二十一 神子
皇都の神殿に座すは、人の胎から生まれた神の子とされる白銀の髪色を持つ女。
神の顕在化とされ、神の声を聞き、人に届けることが役目とされる。しかし今、その輝かしい存在は、一人のみ。それも、神殿に籠り滅多に表には出てこない。神秘性を高めることが目的であるが、黒蝕病なる病が広まっても尚、神子は神殿の奥底に身を潜めたまま。
現在、神殿関係者以外で
姜祝融は、その一人であった。
◇
神殿の一室。姜祝融は清白の間で見せた姿よりも、ゆったりとした姿勢で頭を下げた。その先には、白銀の長い髪の白い衣を纏った女が、窓際で椅子に腰掛け外を眺めているだけ。
いくら、同じ血だとしても、身分は対等では無い。例え、皇帝に次ぐ権威を持ってしても。姜祝融もまた、神の顕在化たる存在の甥である。が、その権威は姜家にとって何ら影響も及ばさず、関わり自体はほとんど隔てられたも同然。
神子瑤姫は姜家の生まれであるが、神の子でもある彼女は姜の姓は名乗れない。人が人籍、龍が龍籍であるのなら、神に属する神子は仙籍とされ、現在は『雲華夫人』と呼ばれていた。
「
礼儀の先で、雲華夫人――神子
「叔母上、呼び方一つで臍を曲げるのをやめて頂けませんか」
巨躯の背を丸め、言葉遣いは神子と元老などといった厳格なる立場とは遠く、叔母と甥の関係を表していた。しかし、それに反応したのか顔は外に向いたまま、声だけが返ってきた。
「私が腹を立てているのは、あなたも
鈴のように転がる凛とした声が不平を曝け出すと、緩慢に頭が動いて白銀の長い髪が流れるように靡いた。漸く顔を向けた神子瑤姫は、今いま不平不満を述べていたとは思えぬ程に、指先で触れただけで壊れてしまいそうな、儚げで繊細な美しさを宿す。白銀の色は神の色。それが神子なる存在に拍車をかけ、人ならざる存在を思わせていた。
「俺には仕事も立場もあります。元老という立ち位置で、何度も叔母上との面会があれば、神殿との間に癒着があると疑われかねない。静瑛も同様です。それに、今は丹で暮らしています。此処まで足を運ぶのも、そう容易ではないのですよ」
「でも、陛下のお呼び立てや、元老達の集まりには必ず参加するのでしょう?」
「それは、まあ……」
姜祝融は苦々しい表情を浮かべるしかなかった。事実、元老の集まりは一年の間に何度とある。皇帝陛下に呼ばれたとあれば直様に向かうのは当然。しかし、その都度神殿を訪ねることはなく、神子瑤姫の言葉通り用事が無ければ会いにも来ないのだ。神殿にどれほどの情報が伝わるのかは、姜祝融の知るところにはない。だが、神子瑤姫の冷めた顔を見れば、それは一目瞭然だったろう。
「判りました。これからは、もう少し頻度を増やして会いに来ます」
「ええ、是非そうして下さい」
満足という程ではなかったが、神子瑤姫の冷めた顔が僅かに緩んだ。白銀の髪を揺らしながら立ち上がると部屋の中央を掌で指し示す。円形の食卓と、向かい合わせの二対の椅子。卓の上には湯気が立つ茶や、色とりどりの菓子が用意されていた。その殆どが、砂糖菓子や、芋餡などの甘ったるいものばかり。歓迎の意のような、未だ神子瑤姫の中では姜祝融という男が子供であるかのような。姜祝融は彩に苦笑を浮かべながらも神子瑤姫に倣い対面の席に着いた。甥の歳が幾つかであるかを問うたところで、恐らく「数えていないから忘れたわ」と惚けるだけなのだ。
「それで、今回の用件を伺いましょうか」
漸く始まった本題の切り口に、姜祝融は茶へ手を伸ばすこともなく懐から袋を取り出す。そのまま、神子瑤姫へと差し出せば、神子瑤姫は臆することなく受け取った。
「これを見て頂きたい」
神子瑤姫は袋から薬を一つ取り出すと、まるで
「これは……」
「無死の妙薬。黒蝕病を患っていた者が、これを服用して病を克服して且つ、生き返ったと」
「無死、とは面白いですね」
白銀の髪色の向こうにある
「……無死とは。死を持たぬ身、死という概念を失う異能です。しかし、この薬にそこまでの効果は無いでしょう」
「生き返るのは一度きりだと?」
「そもそも、本当に生き返っているのでしょうか」
鈴音のように静かな声音
「……というと?」
神子瑤姫は繊細な指先で茶杯を手に取り、一口茶を啜ると、遠い記憶でも呼び覚ましているように、そのまま茶杯を眺めるまま口を開いた。
「昔――まだ神の威光が生々しく地上にあった時代。その反面に、神の威に左右されない術を使うものがいたという話があります。その術の中には、死者を甦らせる術があったとか。しかし実際は、無理矢理屍肉を動かして操る術なのだとか。残念ながら、私は見たことはありませんが」
「生き返ったという当人は、常人と同等に歩いて会話もしていた。その者と対面して話をしたのは甥の蚩尤ですが、違和感は無かったのでしょう。特に報告はありません。であれば、とても表面上は死人には見えなかったのかと」
「その方は今は何処に?」
「行方知れずです。薬の存在が発覚したと時を同じくして姿を消しました。姿を視認した夢見の話では、姿は靄が掛かったかのようにぼんやりとしていた……と。こちらは俺の専門ではないので理解できませんが。その古の術とやらと関係性は――」
「関連があるかは判りません。ですが、古い時代には、様々な術が存在した筈です。その頃には、不老不死の薬を研究する者もいたのですよ」
これに姜祝融は言葉を詰まらせた。
