コンクールに向けて
第20話
「片付け時間かかりそうだから先行ってて」
「うん! 音楽室で待ってるね!」
夏鈴を教室に残してバタバタと外へ出た。
廊下を歩く生徒たちにぶつからないように地面を蹴り上げる。
一気に階段を駆け上がったから息が上がってとても苦しい。上がった心拍数を押さえつけるように呼吸を一度止め、空気を吐き出す。
大好きな第二音楽室の近くまで行くと、扉が少し開いていて、大好きな人の歌声が聞こえ始めた。
水嶋先輩が一人の時によく歌っているのは『春よ、来い』だ。きっと好きな曲なのだろう。しかし、その声はどこか寂寥感に苛まれているような声だった。
いつも透き通るような歌声を出す水嶋先輩からは想像のできない歌声。
水嶋先輩に気が付かれないようにこっそりと部屋の中に入り、しばらく彼女の歌声を堪能する。水嶋先輩はヘッドホンをしているからか、私に気がつきそうにない。
歌が終わると室内には静けさが漂い、窓の外にいる鳥がチュンチュンと鳴く声が聞こえ始めた。
窓側を見ていた水嶋先輩がこちらを振り返りそうになるので、胸が高鳴る。水嶋先輩は私を見た瞬間、体をピクッと動かしていた。
「いるなら言ってよ」
「すみません。水嶋先輩の歌に夢中になってました」
のったりと彼女の横に近づき、顔を見つめる。
最近、水嶋先輩を見ると心臓の動きや音を感じやすくなるようになった。
呼吸が少し苦しくて。
でも、体の中心はポカポカと温かくて、何にも形容できないこの感覚は嫌いじゃない。
水嶋先輩と過ごすとたくさんの自分を知ることができて、たくさんの新しい発見がある。
最初は一緒に歌いたいという思いだけでここまで来たが、こんなにもたくさんの幸せをもらえるとは思っていなかった。
「水嶋先輩、いつもありがとうございます」
「急になに?」
感謝の気持ちを伝えたかったのだけれど、水嶋先輩は上唇を尖らせて不満そうな顔をしてしまった。
伝えたいことの半分も伝わらないなんて、言葉って難しい。
「よく『春よ、来い』歌ってますけど、好きなんですか?」
「普通」
普通と言う割には一人の時はいつも歌っていると思う。だんだん声と表情が尖っていくので、話を変えることにした。
「今日からまたスタートですね」
「うん。少しでも気を抜いたら校庭三十周ね」
「げっ……厳しいですね」
「永野にはそれくらい必要だから」
「えー」と少し反抗的な態度で水嶋先輩を見ると、少しだけ口角が上がっている気がした。
ゾロゾロとみんな音楽室に集合し、部屋の中が少し狭いと感じる。窓から光が差し込んでいて、音楽室内を明るく照らしてくれる。
水嶋先輩を中心に大事なミーティングが始まった。
「今日から私と同い年の島田穂乃歌も部活に参加するからよろしく。穂乃歌来るの遅くない?」
「ほのちゃん、どうしたんだろうね。とりあえず、先に発声練習だけしておく?」
水嶋先輩が仕切って、奏先輩が補佐をするのが部活の流れになっていた。
響花ちゃんは大人しくコクコク頷いているし、律季ちゃんは相変わらず私を睨んでいるし、夏鈴はみんなを見渡して嬉しそうだ。
しばらくするとバタンと音楽室の扉が開く音が聞こえる。ツインテールを揺らす小柄な少女が音楽室に飛び込んできた。
「ごめん遅れたー!」
「初日そうそう遅刻とかやる気あるの?」
「奏、なんで理由話してくれなかったの?」
「サプライズの方が面白いじゃん」
先輩たちの楽しそうなコントが始まって、一年生は呆気に取られている。
そんな中から抜け出した穂乃歌先輩は真剣な表情に変わっていた。
「二年の
穂乃歌先輩は話しながらみんなに向かって頭を下げていた。
「許されることではないのはわかってる。たくさんの人にも迷惑をかけた。でも、合唱が好きだから、もう一度チャンスをください」
