第30話 キッチンは聖域

 買い物をするという名目で、百貨店を訪れた日から一ヶ月後。


 カエルは鳴き止み梅雨が明けようとする時期。


 早朝、勇者トールの住まいにて。


 たこ焼きを満喫した(一人例外有り)一行は、トールの読み通り、各々好きな物を購入していた。


 カルファは、コスメランキングトップのデパコスと言われるブランド物の化粧品一式に、メイク道具全てが入っているLEDライト付きのメイクボックスを。


 ドンテツは地元の酒蔵が手掛けた日本酒と自宅で刃物を研ぐ用の砥石各種。


 チィコに関しては、たこ焼き屋【はっちゃん亭】のマスコット、はちまきを額に巻いた【ハッチンのぬいぐるみ】を、トールを含めた大人組にプレゼントしてもらっていた。


「このファンデ、ブルベの私にはぴったりですね。しかも、キメが細かいのなんの! 舞香にも褒められたんですよね♪」


「その白いのがいいのー? ボクにはあんまりわかんないかなー、カルファって元々肌白いしさ」


「褒めて頂きありがとうございます! ですが、元々白くても、もっとよくなりたいと思うのが、女性のさがですよ?」


「ふーん、そういうもんなのかー……ボクにもわかる日が来るかなー?」


「ふふっ、必ず来ますよ」


 カルファはリビングテーブルで化粧道具片手に笑顔咲かせ、チィコはそれを隣で興味深そうに見つめている。


「なんていうか、あれやね。女の子は変わるもんやね」


「ああ……本当にそうだの。まさか、化粧っ気の全くなかったカルファがあそこまで、身なりに気を使うようになるとは……まぁ、女の子というにはいささか歳をくっているような気もするがの」


