エルディリア事務所

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 ──エルディリア事務所



 大井エネルギー&マテリアルは予定通りエルディリア王国に事務所を構えた。


 エルディリア王国の首都アルフヘイムにあった王国貴族のひとりが持て余していた邸宅を買い取って、電化工事などの改装をし、そこを事務所とした。


 アルフヘイムは首都であるが、人口は少なく、7~8万人程度。


 現代的なインフラはほぼ存在せず、石畳で舗装されている道路は都市の中央部がごくわずかで、道路における輸送手段の最たるものは馬車である。また主に都市の南を通る運河が物流において重要な役割を果たしていた。


 当然ながら上下水道もろくに整備されていない。都市の一部は酷い悪臭がした。


 そんなアルフヘイムにて、司馬は開所式を身内だけで祝うと、早速エルディリア王国政府へと接触を試みた。


 既にエルディリア王国には多くの地球人がおり、ビジネスのチャンスを探している状況だ。地球の品を販売しに来たものたちや、単純な輸出・輸入ではなくインフラの整備などを売り込みに来たものたち。


 司馬たちもそんな数多くのひとりとして扱われていた。


 彼らと司馬たちの違いは、司馬たち大井の保有する資産は桁が違うということだ。


 司馬はまず宮廷貴族のひとりで、王族にも強いパイプをがあると分析されたエレシオール伯爵という貴族に接触した。


「あなた方、地球の民は実に面白いものをお持ちだ」


 笹状の長い耳をしたエレシオール伯爵がそう言ってハンドルを握るのは、高級スポーツカーだ。1200馬力の電気自動車EVで、まさにそのハンドルを握れば猛獣が唸るようなパワーを感じられるものだった。


 これは司馬からエレシオール伯爵への個人的な贈り物として与えられた高級品のひとつだ。


 彼は自分の有する広大な領地でスポーツカーを乗り回し、ひとしきり楽しむと、自らの屋敷に司馬を案内した。そこで司馬が贈呈した日本産のウィスキーを味わいながら、交渉が始められる。


「このような品を王族に送られたいとか?」


「ええ。今後の成り行き次第ですが。そう、我々はこのエルディリアで新しいビジネスを行いたいのです。莫大な利益が上がるだろうビジネスを」


「なるほど。これはその潤滑剤のようなものだね」


「まさに」


 第三世界のビジネスでこの手の贈賄は当たり前のこと。賄賂がなければ、いくらその国にとってベストの選択だろうと選ばれない。そのことは日本企業が嫌と言うほど学んできたものだ。


「それであれば王族の方々にあなたたちを紹介することはできるだろう」


「もちろんあなたへの手数料は忘れませんよ」


「それはありがたいね」


 飲ませて、食わせて、与えて、絆して。


 司馬が長く第三世界でのビジネスに従事していたため、この手のことは得意とするところだ。彼はこの手の汚職役人をどう扱うかについてのノウハウが十分にあった。


 もちろん、それだけでは不足することも分かっている。アメリカ中央情報局ラングレーや日米情報軍上がりの保安部スタッフは既にエレシオール伯爵の屋敷を盗聴し、盗撮し、汚職の証拠を押さえていた。


 いざとなれば脅迫に切り替えだ。


「では、近いうちにあなた方が王宮に招待されると約束しましょう」


 ひとまずはこの約束を取り付けることができた。


「まずは調査に関する契約だ」


 司馬はエルディリア事務所にてそう言う。


「重要なのは調査結果の秘匿だ。決して王国政府側に公開する義務はないとしなければならない。現段階では王国政府は信頼できる相手ではない」


「ええ。調査結果を知った途端に契約の変更を求めたり、最悪の場合は調査結果ごと別の競合他社に採掘権を売り払いかねません」


 司馬の意見にエルディリア事務所法務部門のリーダーであるイーサン・ホンダという男性スタッフが同意した。


 ホンダはこれまで起きた異世界でのビジネスにおけるトラブルを可能な限り把握しており、それによれば貴族や王族と言った人間は契約を反故にすることが多々あるということであった。


 約束した報酬は支払われなかったり、難癖を付けて譲歩を引き出したりと、あまりビジネスにフェアとは言えない姿勢を示しているそうだ。


「調査結果はこの一切を社内に秘匿する。その方針で行こう。他に注意すべき点は?」


「調査範囲によりますが、治安の悪い場所となると事前の調査や警備スタッフの増強が必要になります。その際のトラブル防止に関する条項を」


 そう求めるのはレックス・ヴァンデグリフトという女性スタッフだ。元アメリカ情報軍大佐でもある彼女は、保安部門のリーダーを務めており、民間軍事会社PMSCとの関係も深いものである。


「こちらの武装を認めるように求めなければならないな」


「環境に配慮を求められることはもちろんとして、宗教・文化的な禁忌を理由に調査が拒否される可能性もあります。そのような場合にも備えておくべきでは?」


 そう提案したのは広報部門のリーダーである男性スタッフのダニエル・フォンだ。中華系アメリカ人である彼は長年大井における広報の分野にいた。


「その点があったな。我々は早急にこの世界の宗教・文化についての知識が必要だ。広報は可能な限りの人員を割いて当たってくれ」


「了解です、ボス」


 それから司馬は契約書の草案を携えて、再びエレシオール伯爵に接触。


「あなた方は鉱山を探しているのか?」


 初めて司馬たち大井の目的とするビジネスを聞かされたエレシオール伯爵はどこまでも渋い表情を浮かべてそう尋ねた。


「あなた方は違うのかもしれないが、王国にとって通貨になる金・銀・銅が産出される鉱山は、王国領内で発見された場合はいかなるときも王家が所有するものになる。故にあなた方が開発することはできないのだ」


「いえ。我々は金・銀・銅を探しているわけではないのです」


「では、何を?」


 エレシオール伯爵は心底理解できないという様子で司馬に尋ねる。


「我々に必要なものです。あのスポーツカーを覚えておられますね? ああいうものを作るのに必要な資源です」


「ふむ。それならば確かに我々には必要なさそうだ。しかし、我々はそれについての適正な価格を知らないのだが」


「こちらが地球における取引額です。米ドルとリューンの為替レートはこちらを」


 リューンはこのエルディリアにおける通貨単位だ。金貨に含まれる金の値段を考え、暫定的に今は1ドル=200リューンとなっているが、恐らくリューンの乱雑な作りという現状からさらに価値は下落するだろう。


 今は金の価値以上の価値はリューンに存在しない。価値を生む経済的土壌が全く存在しないのだから、ある意味では当然だろう。


「なかなか高価な品のようですな……。我々の土地にこのレアアースなる金属が眠っているとあなた方はお考えなのですか?」


「まさに。まずはそれを確認するための調査を行いたい」


「分かった。しかしながら、この契約を仲介するのは難しそうだ」


「ええ。お手数をおかけするでしょう。これで足りるといいのですが」


 司馬はそう言って軍隊上がりの警備スタッフが下げていたアタッシュケースを持ってこさせる。その中には金のインゴットがぎっしりと詰まっていた。


 このエルディリアでドル札に価値はない。貴金属こそが価値を持つ原始的な経済だ。


「おお。これは、これは。是非とも協力させてもらおう」


 契約書の中身をろくに読まずにエレシオール伯爵はそう請け負う。彼はこの契約によって起きることについて、想像すらしていなかった。


 そんなエレシオール伯爵の手配で司馬たちは王宮に案内されることになった。


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