不死なる存在は決して不老では無い。精神の老いが肉体の衰弱を呼び、衰えさせるのは当然のこと。しかし、不老不死なる存在が幻かと言えばそうではなく、神子なる存在がそれに当たる。だからと言って、それはどちらかと言えば崇拝対象であり、目指すべき方向では無いのだ。不老不死を目指すといった教えもなく、如何なる思想が不老不死になる薬などと言った幻想めいた思考へ辿り着いたのかが、どうにも理解できなかった。だから、一度言葉に詰まった姜祝融から溢れた言葉は、元老の立場を鑑みると間の抜けたものだったやもしれない。
「……何の為に?」
「それは、不死として当然のように生きるあなたには理解できないのかもしれません。ですが、只人として生まれた者は、時に神に程近い者達に羨望の眼差しを向けることもあれば、夢見る者もいたのですよ。もしかしたら、今もいるのかも知れません。只人に生まれたらのであれば、寿命の限りは目に見えていますから」
「ですが、只人が不老不死などどうやって?」
「私は術を知り得ませんが、不老不死になり得た人物には心当たりがあります。研究も成功していたようで、一度だけ話をしました。夢の中で、ですが」
まるで幻想譚の一節でも語られているようで、姜祝融は目の前の存在が神子であることなど忘れてしまったかのように、肘掛けへと頬杖を突く。死人の蘇りの奇譚に不老不死なる幻想譚、更には目の前に並んだ甘い茶菓子に、自身をあやすように語りかける叔母。これが夢と言われても、ああそうかと鵜呑みに見してしまうほどに、聞けば聞くほどに悩ましい事案へと変貌していた。
「その話で俺はどうすれば良いのやら……」
「簡単ですよ。此度の薬の作り方。これまでにない技術が使われていたとすると、外界から辿り着いた新たな技術か、最早誰も知り得ぬ
頭を抱えそうになっていた姜祝融は話の要点が変わったことにより、頬杖をやめて腕を組んで背凭れへと体重を預ける。考え込むように視線を下げると自然と、もう冷めてしまった茶へと視線が落ちた。
「黄帝陛下の代になってから、
「私も同意です。であれば、元々国にあった技術と考えるべきでしょう」
「だとすると、手がかりは……」
「古い術はもう殆ど記録も残っていないでしょう。あるとすれば、皇宮の禁書庫か、風家の古から続く書庫か、あとは一度本人に会ってみるのも手かもしれません」
「……それは先ほど言っていた、」
「ええ、と言っても。私には以前ほどの力はありません。もう私から彼に話しかけることは難しいでしょう」
「それではどう探せと」
「名前は知っています。古の時代では、
名前だけ。それではとても探しようもないと、姜祝融は嘆息しそうになった。が――
「古の術を知り、それにより不老不死を会得した彼は、今も生きている。世捨て人のように生きているからこそ、今まで名前すらも出てこなかった。ですが、今になって古の術が動き出したとなれば、彼も表に出てこないわけにはいかない。西方――柑省・
もう、知り得る全てを語り尽くしたと言わんばかりに、神子瑤姫は茶杯を手に取る。冷めてしまったお茶をゆっくりと飲み干すともう一度、姜祝融へと顔を向けた。
「祝融、
神子瑤姫が言わんとするところが判然とせず、姜祝融は耳を傾け続けた。
「人が腐る病に、無死という言葉。そして、死人が蘇るなどといった神の倫理から外れた事象。今になって動き出したのか、それとも機会を伺っていたのか、または手段を手に入れたから動き始めたのか。無死という言葉に、あなたも引っ掛かりを覚えたのでは?」
「……この薬の出所は不明ですが、最初に出回ったのは恐らく緑省です。その次は、現状では丹省と考えるべきでしょう。しかし、蚩尤が出鼻で話を見つけてしまったが故に、噂は広まる事なく潰えた。夢見により人を集める手段といい、最終的な目的が未だ掴めない。もし、噂が広まっていたとすれば、無死の妙薬の名で通っていたでしょう。その時点まで行けば、直接我々の耳に入っていてもおかしくはない。懐疑的になり、結局は探りを入れたはず。もしかしたら、その時点では薬の効能自体が立証されてしまい、我々が介入する事が自体が不可能になっていたのかも知れない。それが目的であったなら見事な手腕です」
「でも、あなたはそれだけが目的とは考えていないのでしょう?」
続く神子瑤姫の疑問に、姜祝融は苦々しい面持ちで答える。
「……思い込みと考えたいのですが、挑発に思えました。俺が、一番
姜祝融は茶杯を手に取る。もう冷えてしまった茶杯は冷たく、中身もきっとそうだろう。薄茶の上辺を眺めると、昔の記憶が蘇ってしまうような――そんな心地から逃げるように、姜祝融は茶杯を持ち上げてそのまま飲み干した。それでも、一度沈みかけた気は晴れない。胸がざわつく感覚が続くかと思いきや、鈴音のような声色が再び姜祝融に語りかけていた。
「祝融、疑い続けなさい」
落ち着いた声だった。だのに、力強くも感じる。先程まで話していた声色と同じはずのそれが、別人から激励のようでもあり、慰みのようでもある。姜祝融は一瞬で、叔母と対面しながら、叔母ではない何かと話をしているような心地へと引き摺り込まれた。
「あなたは天命が下った者。今もまだ天命は続いている。終わりが来るその日まで、あなたは
静かな声音に、姜祝融は頷く事も出来なかった。
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