 それをトールはキッチンから感慨深そう見つめ、ドンテツもまたその隣で自分の淹れたコーヒー片手に呟く。


「ふふっ、女の子はとか思ったけど、男の子もやね」


 トールはドンテツの様子を見て笑みを浮かべる。


 確かにドンテツも変わっていた。


 そう、あれだけお酒が好きで、朝でも構わず飲んでいたのに、出勤前には飲まなくなっているのだ。


 世界の命運を分ける戦いであろうが、酒を飲み鉄を鍛え、仲間と大騒ぎする。


 これが今までのドンテツだった。


 それがどうだろう。


 今や日本の就業ルールに基づいて働いている。


「ま、まぁの。雪ちゃんにも迷惑掛けられんからの……もう、朝の酒は休みのみだな」


「ふーん、雪ちゃんね」


「なんだ? 何か言いたげだの」


「いいや、仲良きことはええことや」


 ドンテツが変わったのは、月乃屋商店の看板娘、月乃雪子と接したことも関係していた。


 どの種族も惚れた相手には、カッコよく見られたいし、よく思われたい。


 つまりは、恋は全てを変えるわけだ。


 ちなみにドンテツと雪子の仲はお互いをテツさん、雪ちゃんと呼ぶような間柄となっている。


 とはいえ、恋愛関係というには程遠い。


 友達以上、恋人未満といったところだろう。


「う、うむ……」


「って、朝ご飯の支度せんとな」


 トールはそういうと朝食の準備を始める。



 ワークトップに置かれたまな板の上には、解凍された海老が二十尾ほどあり、その横に、熟れたアボカドが二個。


 マヨネーズ、塩コショウ、うま味調味料、からしなどの調味料関係が並べられ。


 後ろのトースターでは、パンが二枚焼かれている。


 今日の献立は、海老アボカドのサンドウィッチ。


 前日の買い出しで、アボカドと海老が特価だった為、このメニューにしたのである。


 もちろん、口は悪いが気遣いオカン級なオカン系勇者。

 栄養バランスについてもばっちりだ。


 トールは慣れた手つきで、海老の殻を剥き、包丁を器用に使い腹ワタ背ワタと取っていく。

 それが終わるとあらかじめ用意していた塩水の張ったボールに入れる。


 その間にまな板を洗い、キッチンペーパーで拭くと、アボカドを捌いていった。


「いつ見ても、見事な手捌きだの」


「まぁ、慣れやね。好きって言うものあるし」


「うむ。好きか、それは一番大きなことかも知れんの」


「ドンテツ! トール様の邪魔をしてはいけませんよ?」


「邪魔などしておらん! ちょっと気になっただけだ!」


「あーわかるー! ボクもトールがキッチン立つと隣で見ちゃうんだよねー」


「うむ、そんな感じだの」


「夢中になってくれるんは嬉しいけど、ドンテツ、皆の分のコーヒーも淹れてくれる?」


「お、おう! 少し待ってくれよ」


 突然指示が飛んできたことに、ドンテツは慌てて持っていたコーヒーを飲み干す。

 そして空となった銅製のコップをシンクの横に置く。


「あ、ブラックなんやから、ついでに洗ってしもて」


「う、うむ」


 ドンテツは太い指で慣れないながらも、その指示に従いコップをすすぎ洗う。


 調理をしながらも、目を光らせていたトールはドンテツが洗い物を終え瞬間に次の指示を出す。


「あ、チィコはミルクコーヒーね。コーヒーが1、ミルクが10の分量でお願い! コップは狼柄のおっきいやつをつこて」


「コップが狼でミルクが10で、コーヒーが1……」


「それと、カルファは砂糖が苦手やから、パントリーの上段にあるキビ糖を入れてくれる? コップはえーっとどこやろ?」


 口を動かしながらも塩水にさらしていた海老を流水ですすぎ、予め用意していたキッチンペーパーで水気を取る。

 その流れで、食器棚を開けコップを探す。


 その動き、戦場を駆けた勇者……ではなく、キッチン戦場を制す勇者オカン


「ト、トールよ。少し、いいかの――」


「あった、あった! 誰やねん……食器棚の奥に入れた人は、やなくて、ほい! 弓矢が印字されてる木製のコップね! これがカルファのやから。いや、それくらいは知ってるか!」


「トールよ……少しいいかの?」


 キッチンの中を縦横無尽に動きまくる。そんなトールを前に、ドンテツも額から汗を流し何度も声を掛ける。


 だが、その間にも動きは止まることなく、調理を進めていった。

 


 ――チン!



 トールはトースターの音が鳴ったと同時に、動きを止めた。


「おー、パン焼けたな! ええ匂いに、焼き加減! 完璧や」


 キッチンのワークトップには、海老アボカドの入ったボールと、何も置かれていないまな板と包丁がある。


 もう、調理を終えたのだ。


「トールよ!」


「ん? どしたん? 大声なんか出して……」


「すまんぬが、始めから言うてくれんか。もう何が何やら儂にはわからんかった」


 ドンテツは知らなかったのである。

 キッチンの側に立つということは、自然と戦力して数えられることを。


 それを知っていたからこそ、カルファは注意をし、チィコはわかるといいながらも、近寄らなかったのだ。


「もう、しゃーないな……これ運んでくれる?」


 打ちひしがれるドンテツに差し出したのは、海老アボカドのサンドウィッチ。


「ぬぉっ?! いつの間?!」


「いつの間って、君が悩んでる間にやで?」


 ドンテツはいつもダイニングの窓際から、トールの手捌きを見ていたので気付かなかったのだ。


 皆、変わったという本人こそが一番変わった。

 いや、カルファの言葉を借りるなら、深化していたのだ。オカンとして。


「まぁ、慣れてへんことはできんくて当然やから、そんな気にせんとな」


「うむ、そうだの」


 もう二度、キッチンという聖域には足を運ばないと決めたドンテツと、その様子を見て、自身の判断は間違っていなかったと思ったカルファであった。

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