木漏れ日を浴びながら、涙茉は縁側で眠っていた。


「…………さん、涙茉さん」


 名前を呼ばれている気がして、涙茉はゆっくりと目を開く。

 結雁が、涙茉の顔を覗き込んでいた。


「わひゃっ」


 驚いて、涙茉は情けない声を出してしまう。

 その様子が、結雁には可笑しかったようだった。


「ふふ、驚かせてしまいましたか? すみません、涙茉さんにお聞きしたいことがあって」

「だ、大丈夫です……聞きたいこと、ですか?」


 上体を起こした涙茉はふと、着物の袖が捲れていることに気が付く。

 手首が晒されていて、まずい、と思った。

 反射的に手首を隠してしまい、その不自然な動きに結雁は怪訝な顔をする。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……その、」

「もしかして、怪我でもしてしまったんですか? 見せてくださいますか」

「あ……」


 結雁の厚意を無下にしたくなくて、涙茉は逡巡の後で彼へと自らの手首を晒した。

 幾つも刻まれた真っ白な傷跡に、結雁は目を見張る。


「これ……もしかして、自分で」

「あ、いや……違、くて」

「違う……」


 結雁の目付きが、険しさを帯びていく。


「誰に、やられたんですか?」


 結雁の言葉は確かな怒気を孕んでいた。温厚な彼がそんな声を出せることを、涙茉は知らなかった。

 涙茉がぽろぽろと涙を零し始めるものだから、結雁は慌てたように謝罪する。


「ごめんなさい、決して、涙茉さんを傷付けたかった訳ではなかったんです。軽々しく尋ねてしまって、本当に申し訳ありません……」

「違う、のです」


 涙茉は泣きながら、幸せそうに微笑った。


「結雁さんが、わたしのために怒ってくれたのが……嬉しかったのです」


 結雁は呆然と、瞬きを繰り返して。

 それからそっと、涙茉の黒い髪を撫でる。


「もう、大丈夫です。貴女の側には、俺がいますから。涙茉さんを傷付ける者がいたら、俺が絶対に許しませんから……」


 結雁のそういう優しさが、涙茉は好きだった。


 *


 結雁が涙茉に聞きたかったことというのは、涙茉の誕生日だった。

 二人は縁側に並んで座りながら、話をする。


「え……ええと、結雁さんと出会った日が丁度、誕生日でした」

「そうだったんですか……!?」


 結雁は目を丸くしてから、がっかりしたように微笑う。


「出遅れてしまいました。少し先のことだったら、こっそり贈り物を用意しておこうかと思っていたんですが」

「え、そんな、気を遣っていただかなくて大丈夫ですよ……!」


 涙茉の言葉に、結雁はそっと首を横に振る。


「気遣いとか、そういうものではなくて。ただ……渡したかった、だけなんです」

「え……」


 どういう意味なのだろうか、と涙茉は思った。

 期待は勝手に膨らんでしまう。

 涙茉と同じように、結雁が恋心を抱いてくれていることを、想像してしまう。


 でもその期待は、ぱちんと弾けた。


 涙茉は〈蠅〉だから。

 不浄な〈蠅〉に恋してくれる人間なんて、いるはずがないから。

 流れきったと思った涙がほんの少しだけ溢れそうになって、けれど結雁にこれ以上心配を掛けたくなかったからどうにか堪えた。


「……その気持ちだけで、嬉しいです」


 微笑んだ涙茉に、結雁は少しばかり顔を近付ける。


「涙茉さんは、気持ちだけで満足してしまいますか?」

「え……?」

「そのですね、つまり」


 結雁は照れくさそうに、淡く目を伏せる。


「……これから、遅れを取り戻すかのように贈り物をしたら、迷惑でしょうか」


 涙茉は一瞬何を言われたかわからなかった。

 わかった頃には、口が勝手に「迷惑では、ありません……!」と告げていた。

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