第24話


         ※


 姉が現れたのを見て、僕は自分が一種の催眠状態にあるのだろうと思った。いや、そんな大層なもんじゃないな。寝ぼけているのか。

 彼女の存在はおろか、彼女が生前何をして、何故命を落としたのかを、誰かに語ったことはない。

 僕と姉を捨てて離婚した両親の前でさえ、僕は姉のことは口にしなかった。

 こんな連中に話すことで、自分の中の姉のイメージが崩れてしまう。それが怖かったのだ。


 僕はそのまま、立ち去り行く姉の幻影を見つめ続けた。追いかけようとは思わない。

 きっと姉なら、『あんたが来るのは早すぎるよ』と苦笑交じりに言うだろう。

 必然的に僕は、お姉ちゃんっ子になってしまっていたし。


 精神的な意味で、姉から離れなければ。ずっとそう思ってきた。上手く乗り越えられたかどうか、正直自覚はない。

 いずれにしても、僕は死去した時の姉とは同い年になった。


「僕も二十三歳、か……」


 ここで区切りをつけよう、生前の姉の偶像に甘えるのは止めよう。

 そう思った矢先に遭遇してしまったのが、ジュリだ。

 僕は彼女の前でいい格好をしたいと思っている。何故なら、ジュリが姉によく似ていたからだ。僕の無意識下にあった理想の女性像を、ジュリは読み込んでいたのかもしれない。


 しかし、それは恋心から発展したものではない。そのことが、今の僕にはよく分かる。

 自分が誰かを選り好みするのではない。自分が自ら憧れる人物のようになることを目標にするんだ。

 ……眠っているにしては、随分と頭が回っているな。僕が自身に疑念を抱き始めた、その時だった。


 ピシン、と澄んだ不思議な音が、治療室に広がった。何だ?

