第23話 刑務所へ

     23 刑務所へ


 和服の人はこの場を去り――私はただ立ち尽くす。


 聴きたい事まだあったのに、私は和服の人をひき止める事さえ出来ない。

 呼吸はまだ乱れていて、頭の中はグチャグチャだ。


 白い人の打倒を決めたというのに、私は早くもその志を失いつつあった。


「……だって、私は、知ってしまったから」


 成尾響は、人間と言う物の恐ろしさを、痛感した。

 私は偶々、平和な国に生まれたに過ぎない。


 平和な環境に守られながら成長したが為に、人の本性に気付く事がなかった。

 でも、違ったのだ。


 今の私は、その辺りを歩いている赤ん坊連れの主婦さえ、恐ろしい。

 彼女も一皮むければ、どこまでも残忍になると、想像してしまったから。


 私は今になって、人間と言う物が何なのか、知ってしまった。

 人は、環境に左右される生き物だ。


 平時であれば、大抵の人間はその環境に適応する。

 誰かを傷付ける事など、積極的に考えたりはしない。


 勿論法律が人の縛っている、という側面もあるだろう。

 法と言う秩序がなければ、例え平時でも、人はその悪意を発散しかねない。


 だが、それでも、戦時よりはマシな筈だ。

 戦争は、本当に、人を悪魔に変える。


 あらゆる残虐行為が認められ、それを推奨さえされるのが戦時だ。

 敵を殺す為ならあらゆる手段が肯定され、人は人を人として扱わなくなる。


 人権や尊厳や道徳や倫理は思考の隅に追いやられ、彼等は人を玩具の様に扱うのだ。

 今は、単に、平和だから人は人らしく振る舞える。


 だが、私には人間と言う物が、悪魔の予備軍にしか思えない。

 街を行きかう人々も、戦時に追いやられれば、その本性を露わにする。


 そう連想してしまう私は、だからこうまで震えているのだ。


「……本当に、人間って、何なの? 

 こんな邪悪な生き物が、この世に存在して良い? 

 私達は何の為に、生きているって言うのよ――?」


 本当にそれが分からなくて、私はただ怯えるだけだ。

 完膚なきまでに人間不信に陥った私はとにかく救いを求めていた。


 人の悪性を目撃した私は、きっとそれを否定してもらいたいのだ。

 だが、普通の人間にそれは、出来ない。


 人間全てを潜在的な悪だと見なしている私は、もう彼等の言葉を真っ当に聴けないから。

 彼等が語る美辞麗句は、それこそ綺麗事だ。


 地獄に地獄を積み重ねてきた人間が、何をどう言おうとも、己の所業は否定できない。

 彼等の言葉には説得力など微塵もなく、何れ悪へと傾斜する前振りにしか聞こえない。


 本当に、私は、知らなかった。


 人の世と言う物が、これほど薄氷の上にある物なのだと。

 何かが少し狂っただけで、この国も、戦禍に巻き込まれるだろう。


 その時、果たして私は、人間らしく振る舞える? 

 周囲の人々が悪魔となって国を守れと謳った時、私はそれに抗えるか?


 先人達には、それは不可能だった。

 国は祖国の為と嘯きながら、民衆を兵士に変えたから。


 民衆に敵兵を殺す事だけを教育し、それが当然の状態に追いやった。

 自国民以外は人間扱いせず、自分達が楽しむ為の娯楽に貶めたのだ。


「………」


 いや。

 それでも私は、そういう人間ばかりではなかったと、信じたい。

 人を殺す事や凌辱する事が、あの時代の〝当たり前〟だと思いたくないのだ。


 その状況下にあっても、心を痛めていた人はきっといた。

 悪魔になりきれず、だから自分の行いを恥じていた人々はいた筈なのだ。


 私の思考は、漸くそう考えられるまで、回復した。


 でも、まだ足りない。

 私はちっとも、安心できない。

 

 成尾響は、人を救う為に白い人と接触するつもりだった。

 けど、何時の間にかその目的は、変わりつつある。


「……もしかしたら、白い人なら、その答えを知っているのかもしれない」


 人が、悪をなす理由。

 こうまで悪魔めいた真似をしながら、なぜ人間は赦されてきた?


 人はもうとっくの昔に、滅びるべきなのではなかったのか?


 それ等の疑問を解消する為に、成尾響は白い人の足取りを追う。

 私はもう、白い人を倒すとか、そういう事は考えていない。


 私はただ救いを求める様に、電車とバスを使って――最寄りの刑務所に向かったのだ。


     ◇


 刑務所前の停留所に着いたそのバスを――私は降りる。


 高い塀に囲まれたそこは、一種の要塞だ。

 戦国時代なら、難攻不落の城として重宝されただろう。


 だが、今はもうその機能は停止されている。

 多くの受刑者を収容する筈だった刑務所は、半ばもぬけの殻だ。


 刑務所人口の多数派を占めていた受刑者は、もう刑務所には居ないから。

 すでに釈放された受刑者は、恐らく政府が用意した居住区に向かった筈。


 そこで政府の監督を受けながら、受刑者達は生活する事になるのだろう。

 刑務所と違う点は彼等に自由がある事。


 恐らく外出や外食、情報収集や労働の自由さえ彼等には与えられている。

 つまり一般人と、殆ど変りが無い生活が送れるという事。


 きっと門限位はあるだろうが、規制と言える物はそれ位だ。

 ガイドラインが曖昧な為、ヘタに受刑者の行動を制限すると受刑者に迷惑をかけた事になる。


 そうなれば、政府の人間の方が死にかねない。

 もともと彼等の釈放は、そうなる事を恐れたが故に決まった事だ。


 即ち――受刑者は普通の生活を送るチャンスを得た。

 そのチャンスをどう活かすかは――彼等受刑者次第だろう。


 この状況に胡坐をかいて、調子に乗れば、今度は彼等の方が不利な立場に追いやられる。

 羽目を外し過ぎて誰かに迷惑をかければ、受刑者の方が死にかねない。


 正直、私には受刑者達がどうなるかは、ハッキリ分からない。

 今はただ、彼等の良識を信じる他ないのだろう。


 いや。

 私の目的は、別にある。


 受刑者は受刑者でも、私が知りたいのは死刑囚の所在地だ。


 私はそれを知る為に――堂々と刑務所に乗り込む事にした。

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