!」


 バッと、両手を差し出してくる京子。その指先に摘ままれていたものは――、


「え。京子。これって」

「うん! クローバー! よつば! 一太にあげるね!」


 薄ピンクのほっぺ、弾ける笑顔。そこにこれ以上なく映えるのは、綺麗な手で掲げられた、鮮やかな緑色。


「あ、ありがとう」

「うん!」


 言われるがままにそれを受け取り、じっくりと眺める。四つの楕円にそれぞれ入った白い模様が愛らしい。


 ――記憶がフラッシュバックする。


 そういえば昔も、幼なじみの女の子が――いつも大人ぶっている京子が、顔と服を泥だらけにして、四つ葉のクローバーを見つけてきてくれたことがあったっけ。

 そもそも、それが幸せの象徴なのだと僕に教えてくれたのも、君だったんだ。


 そして、記憶の中のそれと、今僕の目の間にあるこれ。その二つは、どう見ても……。


「…………」


 僕はさり気なく結菜ちゃんに目配せをする。結菜ちゃんは、驚愕を通り越して、もはや呆れたようなため息をつき、


「……クローバーですね、間違いなく。何こんなところで奇跡起こしてくれてんですか、あなたの幼なじみさん」


 クローバーだった。幸せの象徴だった。

 でも、単なる奇跡で片付けていい話じゃないのかもしれない。京子とずっと一緒にいて、ずっと守ってもらってきた僕だから知っている。京子は昔から、誰よりも頑張り屋さんだったのだ。クールで大人な女性を気取っているけど、僕のことになると、なりふり構わず突き進んでしまう、最強お姉さんなのだ。


「えへへー。じつはね、テントウムシさんにきいたら、おしえてくれたんだー」


 単なる奇跡だった。そして結局ナデナデされた。


 そんな僕たち二人の様子を見て、柚樹くんと柑菜ちゃんも目を丸くしていた。ミャーはいつの間にか庭に転がる京子のローファーを見つけて頬をスリスリしていた。やはり血の匂いに反応しているのかもしれない。こわい。


「きょうこちゃん、ホントに、いったとなかよしなんだー」「おねえちゃんより、きょうこちゃんのほうがなかよしなのー?」

「うん、きょうこが一太のいちばんだもん。こんど一太に、せっくす、させてあげるんだー。せっくすで一太をきもちくさせてあげるの。きょうこは一太のおねえさんだから」

「せっくすってなにー?」「かんなも、いったとせっくすするー」

「あ、見て見て! オニヤンマだよ!」

「えっ、オニヤン――みゃんっ!?」


 一瞬の出来事だった。結菜ちゃんが指差した方向を見上げる柚樹くん・柑菜ちゃん、そしてもちろん京子。その隙に京子の脇までサッと移動した結菜ちゃんの足から、とんでもない速さの回し蹴りが、京子のお尻に繰り出されたのだった。スパァンッ!! って鳴った。忍者のような素早さと、刃物のような切れ味だった。京子は叫び声を上げて、その場に崩れ落ちていた。目で追うのすらやっとだった。


「えー、どこどこー?」「いないよ、おねえちゃん」

「あら、ごめんね、柚樹、柑菜。お姉ちゃんの見間違えだったみたい」


 そして次の瞬間には、双子の後ろに寄り添い、肩に手を回している結菜ちゃん。後ろで呻く新しいお友達の姿を見せないようにしているのだった。


 怖すぎる。

 兄の攻撃は鈍い音を立てて押し潰してくるタイプだが、妹は鋭く刺してくるタイプだった。結局、実質的にほぼほぼ刃傷沙汰になってしまった。果たして豪樹はこの女を守るために喧嘩を始める必要があったのだろうか。実はむしろ、軽く小突かれるだけで済んだという男達こそが豪樹に助けられたと言えるのかもしれない。


「大丈夫か、京子……」「ミャーオ」


 このタイミングでミャーが駆け寄ってきたのが不穏すぎる。さすがに出血はしてないよな……?


「きょうこ、なかないもん……っ、きょうこがイタいのは、一太をイタいからまもったあかしだから……っ」


 やめてくれ、心がイタい。

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