第3話 破鏡





「何だ!」


「閣下、失礼いたします」


クラウスミレにも何回か見たことがあるフリードリヒの副官だった。 許可を得てからドアを開けた副官はフリードリッヒに節度のある敬礼をした。


開いているドアの向こうからは、普段の将校会館では全く感じられなかった騒がしい音が聞こえてきた。クラウスミレは静かに席を立ち、ゆっくりVIPルームの端に向かって歩いた。今はフリードリヒの仕事の話なんか聞きたくなかった。


「いったい何事だ! 誰も邪魔するなと言ったはずだ!」


「恐れ入ります、閣下。今ラウンジで喧嘩が起きています」


フリードリヒは口をあんぐりと開けた。


徹底した訓練と規律で鍛え上げられた誇り高き帝国軍の中でも、その意志と精神の真髄のみ集めたといえる士官だけが立ち入りできるこの神聖な場所で喧嘩だとは……


しかもよりによって、彼が参謀総長の座に就いたこの記念すべき日に!


「喧嘩なんて、名誉ある帝国軍の休憩施設であるラウンジで喧嘩をするなんて、それがありえるというのか! 一体何があったんだ!」


フリードリヒの怒号がVIPルームの内に響き渡った。しかし、副官は無表情な顔で淡々と報告を上げた。


「お恥ずかしいお言葉ですが、精鋭なる我が海軍の將兵たちと、卑劣で狡猾な陸軍の連中が、喧嘩をしているようです」


そういえば…


ドアの向こうから聞こえてくるあの騒ぎは、確かに若い男性たちの怒鳴り声が行き交う音だった。


ラウンジでは、帝国軍の栄光の未来をを背負っている若くて血気盛んな陸軍と海軍の棟梁の材たちが、お互いに向かって❛長年に渡る慣習的な呼称❜で呼び合いながら、その勇猛さと情熱を❛ほんの少し過激な形で❜見せつけていた。


「この陸軍の野良犬どもが!」


「何だと、この雑魚どもが!」


「雑魚…だと?貴っ様、 かかってこいや! ぶっ殺すぞ!」


「てめえがこいよ! この臆病者め!」


その騒ぎにフリードリヒは眉をひそめた。

海軍と陸軍の対立が昨日今日のことではないが、どうしてよりによって今日あのバカどもは暴れているのだ。


「そうか! これは我が栄転に泥を塗ろうとする卑劣な陸軍の陰謀だな!」


「......大変恐縮ですが、ただの酒の勢いで喧嘩になったのではないかと」


「そうか、ハイネの野郎。何としても俺のおめでたい日をただでは見過ごせないというわけだな」


副官は静かにため息をついた。


「……どうやら、静かに話を交わすのは無理のようだ…な…… スミレ、クレウスミレ?」


「婚約者の方はさっき部屋を出て行かれましたが。」


「いや、こ、婚約者じゃなくて……それより、出て行ったって、どこに?あそこへ?」


「はい」


さっきまでクラウスミレがいた所には、いつの間にか、空っぽのワインボトルだけが寂しく転がっていた。

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