激情①


 傷が増える。



 ひとつ。



 またひとつ。






 教室に入ってすぐ、カナが声をかけてきた。



「マキちゃん、おはよ! 体調よくなった?」


 私の席の前の席である自分の席に座って、手を振ってくれてるカナに、



「おはよ! もう大丈夫だよ!」


 自分の席まで行って答えると、「風邪?」と心配してくれた。



「うん! 風邪だったみたい! でも、もう大丈夫!」


「それならよかった! メールしても返事ないから心配したよ。思わずコータさんに電話しちゃった」


「うん、うん! 聞いた! 心配かけてごめんね」


「ううん。それより一昨日、マキちゃんが帰った後にさ――」


 カナがそこまで言った時、教室に入ってくる二村が見えた。



 だから「ちょっとごめん」と、カナの話を遮って、



「二村に用事あるんだ」


 席を立って、二村に駆け寄り、「二村!」と呼びかけると、学校で声をかけるのが久しぶりだった所為か、二村は驚いた表情をつくった。



「何だよ?」


「おはよ! 宿題見せろ!」


「ナメんな」


「ぐあああ、頼むよ、二村あ」


「お前、昨日休んでただろ。休んでる間にやれよ」


「体調悪くて休んでんのに宿題なんか出来る訳がねえ」


「先生にそう言え」


「ケチケチすんなよお」


「お前、今日テンション高すぎてうぜえ」


「そう? 前からこんな感じじゃない?」


「前は、そんな感じだった」


 話しながら自分の席まで行って「前は」の部分を強調して言った二村は、鞄から数学のノートを取り出して、差し出してくる。



 でも、



「おっ、見せてくれるのか! ご苦労」


 そのノートに手を伸ばすと、二村はサッとその手を避けた。



「礼の言い方も知らねえのか?」


「……ありがとうございます」


 それでようやく二村が私の頭の上にノートを乗せたから、それを持って自分の席に戻ったら、カナが目を丸くしてた。



「マキちゃんって、二村君と仲いいの?」


「仲いいってほどでもないけど……」


「二村君が女子と喋ってるの初めて見た」


「話しかけたら話してくれるよ? 愛想はないけど」


「そうなんだ? 二村君って人気あるよね! 格好いいもんね!」


「それはよく分からない」


「まあ、コータさんの方が格好いいか!」


 そう笑ったカナに、私も笑い返した。



――ひとつ。





 夜、手を繋いでコータさんに連れてってもらった焼き鳥屋さんで、



「今日、体育の時間に百メートル走あってね」


 手羽先を食べながら説明すると、コータさんは「おう」と返事をしながらビールを飲んだ。



「まず女子高生に百メートルを走らせる時点でどうなのって感じゃじゃない? せめて五十メートルにしてよって感じ!」


「お前は五十メートルも走れそうにないけどな」


「まあ、か弱いからね!」


「か弱い女は人を殴ったりしねえ」


「それはもういいって! それでさ、百メートル走ったんだよ、私。そりゃもう本気で」


「うん」


「そしたら途中で足もつれちゃって、本気でコケちゃった! ほら、見て! 膝ズルむけ!」


 椅子の上で膝を立てて、絆創膏だらけの膝を見せると、コータさんは「鈍臭え」と笑った。



 だから、



「いやいや、笑うとこじゃなくて! 心配してよ!」


 同じように笑いながら、つくねに手を伸ばすと、



「無理して食わなくていいぞ?」


 そんな事を言われた。



「お前、今日めっちゃ食ってねえ?」


「そう? 体育で張り切ったからお腹空いたのかも!」


「そうか」


「でも、食べ過ぎてお腹痛くなってきた気もするから、トイレ行ってくる!」


「お前、汚えよ」


 トイレに向かう背後で、コータさんの笑い声が聞こえた。



――ひとつ。





「マキちゃん、お弁当食べよ!」


 四時間目が終わって、カナがそう言って振り返ったから、「食べよう! 食べよう!」と、鞄からお弁当箱を取り出した時、二村がひとりでお弁当を食べてるのが見えた。



