第二十八話「少しはウチのシスコンを見習えっ!」
「コラコラ、カナカちゃん。駄目だよぉ、そんな危ないことしちゃあさぁ。まさか子蟲の後遺症で力だけが残ってるとは思わなかったけども。君はこの後、儂とラブラブエッチをするんだから、身体は大切にしないとさぁ」
ホウロクが何か言っていましたが、わたしは全く聞いていませんでした。
わたしが見据えるのは、目の前にいるアヤメちゃんのみ。振り下ろそうと力を込めてくる彼女を、持てる力の全てでもって抑えます。
「アヤメちゃん。いい加減、正気に戻るです」
「お魚、ちゃん?」
背中からパリピの声がします。起きてたんですね、良かったです。なら、お前も一緒に聞いていけ、です。
「人間だか式神だかは知りません。わたしは専門家じゃないので、その辺の詳しいことはさっぱりです。だから、わたしに分かる範囲でだけ、お話させてもらうです」
一度息を吐いたわたしは、精一杯吸い込みなおしました。
「人間も式神も関係ないです、アヤメちゃんはパリピの妹じゃないんですかっ!?」
未だアヤメちゃんの表情は、変わりません。
「妹には、兄がいます。わたしだってそうです。しかし兄という存在はうっとおしくて、ウザくて、キモくて。こんなろくでなしが自分と同じ血を引いているのかと思うと、眩暈がしそうになったこともありますです」
わたしの頭の中には、自分に向かってルパンダイブしてくる実兄の姿が浮かび上がります。本当に気持ち悪いです。
しかし。
「兄という生き物は、本当にウザい存在です。でも、わたしを……妹を大切にしてくれてることだけは、知ってました。ずっとホウロクがわたしに手を出さないように牽制してくれたですし、一時は蟲とやらの呪縛さえ抑え込んで、協力してくれようとしてましたです」
それだけじゃなかったことも、知っています。見えるところで、見えないところで、実兄はずっと、わたしの為にと頑張ってくれていました。
「そんな兄を、妹は……嫌いじゃない、筈です。こんなことは、しない筈、です。少なくとも、わたしはそうです。わたしは兄をうっとおしいと千回思っても、死んで欲しいなんて一回も思ったことないです。アヤメちゃんだってそうなんじゃないんですかっ!?」
「っ」
少し、アヤメちゃんの瞳が揺れた、ような気がしましたです。
「お前もお前です、このパリピっ!」
わたしはアヤメちゃんを凝視したまま、後ろに向かって声を張り上げました。
「死んだ人は、生き返りません。陰陽師だかなんだか知りませんが、そんな当たり前のことも分からないのですか? それにこのままにしてたら、アヤメちゃんはお前を殺してしまいます。お前は妹を殺して、後悔してるんじゃないんですか? 妹にまで自分と同じ後悔をさせるつもりですか? それでもお前はアヤメちゃんの兄なんですかっ!?」
「ッ!」
背後から、息を呑む音が聞こえました。
「わたしの実兄は、操られてもわたしを傷つけようとはしませんでした。生贄にしようとした時だって、洗脳されてたのに、涙を流していました。ずっとずっと、戦ってくれていました。兄ってそういうものじゃないんですか? 妹の為に頑張れる生き物なんじゃないんですか? 少しはウチのシスコンを見習えっ!」
わたしが目をやると、アヤメちゃんによって縛られていた筈の実兄が、顔を上げてこちらを見ていました。
その目は操られた時のまま、虚ろなものであるにも関わらず、光の紐の拘束を引きちぎろうと歯を食いしばっています。
なんと、光の紐の一部には、亀裂さえ走っていました。先ほど耳にしたヒビのような音はこれだったんですね、全くこのシスコンは。
「素晴らしい、素晴らしい兄妹愛だよカナカちゃん」
遠くから、ホウロクが拍手をする音が聞こえましたです。
「こんな人間ドラマが見られるなんて、おじさん感激だよぉ。君みたいな素敵な女の子をこの後儂が汚せるのかと思うと、もう股間がいきり立って仕方が」
「カ、ナカ、ちゃん」
「えっ?」
ホウロクによる気持ち悪い演説の途中で、わたしは名前を呼ばれました。思わずきょとんとした顔になってしまいます。
何故なら、声の主というのが、目の前で足を下したアヤメちゃんだったからです。
「お、願い。お兄、ちゃん、助け、て」
「あ、アヤメッ!?」
いつもののじゃ口調ではない彼女の言葉に、誰よりも素っ頓狂な声を上げたのは、背後で倒れていたパリピでした。
振り返ってみれば、彼は顔を必死に上げてアヤメちゃんを見ようとしています。
「アヤメ、アヤメなのかッ!? オレだ、ハルアキだッ!」
「お、おいおい、兄妹愛が奇跡を起こすなんて認めんぞぉ、ぬああああッ!」
ホウロクの嬌声と共に、甘ったるい臭いが漂ってきます。アヤメちゃんが目を真っ赤に血走らせて再び足に力が入りますが、わたしも力を入れ直して何とか食い止めます。
「な、なにをしているアヤメ。もうカナカちゃんなんかどうでもいい。彼女ごとそこのパーティーピーポーを蹴り殺せェェェッ!」
「せ、なかの、お、札」
「……背中のお札ですね、アヤメちゃん」
焦った中年の声を無視して、わたしは右手をアヤメちゃんの小さな背中へと手を回しました。振り下ろされようとしている彼女の足の力が、若干弱まって余裕ができたからです。
すべすべした肌の真ん中に、縦にお札が貼ってある感触がありました。いつか見た、あのお札ですね。
「お、お魚ちゃん駄目だ、やめろッ! せっかく戻ってきてくれたのに、それを剥がしたら」
