星たちの時間
「イヤッホオオウ!」
食休みもそこそこに、紡と刹那が海へと駆け出していく。
朝も見た光景にデジャヴを覚えながら、咲人も今度は黙って見送った。
「お姉さんもちょっとだけ行ってこようかしら」
「ねえ水那子ちゃん、わたしもご一緒していい?」
「勿論よ。一緒に行きましょ」
どちらからともなく手を繋ぎ、紡と刹那がはしゃいでいる辺りを避けるようにして波打ち際へと歩いて行く。波の届かない位置でサンダルを脱ぎ、つま先から少しずつ海へと入っていくと、足の裏を砂がすり抜ける擽ったい感触がした。
「んふふ。何度体験しても慣れないわね、これ」
「くすぐったいねえ」
ペディキュアで彩られた水那子のつま先が、波の下で砂を蹴り上げる。砂で出来た靄が白く水を染めたかと思えば次の波は綺麗に澄んでいて、此処がいかに綺麗な海であるかを思い知る。
「毎年来ているけれど、いいところよね、此処」
「そうだねえ。紡くんには感謝だねえ」
おっとりと微笑んで水那子に同意したかと思えば、音夢は突然その場にしゃがんで砂をかき分け始めた。
「どうしたの?」
「ふふ、綺麗なの見つけちゃったあ」
そう言って砂の中から取りだしたのは、ピンク色の小さな貝殻だった。
所謂桜貝と呼ばれるもので、波と砂に随分磨かれたのかつやつやしている。
「ほらあ、こうすると水那子ちゃんのお爪とお揃いで綺麗ねえ」
「あら、ありがとう。音夢ちゃんのちいちゃい爪にも似ていてよ」
「えへへえ」
照れ笑いを浮かべる音夢の細い目が、更に細められる。
女性二人が和んでいる背景では、いつの間にやら砂浜へ上がっていた紡と刹那が、砂の城を作り始めていた。いったい彼らの何処にそんな体力が搭載されているのか。一秒たりとも止まることがない。
「これが完成したら俺たち一国一城の主だな!」
「主になるには民も不可欠だぞ」
「じゃあ起きたら碧乃呼ぼうぜー!」
眠っているあいだに砂城王国の民にされているとは露知らず。碧乃は結月と美魚に挟まれる格好で熟睡していた。
普段気付くといなくなっている二人が見える範囲で遊んでいるため、咲人は砂羽と聡一郎と並んで白いリゾートベンチに身を預け、パラソルの下で涼んでいた。手にはトロピカルジュース、サイドテーブルには読みかけの文庫本。ストローで一口飲めば南国フルーツ独特の爽やかな酸味が喉を滑り落ちていく。
グラスをサイドテーブルに預けて本の中程から栞を取り出しつつページを開けば、心地よいリズム感で紡がれる物語が目に飛び込んできた。
「これ作ったの陽和だっけか? あいつ何でも出来んのな」
「いつものことながら、器用な方ですね」
オレンジとグレープフルーツとマンゴーと桃を混ぜた、陽和スペシャルドリンク。これの凄いところは、一人一人の味覚に合わせてフルーツの配合を変えているところだった。さっぱり好みの砂羽のドリンクは柑橘多めに。酸味が苦手な碧乃や美魚にはマンゴーと桃を多めに。といった具合に、全員の好みを把握しているのだ。
聡一郎のグラスにはオレンジ単独ジュースが入っている。味覚が混ざるのが苦手な彼のために作った、お手製生搾りドリンクだ。
「砂羽ちゃんおはようなの。何だか美味しそうなの飲んでるの」
「お早う美魚。陽和ならたぶんまだキッチンにいるだろうから、もらってきな」
「うん、行ってくるの。ゆーちゃんのももらってくるの」
まだ寝起きでぽやぽやしている様子の美魚が、マリネちゃんを抱きしめながら奥のキッチンへ消えていった。ややあって陽和の「りょーかい」といううれしそうな声が聞こえてきて、その声で結月も起きたらしく上体を起こして目を擦っていた。
それから暫くして、砂浜に見事な城が出来上がる頃。
伶桜に起こされた碧乃は、水を一杯飲んでから外に出た。そして、固まった。
「……何事?」