「カナ、ちょっとお弁当持って付いて来て!」


 不思議そうに目を瞬かせるカナの手を掴んで、ニヤニヤ笑いながら二村がいる所まで行き、前の席にふたりで座ると、



「何だよ?」


 二村が目だけを向けた。



「仕方ねえから一緒に食べてやる」


「うぜえよ」


 提案して二村の席にお弁当箱を置いて蓋を開けたら、二村が無愛想にモノを言う。



 でもそんなのは無視して、隣に座ってるカナの椅子を二村の席まで引っ張った。



「はい! では、いただきまーす!」


「向こうで食えよ」


「どこで食おうがマキ様の勝手でい」


 そう言いながら、二村のお弁当箱に入ってたウィンナーを箸で刺したら、「おい!」と大きな声を出された。



「お前、何してんだよ!」


「美味しそうだったから! その代わりに私の春巻きあげる」


「いらねえよ! 何なんだよ!」


「いらねえとは何なんだよ!」


「おい、春巻き入れんなよ!」


「春巻き入れんだよ!」


「お前、いい加減に――」


「本当に仲いいねえ」


 私と二村のやり取りを見てたカナがニコニコ笑ってそう言ったら、二村はカナに目を向けて、「仲良くねえよ」と不貞腐れたような声を出す。



 それに対してカナが大きく目を見開いた。



「わっ! 本当に話してくれた!」


「あ? 何?」


「二村君、女子と話さないでしょ? 話しかけてもらって嬉しい!」


「別に……喋るよ」


 そう答えた二村の顔が、照れ臭さからかちょっと赤くなったから、「きもっ」って言いながら二村の梅干しを取ったら、また「おい!」と大きな声を出された。



「お前、いい加減にしろよ!」


 なんて、怒ってる二村を気にもしないで、



「マキちゃんのお弁当っていっつも可愛いよねえ」


 カナが私のお弁当箱を覗き込む。



 二村は一瞬眉を顰めたけど、諦めたようにまたお弁当を食べ始めた。



「そう? 自分で作ってるから何とも思わないけど」


「凄い! 自分で作ってるの?」


「バカでも何かしら取り得があるらしい」


 茶々を入れてきた二村の足を、机の下で蹴っ飛ばすと、



「マキちゃん、本当に凄いよ! カナ、何も出来ないんだ! 卵焼き食べていい?」


 カナが箸を伸ばしてきたから、「いいよ、いいよ」とお弁当を差し出した。



「美味しい!」



「どもども」

 笑ってそう答えながら二村の卵焼きを取ると、



「自分の食えばいいだろうが!」


 二村がいよいよ顔を真っ赤にして怒ったから、私もカナも笑い転げた。



「あっ、そうだ! カナ。コータさんが、また一緒に飯行こうって!」


 お弁当を食べ終わって思い出した事を口にすると、



「本当? それは嬉しい!」


 カナは本当に嬉しそうに笑った。



 それを聞いてた二村が、「コータ先輩と?」と驚いた声を出したら、



「先輩って言うって事は、二村君ってコータさんと同じ地元?」


 目を輝かせる。



「もうすぐ昼休み終るから、先にトイレ行ってくるね」


 私はそう言って、コータさんの話を始めたふたりを置いて教室を出た。



――ひとつ。





「ねえねえ、コータさん」


 ご飯を食べ終わって駅に向かう道すがら、話しかけた私にコータさんは真っ直ぐ前を向いたまま「ん?」と返事をした。



「今度の日曜日、ご飯食べるのカナも一緒にいい?」


「ああ、いいぞ」


「やった! カナ喜ぶよ!」


 そう言ってはしゃぐ私を一瞥したコータさんは、フッと小さく笑った。



――ひとつ。





「マキって子、いる?」


 昼休み、はっきりと聞こえてきた険のある声に目を向けると、教室のドアの所に三年生の女の人が三人いた。



 呼ばれたから、食べようとしてたお弁当の蓋を閉めて立ち上がると、



「マキちゃん、ヤバそうだよ? 大丈夫?」


 カナが不安そうな顔で見上げてきた。



 だから、「大丈夫」と笑って、ドアまで行って「私ですけど」と言ったら、



