第七話「秘密と初挑戦の街歩き」
アイリが暴走し、それも収まってきた頃、フィーネは一つの提案を持ち掛けられていた。
「ずっと座学っていうのも疲れるし、ちょっと外で遊ばない?」
それは、外に行こうという提案だった。
「構いませんが、私お金持ってないですよ」
「払ってあげるから気にしなくていいよ! ほら、私って結構小金持ちだし」
照れながらもアイリが伝える。フィーネはどことなく納得した。こんなデカい街に若い頃から一人暮らしさせているんだ。それはもう、実家はお金持ちなのだろう。
「何か全部貰ってるばかりでお返しができてない気がします……」
「いいのいいの! フィーネは苦労してるんだから、私が贅沢させてあげる」
口角を上げて自慢げだった。ここまで言われては断る理由もない。せっかくだし、と甘えることにした。
「あ、ありがとうございます。あの……アイリさんも地理に詳しくないんですよね? 適当にぶらつく感じでしょうか」
「まぁ、そうなるね。それに遊びだけじゃなくって文字の練習もしてもらおうかな。お店で注文の時とかフィーネにやってもらうつもりだよ」
「……なるほど、それはいいですね」
フィーネは、どことなく緊張しつつも外出の準備を整えた。アイリと過ごす日々はいつも騒がしく楽しい。今日はどんな出来事が待っているのか、少しだけ期待が膨らむ。
二人共外に出る準備が終わると、家を後にした。街は相変わらず活気に満ちており、行き交う人々の声が賑やかだ。アイリが歩きながら行く先を決めるという気ままなスタイルに、フィーネは少し戸惑いを覚えつつも、どこか心地よさを感じていた。
「この辺りって、いつもこう賑やかなんですか?」
「んー、そうだね。この辺は商店が多いから、特に昼間はすごく混むんだ。観光客も多いしね」
アイリは周囲を見回しながら答える。その言葉通り、周囲には様々な露店や店舗が並び、それぞれが個性的な看板や飾り付けで客を引き付けている。フィーネは目を輝かせながら、所狭しと並ぶ品々を眺めた。
「あ、見て見て、あそこのパン屋さん! 焼きたての匂いがするよ!」
「本当ですね、美味しそうです……って、あ……」
アイリは匂いに誘われるようにパン屋の前で足を止めた。ショーケースの中を指差しながら、「これなんかどう?」とフィーネに提案する。
だが、フィーネは苦笑いをして返答をした。忘れてはいけない重要なことに気づいてしまったのだ。
――外のお店って言ったら、食べ物関連が絶対あがってくる。何で気づかなかったんだ……?
フィーネは食べ物を口にすることができない。その制約はこの場面において厳しかった。
「……ちょ、ちょっと別のお店にしませんか?」
「あれ? 嫌いなものでも入ってた? もしかしてフィーネって偏食?」
「…………そうですね」
冷や汗の滴る感触を覚えながらフィーネはニッコリと微笑んだ。
「意外だなあ。うーん……じゃあ練習の為にも私の分だけ頼んでもらおうかな」
「わ、分かりました。任せてください」
アイリは優しい。その優しさがあるから、突然の嘘も簡単に信じてくれる。そのことに感謝しつつ、フィーネは店の目の前まで行くとメニュー表を凝視する。今までの勉強の成果を発揮するときが来たのだ。
フィーネはぎこちなくメニュー表を読み進めながら、アイリに指示されたパンを探し出した。だが、問題はまだ残っている――お金のことだ。フィーネはこの世界の通貨の価値がほとんどわかっていなかった。
メニュー表には、「焼きたてルーネブレッド 二百ルミナ」と書かれている。アイリに聞いた話を思い出しながら、これが比較的安価なものだと判断した。
「えっと、こ、これを……焼きたてのルーネブレッドをひとつください」
店主はにっこり微笑むと、手早くルーネブレッドを袋に詰めた。そして「二百ルミナだ」と告げた。
その瞬間、フィーネは硬直した。アイリから受け取った数枚のコインをじっと見つめる。これが「ルミナ」だということは知っているが、どれがいくらなのか分からない。
厳密にいうと、老人に一度教えてもらっていたが、数日経ったために忘れてしまっていた。
「えっと……こ、これですか?」
小さな硬貨を一枚差し出すが、店主はやんわりと首を振った。
「それは十ルミナだよ。百ルミナだから、この硬貨のほうがいいな」
店主は親切に説明しながら、フィーネが持っていた少しサイズのデカい硬貨を指差した。それを見て、ようやく正しい硬貨を理解したフィーネは、震える手で渡した。
「はいよ! ありがとさん!」
お金を手渡すと代わりにパンの入った袋を貰う。
「ありがとう、ございます……」
フィーネは深く頭を下げ、袋を手にしてアイリの元に戻った。
「おお、フィーネ! ちゃんと買えたじゃん! どうだった?」
アイリは満面の笑顔で迎えてくれる。しかし、フィーネは安堵するどころか、緊張で少し顔が引きつっていた。
「そ、その……大変でした……。文字を読むのは少し楽しかったですが、他が……色々と」
そう言いながら、手にしたルーネブレッドの袋を見つめる。自分で「焼きたてルーネブレッド」という文字を読み、注文を通じて得た結果――その感覚は、フィーネにとって特別なものだった。