砂浜は、まるで札幌雪まつりの砂浜バージョンのような状況だった。
雪像ならぬ砂像がずらりと並んでいて、いったいどう作ったのか雪だるまのようなものから砂の城まで様々ある。
「ぼくが寝てたの、三時間くらいだよね?」
「まあ、そうだねえ」
碧乃の頭の中では「三時間って何時間だっけ」と混乱した疑問が浮かんでいた。
宇宙を背負った猫のような顔になっている碧乃を横目に、砂羽がくつくつと笑う。追い打ちをかけるように「あんたは紡たちの王国の国民第一号らしいよ」と言うと、更に碧乃の周囲に疑問符が舞う。
「ぼくが言うのもだけど、自由すぎない?」
「あっははは! ほんとにな」
紡と刹那はハイスピードで駆け抜ける突風のような自由さだが、碧乃はつかみ所のない自由さである。紡も刹那も、その身に抱くエレメントは風ではないはずなのに。
「まあでも折角だし、入国記念に写真撮ってくるよ」
「あいよ、行ってらっしゃい」
砂羽に見送られて、碧乃が砂の城に近付く。
見れば見るほど立派に出来ていて、正面以外の角度から撮っても見栄えがした。
「ねえ紡、これ今度の配信で使っていい?」
「どれだ?」
近寄ってきた紡に、いま撮影したばかりの砂の城の画像を見せる。周辺の建造物や人物などが一切写り込んでいない写真で、砂の城を斜め下から見上げるような、風格溢れる画像だ。
「それなら大丈夫だ」
「ありがと」
此処は紡のプライベートビーチで、一般人は立入禁止となっている。リゾート地が数キロ離れたところにある関係上誰も知らない秘境というわけではないが、それでも多くの人目につくことは避けたい。
監視カメラや警備員が役立つ事態は、起きないに越したことはないのだから。
砂浜アートを撮影したり、雪うさぎならぬ砂うさぎを量産したりしていたら、日がじわじわと西へ沈み始めていた。
碧乃は音夢と共にキッチンへ向かい、冷蔵庫に保管していた大鍋を二つ取り出してコンロに乗せる。軽々やってみせる音夢と異なり、碧乃は少々危なっかしい。
「カレーだ!!」
鍋の存在にいち早く気付いた刹那が、歓喜の声を上げた。
「温めるから待って」
さすがの刹那も、冷蔵庫で数時間冷やされきったカレーに手を出すほどではなく。しかしただ待つのも落ち着かない様子で、食器棚から全員分の皿を出してきた。当然自分の皿も手に持って、カウンター最前列でじっと待機している。
コンロ近くに設置された巨大炊飯釜を開けると、ほわっと白い湯気が立ち上った。同時に炊きたてご飯の香りが周囲に立ちこめ、昼間あれほど食べたことなどすっかり忘れたかのように、体が空腹を訴え始めた。
くつくつ、こぽこぽ。粘性のある液体が煮立つ音と、スパイスの香りがキッチンを満たす。食欲を刺激する香りはあっという間に食堂内へと広がっていき、他の面々も次々に集まってきた。
「美味しそうなの」
「楽しみ……」
美魚と結月が、そわそわした様子でキッチンを覗く。
全体に火が通ったのを確認し、最後に味見をして、碧乃と音夢は頷き合った。
「音夢のほうがシーフードで辛口、こっちはビーフとポークのミックスで甘口だよ。好きなほう取っていいけど、混ぜたい人はお玉気をつけてね。辛口を甘口に混ぜたら美魚たち食べらんなくなるから」
「トッピングは其処にあるので全部だよお。みんないっぱい食べてねえ」
大鍋の中身は、言われるまでもなく音夢のほうが濃い色をしていて辛そうだ。
碧乃のほうは明るい色味で、見た目も香りも子供用カレーに近い。
トッピングはチーズ、福神漬け、らっきょう、ゆで卵、ホウレンソウ、とんかつ、シーフードボイル、焼きソーセージ、ツナ缶、カットトマト、揚げ焼きにした野菜、コーンがある。
キッチンの出入口は二箇所あり、右から入って左から出ると丁度ごはんをよそってカレーを注ぎ、そのままトッピングの皿を並べたカウンターに出る。導線を意識した配置にしたお陰で、誰かがカウンターに立って給仕をしなくて済むというわけだ。