決意のこもったそんな声。
自分のプライドが傷つくのが怖くて逃げたと彼女は言っていた。しかし、そんなプライドを捨ててでも合唱をしたいくらい、彼女は歌うことが好きなのだろう。
部員のみんなはキョロキョロと顔を合わせて微笑んでいる。その様子に少しほっとした。
「一年のしつけ役を頼んだ」
「精一杯頑張らせてもらうよ」
今以上に厳しくなる要素があることに不安を感じたが、穂乃歌先輩の清々しい顔を見てそんなことはどうでもよくなった。今までの辛そうな顔や迷いのある顔ではなく、とても澄んだ顔。
そのことが自分のことのように嬉しくなってにやけてしまった。
「それで、使えない顧問の上村とおじいちゃんに廃部の取り消しを申し立てたけど、一度廃部と公表したものを変えられるほど、大人は融通が利かないらしい。私のせいでこうなってしまったのは申し訳ないけど、廃部を免れるにはコンクールでの入賞が絶対条件になるらしい」
その言葉に全員が顔を青くしていた。
穂乃歌先輩がおじいちゃんと言っているのは、この学校の校長のことだ。
みんな練習をしっかりするし、レベルが低いわけではないけれど、全日本合唱コンクールの県大会で入賞するというのそんな簡単な話ではない。
参加最低人数は六人。
参加条件は満たしているけれど、本番は八月の上旬で今は六月の中旬なので、残り二ヶ月を切っていた。
正直、時間が無い。
やっと人数が集まったと思えば、次はこんな大きな壁が用意されているらしい。
「そんなしんみりしない。やることやるしかないでしょ」
水嶋先輩はぱんぱんと手を鳴らしながら淡々と告げている。分かってはいるが、せっかく人数が集まったのだから廃部になるのは嫌だと思った。
「私もできることはやる。一年坊主たちも頼りにしてるよ。そして、償いってわけじゃないけど……」
穂乃歌先輩はすたすたと廊下の方に行って、一人の女性の腕を引いていた。
穂乃歌先輩の後ろに続いて入ってきたのは黒髪ロングで眼鏡をかけた暗めな女性だ。
制服を着ていないので生徒ではない……?
水嶋先輩は目を丸くしてその人物を見つめていた。
「指揮者必要でしょ。副顧問の
「副顧問なんていたんですか!?」
私はあまりに驚き過ぎて、バンと机を叩きながら乗り上げる。皆も驚いた表情をしていた。
「わ、わたし、帰ります……」
「小峰先生、いいからここにいて」
「ひぃっ。生徒怖い……」
あきらかに挙動不審でこんな人が指揮者なんてできるのかと心配だ。
その後、穂乃歌先輩は合唱部についていろいろ教えてくれた。
去年まで合唱に精通した顧問の先生が居たらしい。その先生が退職、合唱部の問題行動から廃部になることが決まったので顧問には適当に上村先生が置かれていたらしい。
そして、小峰先生はこの学校の合唱部出身の先生らしい。音大に通っていたくらい音楽には精通しているのに、その性格から部活動の担当にはなっていなかったとか。
みんな大丈夫なのだろうかという顔で小峰先生を見つめている。小峰先生は「ひぃっ」と言いながら穂乃歌先輩の後ろに隠れていた。本当に心配になるレベルだ。大丈夫だろうか……。
「みんな不安に思う気持ちは分かるけど、大丈夫だから」
そう言って穂乃歌先輩は小峰先生の眼鏡を外していた。眼鏡を外した瞬間、すっとした空気が横を通り過ぎた気がする。
「なにもたもたしてんだ! うたえぇぇ!」
「え?」「は?」「はい?」
第二音楽室には焦りや驚きの声が飛び交う。
小峰先生は刀を抜き取るように腰から指揮棒を抜き取り、振り回していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます