第21話


         ※


 ずばん、と大雑把に空間を切り裂くような音がした。轟音が降ってくる。絵梨の近くでコンクリートの砂塵が跳ねまわる。

 

 逃げろ! とか、頭を守れ! とか、何かしら言葉を発せられればよかったのだろう。

 天井が崩落しかかっているのが、僕からも見て取れたのだから。

 なんなら、僕が自分の身を呈してでも。

 しかし、それは叶わなかった。


 土台無理な話だったのだ。

 僕には、『力』がない。元からそうだった。運動だろうが射撃だろうが格闘だろうが、何もかもが誰かに劣っている。それを如実に表す出来事が、今日だけで二つも発生してしまった。


 一つは、ついさっきまで行っていた射撃訓練。僕は、コーチ役の耕助を超える腕前ではない。これに関しては仕方がないだろうと諦めがつく。なにせ、拳銃こそが耕助にとっては命を預ける仕事道具なのだから。


 もう一つは、絵梨が話してくれたことの中にある。耕助が熊を返り討ちにした件だ。これまた職業柄、耕助にはできて僕にはできないこと。日々、大学の講義の後に夜中まで戦闘訓練をこなしている耕助と同じことを、一朝一夕で習得できるはずがないだろうとは分かる。


 これらの物事が、別々に発生したならなんの脅威にもならなかっただろう。

 僕はそう思った。思い込もうとした。だが、しかし。

 自分の卑小さをすぐに頭から引き剥がせるほど、僕は大人ではなかった。

 その事実が、余計に僕を苛立たせる。


 耕助には、想い人である絵梨のためにできることがたくさんある。

 それに比べて僕ときたら、大学に通うことさえ困難になっている。怠惰で間抜けな大馬鹿野郎だ。

 僕が講義に出席するかどうかは、実際に皆に影響を与えるわけではない。

 分かっている。分かっているんだ。


 それでも僕は、僕という人間を許せない。こんな自分、在っていいはずがない。

 これではまったく――。


「――ジュリと釣り合いが取れないじゃないか」


 そう口にした途端、僕の心に火がついた。

 上階で何が起こっているかは分からない。だが、今は僕と絵梨が危険な状態にある。

 この期に及んで人助けをしたいと思うなら、目先にいる他者を守るしかない。

 絵梨を無傷で救出するのだ。何が起ころうと。耕助ほど上手くはなくても。


 タンッ、と僕は右足で床を蹴った。次は左足。その次は右足。それを繰り返す。

 ふと見上げると、再び不吉な振動が天井にひびを入れていくところだった。

 

「絵梨! 絵梨!!」


 立ってくれ。自分の足で立ち上がってくれ。後は僕が手を引いて――。

 しかし、これまた現実にはならなかった。


 特大のコンクリート片が、絵梨の頭蓋を粉砕しようと迫ってくる。

 それが突如、空中分解した。後に残されたのは、砂となったコンクリート片を頭から被った絵梨だった。


「……え?」


 絵梨のみならず、僕もまた状況を呑み込めなかった。しかし、現実をしっかり把握する必要はあるだろう。いったい何があったんだ?

