二話 女郎蜘蛛-1

 京一きょういちの洋菓子店での仕事が始まった。

 そうは言っても直接お菓子作りに携わるわけではなく、材料の搬入、運搬、仕分けやとにかく雑用が多い。

 それでも老夫婦二人だけの経営は大変なようで喜ばれた。



 店の名前は『ドラジェ』。

 初めて面接をするために来店するとふわりとバターの香りがした。


「いらっしゃいませ」


 奥さんの佐藤さとうあんが微笑んだ。

 初老の穏やかそうな女性だ。太陽のような笑顔を見て、京一はこのところ寒々としていた心がほぐれるのを感じた。

 机を挟んで座り簡単な顔合わせをするとすぐに働いて大丈夫、むしろぜひお願いしますと言われた。

 よかったら明日からでも来てほしいと言う杏にさすがにそれは勘弁してもらったがこれほどまでに歓迎してもらえるとは思わなかった。

 それにしてもドラジェとは何だろう、と京一は思った。

 ヒントがないかとそれとなく京一は店内を見渡す。店は全体的にファンシーなイメージでショーケースに入ったケーキだけではなく、さまざまな焼き菓子が置いてある。

 杏が立ち上がって言った。


「ちょっと待っていてね」


 そうして店の奥から籠のような容器に入ったお菓子を持ってくる。


「これはドラジェ。よかったら食べてみて」 


 白や黄、ピンクなどの小さな卵形の飴のようなものが入っている。色とりどりで綺麗だ。

 一つ口にしてみた。

 軽い歯応えがあって、口の中ですぐに砕ける。


「ドラジェっていうのはね、糖衣がけのお菓子のこと。これは中にアーモンドが入っているの」


 確かに優しい甘い味とアーモンドの食感が混ざっている。


「どう?」

「とても美味しいです」


 そう言うと微笑んだ。


「お口に合ったようでよかった」


 後ろで控えていた白雨はくうにもすすめると一つ手に取って口に入れた。目を細めて言う。


「甘くて美味しいです」


 甘いものには心を丸くする効果があるようだ。

 早くも京一はここが気に入った。

 紹介してもらってありがたい限りである。



 そして、数日後のある朝。


「おはよう」

「おはようございます!」


 京一が腹から力をこめて挨拶すると、もともと細い目をさらに細めて杏が笑う。


「今日も精が出るわね」

「おはようございます、杏さん」


 白雨がにこやかに挨拶すると杏も目尻を下げて言った。


「白雨くんもおはよう。ご飯にしましょう」


 洋菓子店は奥が住居になっていて佐藤夫妻が暮らしている。部屋に通してもらうとすでに料理が置いてある。

 ホカホカの炊き立てのご飯に玉子焼き、海苔に味噌汁。

 昔ながらの和食の朝ご飯だ。

 質素でごめんなさいね、という杏に十分すぎると京一は頭が上がらない。

 京一は佐藤夫妻の紹介で飛び起きて三分で店まで行ける場所にアパートをかりた。

 いろいろな経緯があり、現在はアパートで白雨と二人暮らしである。住みこみでもいいと言われたがさすがに男二人で他人の家でお世話になるのは気が引けた。

 そうは言ってもこうやって朝食まで用意して貰っている始末だが。


「食べ終わったら、京一くんは店の方に出てもらってもいいかしら。白雨くんは学校よね」

「はい」


 今日は平日なので当然のように白雨は頷く。

 もちろん嘘で人間ではない白雨は学校になど行っていない。

 詳しくは知らないが京一が仕事をしている間は外出しているようだ。



 支給してもらったエプロンをつけて調理場に入り挨拶する。


「おはようございます」

「おはようさん」


 低い声の無愛想な挨拶が返ってきた。

 店の主人、杏の旦那さんは金造ごんぞうという時代劇のような名前の人だ。洋菓子店の主人というよりは職人か和風の料理人であるかのような渋い顔をしている。

 普段は調理場から出ないらしいがたしかに店番をすることはないだろう。昔ながらの頑固親父という風貌はファンシーな店の雰囲気にはまったく合っていない。


「横山さんのところに配達に行ってくれるか。場所は覚えているよな」

「はい」


 横山は上品なご老人で以前荷物を運ぶついでに自宅まで着いて行った。

 腰が曲がっているがまだしっかりしているお婆さんでしきりに家に入って茶を飲んでいけと言うので断るのが大変だった。結局はしばらくお邪魔して全速力で店に帰ったわけだが。



 横山家まではそれほど離れていないので徒歩で運ぶことにした。

 壊れやすいものは入っていないが慎重にいかなければならない。


「ではいってきます」

「いってらっしゃい」 


 笑顔で手を振る杏に送り出されて京一は店を出る。

 数歩行ったところで人とぶつかりそうになる。


「とと。ごめん」


 女学生が店の外からショーウインドーを覗きこんでいた。


「……」


 無表情に京一を見上げる。


「……いえ」


 一言だけ口にしてなお店をじっと見ている。

 もしかしてお菓子を食べたいがお金がない……とかだろうか。京一は勝手に想像する。


「よかったらこれ」


 エプロンのポケットから京一はクッキーを取り出した。試食させてもらった葉っぱの形をしたそれはサクサクとして美味しい。おやつとしてもらったものだ。

 最初戸惑った顔をしたが女生徒は素直に受け取った。


「……ありがとうございます」


 間近で見た彼女の第一印象は真面目な子という感じだった。

 小さな顔にはサイズが不釣り合いなほど大きな眼鏡をかけていて、長い髪はうなじで縛っている。

 白いセーラー服は制服だろう。スカートは膝より少し下、紺の地味なスクールバッグにはキーホルダーの一つもつけていない。

 地味だがかわいい雰囲気の子だな、と思った。こんなことを思ったらセクハラだろうか。


「本当に、すみません」


 京一が黙って見ているからか女の子は頭を下げて再度謝った。


「いやいや別に謝ってもらわなくても」

「いえ。こちらの不注意でぶつかってしまって」


 どうやら本当に真面目な子のようだ。


「……お菓子もありがとうございます」


 ぎゅっと胸の前で握る。

 あまり強い力で握ると割れないか心配になった。


「……失礼します」


 そう言って女学生は去って行った。


「なんだったんだ?」


 しばらくしてから誰に言うともなしに京一は呟く。

 それからハッと思い出した。


「早く配達行かなきゃ」


 背を向けて歩き出す。




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