第19話 自殺計画初日~お嬢の場合~

 商店街は平日とは思えないほどにぎわっていた。

 まだ年は明けていないが、既に新年を祝う赤と白を基調とした装飾品が通路全体を彩っている。

 ところどころの店では先駆けて福袋も用意されてはそれなりの人混み、順当に年末セールなんかをやっている店では年齢層高めの主婦が押し寄せていた。

 そういったまちの活気を目の当たりにして、お嬢が目を輝かせている。

 その輝きを横目に、俺はため息をついた。


 交番は駅前にある。駅のすぐ横には商店街がある。

 つまり、駅に向かうと高確率で商店街を通ることになる。

 できれば避けたくはあったが、事前に地図を確認した程度の土地勘ではそれは難しかった。

 マップ機能を使うにも携帯は未だ故障中だ。ここいらにいる間は携帯を使う方法はないだろう。

 まだ道半ば。うずうずと今にもどこやらの店に突撃しそうなお嬢をどうにか冷徹無比の足取りで抑えている状況である。


 が、その均衡はすぐに崩れることとなった。


 お嬢の足が止まる。

 前進する俺の足もそれに引っ張られたところで、腕の袖が軽くつままれていることに気づいた。


 目の輝きが強まっていた。


 輝きが照らすものは、たい焼きの屋台である。

 何も年末にたい焼きなんぞに心惹かれなくともいいのにと思うのは日本人だからこその感性であり、まあ確かにこの独特なデフォルメといい物珍しさはあると納得はできるが。


 案の定、輝きの標的は俺へと向いた。

 眩しい。目を覆う。今度はお店の看板に光が向かう。


 『一個五百円』


 屋台特有、お祭り気分なら勢い余って買ってしまう絶妙な値段設定である。

 そのくせ、大して美味くないやつである。

 丸見えの地雷。


「なあ、買うならアレにしたほうがいいと思うぞ」


 隣の団子屋を指差す。

 そちらは屋台ではなく、いかにも老舗っぽい壮厳な店構えで、既に数人の客が並んでいた。

 しかも三串入りで四百円。


 だが、お嬢はぶるぶると首を横に振り、差す指をたい焼きに固定させた。


 ……仕方ないな。


 既に死にかけの財布の中身から魂を抜くように五百円玉を引っ張り出し、屋台へ。

 味はつぶあんとこしあん、後は邪道のカスタードがある。

 まあ、適当につぶあんでいいだろう。


「つぶあん、一個下さい」

「はいよ~」


 屋台のオッサンは熱い笑顔でさっと五百円玉を回収した。

 それまで閑古鳥が鳴いていたことは想像に難くない。

 既に焼かれてストックされているものの中から無造作に選び、薄く浅い白の包みへ入れられた。


 受け取り、お嬢に手渡す。


「ほら」


 お嬢は頭部だけはみ出たたい焼きを矯めつ眇めつ、匂いを嗅いでは満足そうに顔を綻ばせる。

 なぜ数ある店からたい焼きを選んだのか、その要因の大部分に屋台が発する生地の香ばしい匂いにあることがそこで発覚した。


「…………」


 まだ鑑賞を続けたいような名残惜しさが垣間見えるも、やがて決断すると鯛の頭から深くかぶりつく。

 もぐもぐと。


「美味いか?」


 首を豪快に縦振りしながら、サムズアップで返された。

 思わず笑う。

「そうか。それならよか……」


 顔が強張る。

 いやまて。おかしい。

 これは、馴れ合いってやつではないのか?

 なんで自然に俺はこいつにたい焼きなんぞ奢ってるんだ?

 奢らなければテコでも動かなそうだったからか?