「ちょっと付いてきてくんない?」


 三年生の人達はそれだけ言って、どこかに向かって歩き始める。



 その後ろに黙って付いて教室を出る間際、視線を感じて振り返ったら、カナと二村が心配そうにこっちを見てた。



 誰も一言も口を利かないまま、連れていかれたのは体育館の裏。



 ベタな展開に唖然としていたら、



「あんた、最近噂あるからって調子乗ってんじゃない?」


 三年生のひとりが、これまたベタな事を言ったから愕然とした。



「別に調子に乗ってません」


「その態度が調子乗ってるって言うんだよ!」


 私の言葉に被り気味に怒鳴り声を上げた三年生のいひとりが、私の髪を掴んた。



 その直後、相手に向かって思いっきり体当たりしたのは言うまでもない。



 コータさんの喧嘩を見て学んだ事は、四の五の言わずにとにかくやっちゃうって事。



 まず最初に髪を掴むなんて悠長な事してる方が悪い。



 体当たりした勢いでふたりで地面に転がって、揉み合いになった。



 腕をブンブン振り回して、手当たり次第殴り付けてやった。



 他の三年生も加勢してきて、私の制服を引っ張ったり、髪を引っ張ったりした。



 それに負けまいと、引っ張ったり引っ掻いたりしてやった。



「何だよ、コイツ!」


 三年生のひとりが悲鳴に近い声を出したのは、コータさんに教わったパンチが、誰かの頬にヒットした時。



 相手の戦意喪失を感じても尚、まだ飛びかかってやろうと思ってたら、



「こんなバカ、相手にしなくていいじゃん! もう行こうよ!」


 三年生は負け犬確定の捨て台詞を吐き、しこたま私を睨み付けて、校舎の方へ戻っていった。



 誰もいなくなったその場所で、私は地べたに座り込み、空を仰いで大きな声で笑った。





「何だ、お前? どうした?」


 繁華街で絆創膏だらけの私を見たコータさんの開口一番はそれだった。



「こんばんは! 喧嘩した」


「喧嘩だあ?」


 笑って報告すると、コータさんは右の眉を上げ、



「うん! 見せたかったよ! 私のパンチ!」


「マジかよ」


「マジマジ! 三年生三人相手に頑張ったよ!」


「そんだけ怪我してりゃ負けてんじゃねえか」


 興奮気味に話す私に笑ってそう言いながら、手を掴んで歩き始める。



「でも相手逃げていったよ?」


「マジか? じゃあ、お前の勝ちだな」


「当たり前! コータさん直伝の右パンチだよ」


「だな。――そういえば日曜だけど、カナに何食いたいか聞いといてくれ」


「うん! 分かった!」


 私はコータさんの顔を見上げて、にっこりと笑った。



――ひとつ。





「今日は本当にありがとうございます! また誘ってもらえるなんて思ってなかったから、本当に嬉しいです!」


 日曜に約束通り三人で来たご飯の席で、カナは嬉しさを少しも隠さない笑顔と声で、本日二度目のお礼を言った。



「いや、飯くらい別にいい。けど、今日も焼肉でよかったのか?」


「はい! カナお肉大好き!」


 焼けたお肉を頬張ってそう言うカナに、



「ならいいけど」


 コータさんは返事をしながら私の取り皿に焼けたお肉を置く。



 それがロースだったから、「カルビがいい! カルビ!」って言ったら、



「まだ焼けてねえよ」


 コータさんは少し呆れた声を出しながら私を一瞥して、ビールを飲んだ。



「最近、マキちゃんよく食べるよね!」


 ロースを頬張る私の顔を覗き込んだカナはニコニコ笑ってる。



 だから私もニコニコ笑い返して、



「食欲の春だね」


 答えた。



「でもマキちゃん、いくら食べても太らないよね! それが羨ましい!」


「そう?」


「そうだよ! いっぱい食べてるのに見た目全然変わらないよ!」


「あー、体質かな?」


「いいな! 太らない体質! 羨ましい! カナはすぐ太っちゃう」


「でも――」


「少々太ってた方がいいぞ」


