第41話 初恋幼馴染と距離感

 シャッ、カリカリカリ…………

 シャ、シャァッ――――


 二月十五日、土曜日。

 バレンタインであり姫奈の誕生日の翌日。その昼過ぎ。


 涼太の部屋では、ノートにシャープペンシルの芯を走らせる音が静かに響いていた。


 涼太は自分の学習机で。

 姫奈は昼前からやってきて、部屋の真ん中に置かれた折り畳み式の円形の座卓で勉強している。


 とはいっても、部屋に筆記音を奏でているのは九割方涼太で、姫奈の手は動いている時間よりも静止している時間の方が多いようだった。


 いつもなら、この辺りでギブアップした姫奈が、床にゴロンと寝転がりでもするところ。


 しかし、今日の部屋はとにかく静かだった。

 雑談の一つも起こらない。


 それもそのはず。

 今月下旬には学年末テストが控えているのだ。

 高校一年生最後の通知表が決定される以上、手を抜くことは出来ない。


 二人共が目の前の課題に集中しており、他のことなんて気にしていられない……ワケでは、残念ながらなく――――


((き、気まずいっ……!!))


 思い切り雑念に塗れていた。


 涼太はシャープペンシルを必死に動かすのは、問題を解くことで少しでも気を紛らわせようとしているだけで、一ミリたりとも冷静ではない。


(あんな夢見たあとでヒメと二人きりはキツすぎる……! ってか、こういうときに限って何でヒメ静かなんだよ!? 俺どんな顔してれば……!?)


 と、涼太が苦悶する一方で――――


(あぁ、もう……私バカみたい。別に私が見た夢のことリョウ君にバレるわけでもないのに変に意識しちゃって気まずくなって……)


 姫奈は手元からチラリと涼太の背中へ目を向けた。

 視界には、静かに集中して手を動かす涼太が映る。


(ふぅ……よし、切り替えよう。別にどんな夢を見ようが私の自由だし)


 真剣な涼太の姿を見て、姫奈は冷静さを手繰り寄せた。

 そして、先程から解法が見えずにいる問題のヘルプを頼むことにする。


「ねぇ、リョウ君」

「な、何でしょう……?」


 少しぎこちない挙動で、涼太が顔を振り向かせた。

 姫奈は特に違和感を覚えることなく言う。


「ここ、さっきからわかんなくて」

「あ、あぁ……」


 涼太は椅子から腰を上げると、ゆっくりした足取りで姫奈と机を挟んだ対面の位置に立ち、ひざを折って中腰になる。


「どこ?」

「コレ。この△ABCの面積を出す問題」

「えっと、それは……」


 涼太は少し前のめりになって姫奈の問題集を覗き見た。


 △ABCの三辺の長さだけが与えられているときに、その面積を求める問題のようだ。


 涼太は中腰になったまま、右手に持っていたシャープペンシルを指示棒代わりにして口で説明する。


「三角形の面積は二辺の長さとその間の角がわかれば導出出来るワケだから、どこの角でも良い。まずはそれを求めてから――」

「――え、えっと? 二辺の長さと間の角を求める……?」


 姫奈はよくわからなさそうに首を傾げる。

 浮かび上がる疑問符に、涼太は「だから――」と再度説明を試みるが、言葉だけの説明では姫奈を理解させることが出来ない。


 おまけにいつもより早口。

 姫奈はそんな涼太の様子を少し不思議に思った。


(リョウ君、いつもなら隣に来て、書きながら丁寧に教えてくれるのに……今日は、何か距離がある?)


「――ってな感じだ。わかったか?」

「全然わからない」

「えぇ……」

「うぅん……リョウ君、こっち来て教えて?」


 姫奈は自分の隣の床をポンポンと叩いた。

 向ける視線が上目遣いになるのは、姫奈が座っていて涼太が立っている位置関係のため仕方がない。


 涼太は一瞬身体をビクッと震わせて固まる。

 姫奈の知る由のないところで、ドキドキと心拍数が正の傾きの二次関数グラフを描いていた。


「リョウ君……?」

「わ、わかった……」


 姫奈の成績が悪くなるのは涼太の望むところではない。

 仕方ない、と涼太は諦めていつものように姫奈の隣に移動して、ゆっくり座った。


(拳、二つ分……)


 姫奈は右隣で胡坐をかく涼太との彼我の距離を目算していた。


「じゃあ、ちょっとノート借りるぞ、ヒメ」

「うん」

「まずは余弦定理を使って、そうだな……角Aにするか。その値を出す。次に、出した余弦の値を正弦に直して、最後は1/2bc sinAに代入――」


 涼太は口で説明しながら、その過程を簡易的な図を描き途中式を連ねていく。


 これぞいつも通りの教え方。

 流石の姫奈も「なるほどぉ」と首を縦に振っていた。


 しかし、姫奈には気になることが一つ。


「ねぇ、リョウ君」

「え、まだ何かわかんなかった?」

「ううん。そうじゃなくてさ……」


 姫奈は涼太にジッと視線を向ける。

 涼太は数秒間目を合わせていたが、すぐに居たたまれなくなって視線を逃がした。


 続いて姫奈は床を擦るように移動して距離を詰めた。

 拳二つ分あった間合いはなくなり、ピタリと互いの膝が触れ合う。


 しかし、次の瞬間には涼太が後退りしてしまった。

 二人の距離は、拳三つ分より離れている。


「今日、どうしたの? 距離感感じるんですけど」

「……ちょっと、諸事情が」

「諸事情?」


 姫奈が首を傾げると、涼太は気まずい表情を浮かべた。

 逃がしていた視線を一度姫奈に戻してはまた逃がし、何か訴えるように戻しては、やはりまた逸らす。


「リョウ君?」

「う、うぅん……えぇっと……だな……」


 涼太は額に手を当てて考える。

 悩まし気に眉間にシワを寄せ、唸る。


 次第に顔に朱が差し始め、耳の先が熱くなる。

 羞恥心と罪悪感に押しつぶされながら、涼太は諦めたように大きくため息を吐いた。


 そして、土下座――ではないが、それに似たような格好で深く頭を下げる。


「すまん、ヒメ。謝らないといけないことがありまして……」

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