 僕がむにゃむにゃと口を動かし、目玉を回転させていると、ふっと姉の姿が歪んだ。


 いつの間にか姉は振り返り、何かを叫んでいた。まったく音にはなっていなかったが、口の形で伝わってくる。


「に、げ……ろ……?」


 そう呟いた直後、僕は何かに突き飛ばされた。


         ※


 最初は、それこそ姉本人に蹴とばされたのかと思った。だが、現実世界には姉はもういないはず。となると、僕に暴力を振るったのは――。


「やめろ、ジュリ! 何があったんだ!?」


 ジュリが答える前に、治療室の強化ガラスが一瞬でひび割れ、木端微塵になった。さっきの澄んだ音は、ガラスにひびを入れる音だったのか。

 月明かりを受けて、無数のガラス片が煌めく。そして、対照的に真っ黒なコンバットスーツを纏った人影が窓から飛び込んできた。

 人数は四人。全員が、高機能自動小銃の短縮型を手に、流れるように踏み入ってくる。


 館内の非常警報が鳴り響き、何故かスプリンクラーが作動。天井の四隅に配置されていた赤色灯があたりを照らし出し、僕は再び恐慌状態になりかけた。


 誰か援護に来てくれるのだろうか? 確か、窓側の反対、すなわち出入口側には見張りの隊員がいたはずだが。

 僕が身を竦ませている間に、四人の敵は瞬時にフォーメーションを構築した。

四人が二人ずつに分かれ、僕とジュリの頭部と胸部に狙いを定めている。


 こんな絶望的な状況でも、ジュリは『生きること』を諦めようとはしなかった。というより、今がピンチなのだということすら思っていなかったかもしれない。

 ひゅるり、と手先から糸が伸び、一瞬でピンと張り詰める。

 しかし襲撃犯も、ジュリのこの戦闘術を知っていたのだろう。縦横無尽にステップを踏んで、踊り舞うように回避。敵ながらあっぱれだ。


 加えて、コンバットスーツの防刃性には驚かされた。敵は全員が、無防備な万歳の姿勢を取ったのだ。そこを横薙ぎにしていくジュリの糸、そして触手。

 だが、通用したのは端にいる一人だけ。それも軽傷の様子。自動小銃を握るぶんには支障がないようだ。


「なっ!」


 そんなに高性能な防具を着用していたとは。もちろん、僕たちの知ったところではない。

 しかし、実際に懸かっているのは僕とジュリの命だ。何かしなければ。

 口にするのは簡単。だが、今の僕には武器がない。つまり、戦いを挑んだところで瞬殺される。無駄死にだ。

 ジュリを放って自分だけが逃げ出すのは論外。そんなことは、絶対にしない。


 僕がぐっと奥歯を噛み締めた、その時だった。

 治療室のドアがスライドし、誰かが倒れ込んできた。視界の端でそれを捕捉。その姿に仰天して、僕は叫んだ。


「優太郎!? どうしてこんなところに……!」

「なぎ、ひ、と……」


 僕の名を呼んで、優太郎は苦しげに、自らの血の池にばしゃり、と倒れ込んだ。

 そちらに駆け出そうとした僕を、ジュリの糸が引き留める。

 そうだ。ここで敵に背を向けるわけない。


 再び襲撃犯の顔を見上げる。するとバイザー越しに、どこか一点を見つめていることに気づいた。

 優太郎の次に倒れ込んできたのは、警視庁直属の実戦部隊の一人。彼もコンバットスーツを着用していて、襲撃犯と同じ意匠が肩にあった。


 自衛隊、警察、そして僕たち。

 今ここは、三つの組織が互いを削り合う殺伐としたキルゾーンとなっていた。


 誰がどっちの組織の下で戦っているのか? そんなことはどうでもいい。

 確かなのは、最初に突撃してきた四人は敵であること。ジュリだけでは勝ち目がないこと。そして優太郎が、自らが倒れる直前に、自分の得物を僕に向かって滑らせてきたこと。


 いったい何だ? この銃は。対人兵器、なのだろうか。

 普段なら、こんなところで悠長に品定めをしている場合ではない。だが、僕がこの銃を手に取った瞬間、襲撃犯の中で奇妙などよめきが生じたのは事実だ。


 やってやる。僕にだって、守りたい人が――たとえ生まれた星が違っても――いるんだ。

 僕が銃把を握ると、ジュリの糸が発する光のお陰で、この銃の全貌が明らかとなった。


「散弾銃か!」


 耕助に教わった通りの、典型的な散弾銃。敵を殺害する、というより、物体と見做して破壊する、とでも言うべき暴力性を感じる。


 まだ残弾があるはずだ。その弾数で、残りの敵をすべて叩き潰す。

 ポンプアクション式の散弾銃に、がしゃり、と音を鳴らして初弾を装填。立ったままぶっ放した。


「うおわっ!?」


 あまりの反動に、僕は二、三歩後退りした。しかし、倒れ込むほどではない。

 発せられた弾丸は、銃口の先にいた敵を軽々と吹っ飛ばした。身体を『く』の字に折って、横たわる。

 もしかしたら、これほどの威力のある銃器を使ったから、優太郎はここまで来られたのかもしれない。


「次だ!」


 僕は自分が、どんどん破壊衝動に囚われていくのが分かった。表皮がひりひりして、真っ黒に染まっていくようだ。

 でも、知ったことか。ジュリを傷つけようとした罰だ。必ず仕留めてやる。


         ※


 窓ガラスを割って侵入してきた四人は、今や一人になっていた。

 防刃性と防弾性には密接な関係があって、どちらか片方ばかりのスキルを上げるのは困難であるという。

 諭してくれたのは耕助だった。つまり、散弾銃が僕の手に渡ったことで、襲撃してきた連中は一気に窮地に立たされたのだと言える。


「畜生! こうなったら一人でも道連れに……!」


 そう言いながら、最後の一人が手榴弾を取り出した。だが、腕が震えてピンを抜くことができない。


「貴様!」


 最後の一発にありったけの殺意を込めて、僕は躊躇いなく引き金を引いた。

 ズドン、と腹の底から震え上がるような爆音を響かせ、吹っ飛ばされた襲撃犯。狙いをつけすぎたせいで目が痛んだが、敵の頭部がスイカのようにはじけ飛んだのは理解できた。


 僕はその死体に向かい、唾を吐きかけた。

 見たか、僕の力を。僕だって、やろうと思えばできるんだ。

 警察? 自衛隊? 知ったこっちゃない。かかってくるなら僕を殺してみろ。いくら束になってかかってこようが、お前らが僕に勝てる日は来ない。


 アルコールで酔っぱらったかのような、それにしては薄暗いような。

 そんな不可思議な感覚に浸ったのも数瞬のこと。僕の腰に、何かが巻きついた。ジュリの触手に違いない。


「ジュリ! やったぞ! 僕にだって人を殺すくらい、簡単にでき――」


 と、言ったところで、僕は無理やり身体を半回転させられた。ちょうど、ジュリと鼻先が触れそうになる。

 正面で見たジュリの顔は、いつにもまして凛々しいものだった。

 いや、違う。

 鋭く攻撃的な表情を浮かべていた。


 凛々しさと攻撃的であることの違い。それはたった一つ。目の前に敵がいるか否かだ。

 困難に立ち向かう時、それは凛々しさとして周囲の人間に受け取られるだろう。

 攻撃的であることもまた、困難に立ち向かう意志を表しているかもしれない。だが、そこには『憎しみ』というおぞましい影の部分が付きまとう。


 ジュリにはもう、相手の額に触手を当てる必要はない。この星の誰とでも一緒に、意思疎通が可能になってしまったのか。

 そしてその時には僕は、自分がジュリの理想に沿うとか、互いの幸福を願うとか、そんな理想像は灰塵に帰したように思わされていた。

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