「はーい、じゃあ取ってってー」
「よっしゃー!」
いの一番に刹那がキッチンに飛び込み、炊飯釜を開ける。木製の大きなしゃもじでごはんをよそい、辛口カレーをかけた。山盛りにしなかったのはおかわり前提ゆえ。トッピングは福神漬けとチーズとソーセージを選択。
バーベキューに登場しなかった福神漬けやらっきょうは山盛りにあるが、コーンは昼間の残りをほぐしたもののようで、他と比べて少ない。
調理前に言った「お肉確保しておかないと全部食べられちゃう」は、誇張表現ではなくただの真実だった。
刹那に続いて、他の皆も順番に自らの皿へと盛り付けていく。甘口を選んだのは、美魚と結月と碧乃だ。碧乃は一般的な中辛までなら食べられるのだが、最初は自分で作ったものをそのまま楽しみたかった。
全員が席に着いたのを確認し、刹那がパンと手を合わせる。
「頂きます!!」
「頂きまーす!」
銀色のスプーンがルーの海に沈み、ほかほかごはんと共に浮上する。大きく切った具材が浮島のように顔を覗かせ、それらを一口に頬張れば幸福感で満たされた。
「ん……美味しいね」
「ねー」
結月と美魚は相変わらず隣同士で、仲良く食べている。美魚は福神漬けを、結月はチーズとゆで卵を、それぞれ載せている。
口いっぱいに頬張る者、少しずつゆっくり味わう者、チーズを載せたあとレンジで再加熱してとろけさせてから食べる者、おかわりで辛口と甘口を混ぜて中辛を作って楽しむ者。皆が皆、思い思いに堪能していた。
「一番多かった福神漬けが真っ先に消えるなんてことある?」
「あら、本当? 早かったのね」
五杯目のおかわりを取りに行った碧乃が、トッピング置き場を二度見した。他にもなくなりそうなものはあれど、一番持つだろうと思われた福神漬けが、真っ先に空になっていたのだ。少なめだったコーンも僅かで、多めに余っているのはソーセージとシーフードボイルだ。此方は元の量が多かったのもある。
「折角だしソーセージいっぱい乗せよ」
「余らせても仕方ないものね。アタシももう少し頂こうかしら」
「いっぱい食べてー」
いつもは遠慮する伶桜も、今日ばかりは食が進んでいるようだ。
小食の咲人と美魚は最初の一杯をゆっくり大事に完食した。二人ほどではないが、結月もあまり食べるほうではないため、二杯目は一杯目の半分だけにして、揚げ焼き野菜を少しだけ載せて戻って来た。
「お野菜、ちょっと気になってたんだ」
「わあ……! お茄子とパプリカ、すごくつやつやなの」
「色が凄いよね。こんな鮮やかになるんだ……初めてちゃんと見たかも」
赤と黄色と紫。カレーと交わってもその色彩は衰えず、食欲をそそる。油を通すと鮮やかになると知識では知っていたが、見れば見るほど鮮烈な色をしている。
「お茄子美味しい……凄く甘い」
じっくり味わっている結月を、美魚がにこにこ見守っている。
「ゆーちゃん、カレーの残りどれくらいだったの?」
「んー……甘口はまだ何杯か食べられそうだった。辛口のほうは見てないや」
「辛口も似たようなもんだよ」
「マジ!?」
美魚と結月の会話に、丁度食べ終わって取りに行った碧乃が答えた。それに誰より反応したのは刹那だった。
大鍋になみなみと作ったはずのカレーが、気付けば残り僅かとなっていた。辛口に比べて甘口をメインに食べるのは女子三人。且つ二人は小食だというのに、どちらも変わらない減り具合だった。二種類混ぜて食べた者がいくらかいたことも一因だが、なによりの原因は碧乃にあった。
「甘口のほう誰か食べる?」
「美魚ちゃんはもうおなかいっぱいなの」
「うん……私も、いまあるので充分だよ。混ぜたい人がいないなら全部食べちゃっていいんじゃない?」