 言うほど太ってないじゃん――と、言おうとしたのを遮ったコータさんは、



「いやいや! カナは凄く頑張ってこれですよ? いつもは食べる量考えてるし」


「そうなのか? それ、コイツにも教えてやってくれ。コイツ最近バカみたいに食う」


 そう笑いながら、私を箸の先で指す。



 だから、



「バカじゃないもーん」


 そう答えて立ち上がったら、コータさんが驚いたように見上げた。



「どうした?」


「え? お腹痛くなってきたからトイレ」


「黙って行けよ」


 聞かれたから答えたのに、コータさんは声を出して笑う。



「聞いたのコータさんじゃん!」


 そう笑って返して、お店の奥にあるトイレに向かった私は、トイレに入るとすぐに個室に飛び込んで、



「……おえッ」


 食べた物を一気に吐き出した。



 次々に胃から上がってくる食べた物を、水を流しながら便器の中に吐き出し続け、胃が空っぽになった時には、顔が涙や鼻水や涎でぐちゃぐちゃになってた。



 でもそんな事は放って、ポケットに手を入れた。



 そしてそこ入れてあった安全ピンを取り出した。



 左腕の服の裾をめくり上げる。



 肌が出てきた左腕の内側に安全ピンを突き刺す。



 それを勢いよく引っ張ると、左腕にスーッと切れ目が入って血が出てきた。



「またひとつ……」


 溜息と一緒に呟きを吐き出す私の視線の先の左腕には、前に切った手首の傷の上に、安全ピンで付けた傷が無数にある。



 まだどれも治りきってないから触ると痛い。



 一番新しい、今切ったばかりの傷口からは血が出てる。



 それを眺めながら、ドロドロとした気持ちが血と一緒に出ていくのを感じて、ホッと息を吐いた。



 別に死にたい訳じゃない。



 ただこうしないと自分を保てない。



 心の中にある大きくなった黒い染みが、ドロドロした感情ばかりを生んで、私の全てを支配していく。



 それに支配されないためには、ドロドロを外に出さなきゃならない。



 出すためにはこうして――。



 気持ちの問題なんだろうけど、血を流すとドロドロが出ていってる気がする。



 それで何とか自分を保てる。



 深く切ったりはしない。



 血が出るくらいでいい。



 そしたらちゃんと普通でいられる。



 もう一度息を吐いてからトイレットペーパーを取って傷口を押さえた。



 ズキンと鋭い痛みが走った。



 それでも強く押し付けて、トイレットペーパーに血が付かなくなってから、服の袖を下ろして個室から出た。



「よし!  頑張れ!」


 手を洗った後、鏡に映った自分に声をかけて気合いを入れて、トイレから出る。



 後二時間くらいは普通でいられるくらいには気合いが入ってた。



 戻ろうとした席で、コータさんとカナが顔を近付けてコソコソ何か話してるのを見ても、「頑張れ!」と心の中で気合いを入れた。



 そうやって私は必死に自分を奮い起してるのに、



「お待たせ!」


「あっ! おかえり!」


 カナはあからさまに、私が戻ってきた事に慌てたって感じで、前屈みになってた姿勢を戻す。



 しかも、



「……おう」


 少しぶっきら棒に返事をしたコータさんを、カナが横目で見る。



 ふたりは一瞬目を合わせ、目で何かを語った。



 直後にコータさんはカナから目を逸らし、「おかえり」と伏し目がちに言った。



 雰囲気がおかしいのはすぐに感じた。



 ふたりの間に何かがあったのはすぐに分かった。



 その「何か」が私にとって決していい事ではないと、ふたりが放つ空気から悟った。



「何? 何かあった?」


 何も感じ取ってない振りをして、普通に笑ってそう聞いたのに、コータさんは私を見ないで「別に」と答えた。



 もう一度、トイレに駆け込みたくなった。

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