「へえ、でも偉いよ! 初めてでそこまでできるのはすごいって!」
アイリは軽くフィーネの肩を叩いて励ました。
「でさ、味見してみない?」
その言葉にフィーネはぎくりとした。
「えっと、私は……まだ、いいです! アイリさんが召し上がってください!」
笑顔で押し返すフィーネ。その裏には、決して表に出せない秘密があった。
アイリは手にしたルーネブレッドを眺めながら、「じゃあ、遠慮なくいただきます!」と嬉しそうに袋を開けた。その横でフィーネは静かに深呼吸をする。初めての会計を無事に終えた達成感と、全身から抜けるような疲労感が同時に押し寄せていた。
「次はどこ行こうか? ちょっと甘いものでも探そうかな~」
「甘いもの……」
フィーネの顔が一瞬曇ったが、すぐに表情を整える。再び文字を読む練習ができるなら、と思い直し、彼女は意気込んで歩き出した。
次に立ち寄ったのは、小さな露店が並ぶ通りだった。焼き菓子や雑貨、アクセサリーが並ぶカラフルな店先で、アイリがふと足を止めた。
「ねえ、フィーネ。こういうのはどう? 食べ物は苦手みたいだし、こういうお店なら気楽でしょ?」
アイリはそう言って、フィーネに微笑む。
「……はい。確かにこういうお店なら大丈夫です。ありがとうございます」
ほっとしたような表情でフィーネは店先に並ぶ商品を眺めた。細やかに編み込まれたブレスレットや、繊細な細工が施された指輪など、どれも美しい。フィーネは無意識に手を伸ばして、ひとつのペンダントを手に取った。
「それ、いい目してるね! 月光石のペンダントだよ。ひとつ千三百ルミナ」
店主がにこやかに話しかけてきた。フィーネは手に取ったペンダントを見つめながら、その言葉をじっと考える。
「月光石……ペンダント……せんさんびゃく……ルミナ……」
ようやく文字を読み解いた感覚に小さく安堵しつつも、その値段に驚く。千三百ってことは……さっきのパン七個分くらいということ。そこそこ高価なものだ。
「フィーネ、それ買うの? 似合いそう!」
「い、いえ! ただ見ていただけです!」
フィーネは慌ててペンダントを元の場所に戻し、別の商品に目を移す。それを見たアイリがくすりと笑った。
「あー……もしかして値段気にしてる? そうだなあ、ちょうどこのペンダント欲しかったし二つ分買わない? 私と、フィーネの分でね」
「えぇ!? そんな悪いですよ!」
「だから大丈夫だって。もう商品名も価格も知っちゃってるし、文字の練習にはあまりならないかもだけど、ほら!」
アイリはフィーネの背後に回ると背中を押してくる。
「わ、分かりました。やってみます……!」
押されるままにフィーネは再び文字を読み、ペンダントの名前と値段を確認する。口元で小さく繰り返しながら、店主に向き直った。
「えっと……月光石のペンダントを二つ、お願いします」
店主はにっこりと頷き、手早く商品を袋に入れる。
「千三百ルミナだよ」
またしても硬貨の確認の時がやってきた。フィーネは手のひらに広げた硬貨を凝視する。しかし、緊張と混乱でなかなか正しい組み合わせを選べない。
「これ、で……いいでしょうか?」
フィーネが差し出した硬貨を見て、店主は苦笑しながら首を横に振った。
「それじゃ足りないね。あと、これが二枚必要だよ」
優しく指摘され、フィーネは言われた通りに硬貨を選び直して渡した。ようやく会計が終わり、袋を受け取ると、深く頭を下げる。
「ありがとうございました……」
フィーネが戻ると、アイリがにやにやしながら待っていた。
「お疲れ様! 文字は読めるようになってきてるみたいだけど、会計はまだまだだね~」
「その……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません……」
フィーネは肩を落としたが、アイリは気にする様子もなく彼女を励ますように声を上げた。
「でもさ、フィーネって本当は外国の人だったりする?」
突然の質問にフィーネは動揺を隠せなかった。
「えっ……外国の人、ですか?」
「だって、会計のときすごい戸惑ってるし。なんか、こっちの文化にあんまり馴染んでない感じするんだよね」
アイリの言葉は悪気がないが、フィーネにとっては的を射すぎた指摘だった。
「その……確かに、色々と慣れていないことが多くて……」
そう言葉を濁したものの、フィーネの内心は焦燥でいっぱいだった。アイリの鋭い観察眼に、この世界の住人ではない自分の正体が知られてしまうのではないかと不安になる。
「でも、それなら納得! じゃあ、もっと色んなこと教えてあげないとだね!」
アイリは明るい笑顔で胸を張った。その無邪気さにフィーネはほっと息をつく。
「そ、そうですね……色々と教えていただけると助かります」
「任せてよ! なんなら、私が専属の先生になってあげる!」
アイリの宣言にフィーネは苦笑いしながら、次の目的地へと足を運んだ。アイリに気づかれないようにと緊張しながらも、彼女の優しさに少しだけ救われる思いだった。
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