「全く。馬鹿な兄を持つと、妹は苦労するですよね。ねえ、アヤメちゃん?」
「で、も。わた、しだけ、の、おにい、ちゃん、だか、ら」
悲痛な声を上げているパリピを無視して語り掛けると、アヤメちゃんはほんの少しだけ、口角を上げてくれたようにも見えました。
わたしが一つ頷くと、彼女は瞳を閉じます。わたしも微笑んだ後で、一気にお札を剥がしてやりました。
直後、彼女の身体が光り始めます。光はやがて無数にある小さな影、子蟲と共に薄くなっていきます。
「アヤメェェェッ!」
パリピの声が響きます。完全に光が消える、その直前。彼女の顔は微笑んでいたかのようにも見えました。大好きな、兄の方へ向いて。
完全に光がなくなった時、残っているのはわたしの右手にあるよくわからない文字が書かれたお札だけでした。
呆気にとられているホウロクには見向きもしないまま、振り返ったわたしは、上半身だけ起こしていたパリピに近づいて、その頬を叩きます。
「ぶへらァッ!?」
「兄のお前がしっかりしてねーから、妹のアヤメちゃんが苦労するのです。少しは反省しろ、です」
その後、わたしはパリピに対してお札を差し出しました。
「彼女は最後、笑ってたです。ずっとお前のことを心配してたです。亡くなってからもお前を想ってくれてるなんて、こんなにいい妹、他にいねーですよ。その妹に報いたいと思うのであれば、何をしたらいいかなんて、分かるですよね? 分からねーなら、またぶっ飛ばしてやるです」
「…………」
パリピはゆっくりと視線をわたしに向けた後、お札の方を見ましたです。彼の顔は困惑と失望と、その他諸々の感情が入っているようにも見えました。彼の中で割り切れないものも、当然あるのでしょう。
お前の苦悩が間違ってるなんて、口が裂けても言いません。
だからと言って、そんなお前にさえ尽くしてくれた妹がいたことだけは、事実です。こんないい子を無碍にする奴は、鉄拳制裁です。
詳しくは知りませんが、おそらく最初に亡くなってしまった時でさえ、彼女は彼のことを心配して居ても立っても居られなった結果、なんだと思います。
そう思うのはわたしが彼女と同じ、兄を持つ妹ですから。
「は、はははッ」
少しして、パリピは一度目を閉じた後に、力を抜いたかのような笑い声を漏らしました。
「……オレは、お兄ちゃん失格だな」
パリピはお札を受け取りました。痛む身体に顔をしかめつつも、無理やり起こして立ち上がります。
それでもフラついてしまったので、仕方なく支えてやることにしました。
「ありがとう、お魚ちゃん」
「勘違いしないでください、お前の為じゃねーです。お前のことを心配してくれた、アヤメちゃんの為ですよ」
「うん、そうだね。じゃ、早速そのアヤメを呼ぼうか。また怒られないといけないしね」
そう言って笑ったパリピは、右の人差し指と中指で挟んだお札を、上、右、下、左、真ん中の順番に振りました。
お札の前に、「人式」という文字が現れます。彼は最後に、その文字に向かってお札を伸ばしました。
「我が身に苦難あり。されば
「…………」
わたしはそっと、パリピの伸ばした手に自分のものを添えました。気が付いた彼がこちらをチラリと見て、綺麗な顔で笑います。つられたわたしも、口元を緩めました。
本当に、顔だけは良い男です。それ以外はダメダメな癖に、全く。
「召喚、アヤメッ!」
パリピの掛け声と共に、お札が光りました。その光はみるみるうちに収束していき、和服姿の小さな女の子を形作っていきます。
やがて光が晴れたころ、そこに立っていたのはメッシュの入ったおかっぱ頭の女の子、アヤメちゃんでした。
「呼んだかのう、主様」
「うん、呼んだよアヤメ」
「最初からこうしておけば話は早かったものを。まったく、どうしようもない主様じゃ。これが終わったら説教じゃからな」
「わかってる。わかってるよ、アヤメ」
何かを噛みしめるかのように、パリピが呟いていますです。
亡くなった妹さんと瓜二つの別人、いや、式神というのなら人ですらない筈です。そんな彼女に対して、パリピは気持ちの整理がついたのでしょうか。割り切ることが、できたのでしょうか。
困ったような、嬉しいような。なんとも言えない顔をしている彼からは読み取れませんでした。
「さて、と。よくもわしを操ってくれたのう?」
「ぬ、ぬああああッ!」
復活したアヤメちゃんが詰め寄ると、地面に座り込んでいたホウロクは慌てて立ち上がって悶えました。甘ったるい臭いが漂ってきますが、そろそろ見飽きた嗅ぎ飽きたです、これ。
「無駄じゃ。もうわしの中には子蟲はおらん。いくらやろうが」
やれやれといった様子のアヤメちゃんが、不意に言葉を切りましたです。わたしも、ビクリ、と身体が震えました。何故なら、洞窟中を震わせる地響きが起きたからです。
「う、うわっと、です」
「な、なんじゃ?」
「……まさか」
わたしがその場で踏ん張り、アヤメちゃんが周囲を見回す中、パリピがホウロクを見やっていましたです。
顔を向けてみれば、ホウロクは汗をかいたままニヤリと笑っています。
「光栄に思うんだねぇ。君たちは今から、神と謁見するんだからぁ」
「神様にさえ
パリピの驚愕に、ホウロクは笑って応えてみせましたです。地響きはどんどん激しくなっていきます。
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