 ……いや、それでも無視して歩くくらいするべきだ。

 こんなすんなりと親切をする道理は一つもない。

 思えば今までもコイツに対して何かと甘かったように感じる。

 そんな魔力がこの見知らぬ外国人には秘められている気がしてならない。


 ……まあいい。


 これは、ろくな説明をせず誤解させたまま交番に連れて行くことでのお嬢への負い目を解消するためにやっただけ。

 そう捉えることで俺は平静を取り戻した。


「いくぞ」


 俺は以前よりも足早に商店街を進んだ。


 





 たい焼きを買ってよかった利点が一つだけあった。

 それは、食べていることに夢中になっている間はお嬢が足を止めることはないということである。

 ただ、それも数分のこと。あっという間に平らげてはまた、匂いにつられて立ち止まる。


 朝飯だってごはんをおかわりしていていたのに、とんでもない食欲だ。

 が、流石に二度も奢られる気はないようで、すぐに我に返って小走りに俺についてはくる。

 俺も立ち止まるつもりはなかったため、そこからはスムーズに進み、商店街を抜けることができた。


 すぐに駅と「KOBAN」と書かれた威厳と見合わないちっこい看板が見えた。


 隣を歩くお嬢が一瞬止まる。


 「KOBAN」は外国でも同じ表記で使用されることがあるほど、浸透している。

 お嬢は眉を寄せ、不安に駆られているようであった。


「いくぞ」


 それでも俺は変わらず歩く。

 速度は落とし、けれど確実に。

 交番の前。窓ガラス付きの扉、その先に見える二人の警官と目が合う。

 念のため、ノックをする。


「はい、なんでしょう」


 四、五十ほどのおじさん警官が対応した。


「昨夜のことなんですが、迷子になっていた外国人を――」


 それは予想外であった。

 説明の最中。

 背中が引っ張られる。

 お嬢が背伸びをしていた。


 なぜか。


 その理由を考えるより前に――

 優しく抱擁されていた。

 お嬢の身体は柔らかく、温かく、体格は日本人で例えるなら大体女子高生ぐらいだなという実感を呑気に得ていた。

 唖然とする警官を放置して、時は進む。


 たっぷり三十秒。

 ようやく解放される。

 身を引き、お嬢は深々とお辞儀をした。


「アリガト!」 


 いきなりの日本語でその場から走り去った。

 その背中を見て、俺は追いかける気がしなかった。


 確実にあるのだ。交番に頼ってはいけない理由が。

 かと言って、このまま家に厄介になるのは迷惑であると今の俺の行動を見て悟った。

 だから、動作と言葉で感謝だけをして、彼女は去った。

 その行動自体は妥当である。


 だが、それまで助けられ、信用しかけた他人にいきなり突き放されて恨み言、訴え一つ言わずに去るのは簡単なことだろうか。


「――あの! すみません」


 苛立ち気味に声を張り上げられ、警官に意識を向けさせられる。


「ご用件は!」

「……いえ。特にないです」

「なんなんですか全く」


 ぴしゃりとドアを閉められた。


 ……帰ろう。

 とにかく解決はした。

 常識ある赤の他人として出来ることはやった。

 俺に何も非はない。


 歩を進める。


 交番前にある段差を降りる。

 途端、軽い、硬い何かがぶつかりあう感覚を上着のポケットから覚える。

 手を突っ込み、取り出す。

 硬貨があった。紙幣もあった。いつの間にか忍ばされていた。

 全部で五ドル二十五セント。

 足りない。宿泊費としては全然。


 つまり、これが彼女の手持ち全てである。





 家へ戻った。

 お嬢が寝ていた部屋に邪魔する。

 何も説明せずに追い出した手前、私物を家に忘れていたらどうしようという気がかりがあったからだ。

 質素ではあるが、俺の部屋とは違い、物が片付いてあった。

 お嬢が自力でやったのか、元々そうだったのかは分からない。

 観察する。特にお嬢の私物らしきものは見当たらない。出会ったとき、既に手ぶらだったから予想通りではあった。


 ただ、一つ気になるものがある。


 部屋に備え付けてある机の上、一冊の本。

 昨夜、お嬢が読んでいたものがめくりかけて置いてある。

 つい、その本の表紙を見る。


「Easy Japanese かんたんなにほんご」


 昨夜、お嬢のお辞儀から感じた違和感の正体が氷解した。

 この教科書から初めて学んだのだ。お辞儀も、ありがとうという感謝の言葉も。

 それは第一に俺たちとの共同生活を想定しての努力である。


「……なんだってんだ、どいつもこいつも」

 

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