食堂内を見回し、各々の反応を見て、碧乃は「じゃあもらうね」と言ってごはんとカレーの残りを山盛りにして戻って来た。トッピングはカレー皿に載らなかったのか別の皿に纏めて載せている。最後の最後にカツカレーを作っているのを見た咲人が、信じられないものを見た顔になっている。
「相変わらずよく食べますね」
「だーって成長期だもーん」
一杯目と見紛う盛り付けのカレーが、一杯目と見紛う勢いで消えていく。いったい小さい体の何処に消えていくのか、小食寄りの咲人には不思議でならなかった。
「なあなあ、辛口のほうもさらっていいか?」
「いいんじゃないか?」
「俺もごちそーさま」
「アタシも充分よ」
紡と陽和と伶桜に同意するように、砂羽もひらりと手を振った。聡一郎も充分だと言うように頷いて、その横では水那子がいつの間にか食後の一杯を決めている。よく食べる仲間の音夢も、おっとりと「いいよお」と答えた。
ならばと刹那は大鍋をひっくり返す勢いで盛り付け、残っていたトッピングも全部攫い尽くしてきた。
「せっちゃんと碧乃ちゃんがいると食品ロスがなくていいねぇ」
「エコだよねえ」
「……ぼくいま褒められた?」
「褒めたよお」
陽和と音夢の言葉に嫌味がないことはわかっているが、それにしても複雑だった。とはいえ刹那と碧乃が大食いであることに変わりはなく。かく言う音夢も時間制限がなければ二人と大差ない量を食べるので、外食やバーベキューのときは大いに頼りにされていたりする。
「ご馳走様でした」
「ごちそーさまでした! 美味かったー!」
碧乃と刹那がほぼ同時に完食し、他の面々も食べ終わって順次食器を片付け始めている。あとに続いて食器を下げると、伶桜が「洗っとくからゆっくりしてなさい」と碧乃と刹那に温かいお茶を差し出した。
「ありがと、伶桜姉」
「おー、サンキュー! あったけー!」
空の食器と入れ替わりに湯飲みを受け取り、二人は食堂へと戻る。
外はすっかり日が落ちていて、濃紺の空に星が瞬いているのが見える。
「俺、何気にこのあとの雑魚寝が好きなんだよねぇ」
「ちょっとわかる……」
温かい湯飲みを弄びながらしみじみ言う陽和に、結月が静かに同意した。その隣で美魚も頷き、キッチン奥にある階段を見た。
サマーキャンプとは言うが、寝泊まりは海の家の二階にある居住スペースで行う。其処には人数分の布団が用意されており、男女入り乱れての雑魚寝となる。
片付けを終え、充分な食休みを経て、誰からともなく二階へと上がっていく。
窓から見える景色は、いまは夜色に塗り潰されていて。ただ波の音だけが穏やかに響いてくる。寄せては返す波の音を聞いていると、徐々に瞼が重くなってくる。
本格的に寝落ちしてしまう前にと全員順番に寝支度をして、砂や海水に塗れていた体を綺麗にすると、思い思いの場所へと寝転がった。
「なんでぼく今日だけで二度も水那姉のおっぱいに襲われてんの……?」
「んふふ、いいじゃない。ちょうどいいんですもの」
「だめとは言ってないけどさぁ……」
水那子に抱き枕にされながら、碧乃は観念して目を閉じた。
男性陣側に抱き合って眠っている人はいないが、刹那と紡は自然と隣同士になっていた。流れで一番端になった聡一郎が、電気スイッチの前に立つ。
「お休みなさいませ」
誰にともなく言い、明かりを落とす。
布団に潜り込むと、然程はしゃぎ回ったつもりもないのに溜まっていたらしい体の疲れが、じわりと溶け出る感覚がした。
電気を消した瞬間遠い空に見た星の瞬きを瞼の裏に浮かべつつ。
賑やかだったサマーキャンプの夜は、静かに更けていく。
十二宮シェアハウス 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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