 一瞬、ほんの一瞬だけ、僕の目は何かを捉えていた。僕の直感と動体視力が正しければ、コンクリート片は突然バラバラになったのではない。凄まじい速度で斬り刻まれたのだ。


「チッ」


 続いて聴覚に刺激が入る。今度は視覚より明瞭だ。特大の舌打ちが聞こえてくる。

 誰何するより早く、僕はその犯人に向かって叫んでいた。


「何をしているんだ、ジュリ!!」


 両想いになった知的生命体同士にしては、あまりにも殺伐として残酷な口喧嘩が始まろうとしていた。


         ※


 恐怖のあまり、立ち上がることもできずに震える絵梨。

 その頭上から、ジュリの声が聞こえてきた。


「ナギヒト、どうして止めるの? この女は、あなたを殺そうとしたんだよ?」

「ばっ、馬鹿を言うな! 絵梨はそんな残酷なことはしない!」

「だったら、今のナギヒトの顔に傷を負わせたのはどこの誰なの?」

「それは……!」


 僕は言葉に詰まってしまった。理由は単純で、ジュリの言葉には事実しか含まれていなかったからだ。

 そっと耳の上あたりに手を遣ると、まだ生暖かい。出血が続いているのだろうか。

 とにかく反論しないわけにはいかない。実際に僕は絵梨に殺されたわけではないし。


「でも聞いてくれ、ジュリ! 絵梨はパニック状態だったんだ! そこにたまたま拳銃があっただけで、絵梨に僕を傷つけてやろう、なんて考えはなかったはず――」

「ふぅん?」


 すると、再び砂塵が舞った。天井に空けた穴から、ジュリが下りてきたのだ。

 射撃場として使われているだけあって、この部屋の天井は高い。十メートルは優にあるだろう。そんな場所からの飛び下りを、違和感など一切感じさせずにジュリはやってのけた。

 確かに、床面にクレーター状の凹みはできてしまったけれど。


 片膝と両手を床につき、砂塵の向こうで立ち上がったジュリは、いつの間にか絵梨を引っ張り上げていた。無理やり立たせて、自分は背後から絵梨の首に腕を伸ばす。いや、腕を糸状にして絡ませる。

 やろうと思えば、いつでも絵梨の首を斬ることができる。今日一番のプレッシャーが、僕を苛んでいた。


「ジュリ、君はどうしてこんなことをしている? 目的は何なんだ?」

「目的?」

「そ、そうだ! もし絵梨を殺傷してしまったら、君は罪人、じゃなくて罪宇宙人だ! 君のそんな姿を、僕は見たくない!」

「私は構わない。それよりもあなたの身の安全の方が大事」

「そんな……」


 きっとジュリは、二人で遊園地に行こうという僕の提案さえも忘れてしまっているかのようだ。

 彼女の方からリクエストしてきたものだから、僕は嬉しくてたまらなかった。

 彼女のためと思えば、いくらでも詳細なデートプランを練り上げるつもりだった。


 それなのに。


 動きようによっては、ジュリはこのまま絵梨を殺害してしまうかもしれない。

 僕が一歩後ずさった、その時だった。

 僕の後方から、ちょうど頭上を通過する軌道で何かが投げ込まれた。

 あれは――。


「閃光手榴弾か!」


 僕は慌ててしゃがみ込み、膝に自分の頭部を押しつけ、さらにその上から頭部を庇うように自分自身を抱きしめた。

 間一髪、僕は目をやられずに済んだ。だが、次の危険はエレベーターシャフトから迫ってきていた。


「全員伏せろ! その場で腹這いになって、両手を後頭部で組むんだ! 早く!」


 その声は男性のもの。そして僕には馴染みのあるものだった。しかし耕助のものではない。

 僕と耕助以外の男性が乱入してきたのか? いったい誰が――。


 困惑した僕の後方から、今度は暴力的な音が飛んでいく。紛れもない銃声だ。

 耕助が僕に、熱心に操作を教えてくれた拳銃のもの。

 それも一丁ではない。三丁……四丁? 誰が何の目的でこんなことをしているのか、皆目見当がつかない。


 恐怖と混乱の最中にあって、僕は背中を誰かに触れられ、びくっと全身を震わせた。

 しかし、発せられた言葉は相変わらず知人のもの。


「凪人、大丈夫か? 怪我はないか?」

「優太郎……? あ、あんた、藤野優太郎なのか?」

「そうだ、俺だよ。君らを救出しにきた。このまま伏せていてくれ」


 そばでかちゃかちゃと音がする。弾倉を交換しているのだろうか。


「優太郎、お前がどうして……」

「お前と接点があったからだよ、凪人。幼馴染だからな」

「ここにいた皆は……ジュリは無事か? 絵梨は?」

「きちんと話すから、もう少し待っていてくれ。お前が『ジュリ』と呼称している生物を無力化する」


 はっとした僕は、勢いよく立ち上がった。


「無力化だって? ふざけるな! お前ら、そう言ってジュリを殺すつもりなのか? そうなんだろう? そんなこと、今すぐ止めさせろ! 優太郎、お前の権限で――」


 と言ったところで、僕の方が行動不能にさせられた。視線を下げていくと、優太郎の膝が僕の鳩尾にめり込んでいるのが見えた。


「がッ! ぐは……」

「少し黙っていてもらうぞ、凪人」


 こうして僕は、意識を手放すこととなった。

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