あの小せぇ球良く打てるな

「それがですね……私にも良く分からないんです。気付いたらこうなっていた……としか」

「大方、そんなこったろうと思ってたぜ」

「すいません……お力になれなくて」

「あ、いや、そういう意味じゃねぇよ」



 何度も頭を下げる飛田のおっさんの話をまとめるとこうだ。



 その日はゴルフに出かける予定だった。


 嫁さんは隣の奥さんに誘われて、有名ホテルのモーニング経由で映画を観に行くとかで不在、大学生の息子も仲間んとこに飲んで泊まって不在。


 独りでいそいそとゴルフバッグを車に積み込んでる最中、急に目眩がして、しばらく気を失った。



「……それで、気が付いたらもうこの、……異世界?に来てしまってたんです」

「そうか……」

「何か分かりましたか?」


 リデリンドが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。出来れば、ここで良い報告のひとつもしたかったが。


「何も分からねぇことが分かった……ってとこだ、残念ながらな」

「そうですか……せっかく現代人と会えましたのに」

「ほ、本当に申し訳ない!何も力になれず」

「湿っぽいのは止めだ、二人とも。こんなもん、誰のせいでもねぇだろ」


 気休めを口にしながらすすったコーヒーは、酷く苦く感じる。

 ただ、全く収穫がなかったわけでもない。


「分かったことは他にもある。飛田のおっさんの転移は、俺とカツが体験したのと全く同じだ。強い目眩の後、気付いたらこっちだった」

「篝さんも一緒なんですか、そうでしたか……」


 少しだけ、飛田のおっさんの顔が柔らかくなった。こんな信じられない目に遭ってるのが自分だけじゃないと分かって、ホッとしたんだろう。

 きっと、強面で知られた俺でさえも、今は同じような顔をしてるのかもしれない。


「それに、もう少し分かったこともありそうです」


 コーヒーを諦めたリデリンドが、遠回しな物言いをする。


「なんだよそれ。分かったのか分かってねぇのか、どっちなんだ」

「あくまで仮説でしかないので、確信は持てないのですけど」


 そう前置きした後、リデリンドは続けた。


「早朝から出かけられた奥様、別の場所に泊まられたお子様。二人がこちらの世界に来ていないということは、転移の対象は、その瞬間、この町内にいた人に限られるのではないでしょうか」

「……この町内に……」


 そう言われて思い返す。

 確かに、うちの組員たちは皆、正樹さん藤堂ふじどうの叔父貴との話し合いに出払っていて、事務所に残ったのは俺とカツの二人だけだった。ということは。


「……今の仮説とやらが正しいんなら、いずれこの町内にいた人間は皆戻ってくるってことか?」

「可能性はあるように思えます」


 一息入れようとカップを持ちかけたリデリンドだったが、コーヒーだったのを思い出したのか、静かに置くと、何もなかったように話を続ける。


「何故、トビタ様だけが遅れて現れたのかは分かりません。ですが、これこそが実績解除だとしたら辻褄が合いませんか?」

「じゃあ、あの守護柱は今回の報酬ってことか」

「或いは報酬と実績解除が逆なのかもしれませんが、この考え方なら、多少は納得がいくかと」

「……まぁな」


 腕を組んで、リビングの照明を何とはなしにみあげた。ふと引っかかる。


「報酬がもらえた最初の相手はジアルガ。小せぇとは言えドラゴンだ。素人目からすりゃ、ハーピー共なんかより、あっちの方が良い報酬がもらえても良さそうに思えるがな」

「それは……どうなのでしょう、私にも分かりかねます。ですが、一匹のドラゴンと、町を焼き尽くしてしまいかねないハーピーの群れとファイアフライ。町にとってどちらが脅威だったのかが、報酬の内容に関わっているのではないでしょうか」


 リデリンドの仮説に片眉を上げる。


「そりゃ無理がある話だな。ジアルガの野郎だって、俺が止めなきゃ危うく火を吐くところだったんだぞ」

「あの時はフューリーの力を借り受けましたから、撃退の難易度は低いと判定されたのではないでしょうか。これも仮説に過ぎませんけど」

「ったく……何様なんだよ」


 前にリデリンドが言ってた上位の存在とやらにイラついて吐き捨てると、向かいで飛田のおっさんが座ったまま小さく跳ねた。


「す、すいません!」

「あんたに言ったんじゃねぇよ。度々すまねぇ」


 どうにも誤解させがちでいけない。頭を掻きながら、「それでだ」と本題を切り出してみる。


「あんたさえ嫌じゃなかったら、うちに来たらどうだ。持ち家があんのは分かってるが、独りじゃ何かと心細ぇだろ」

「わ、私が……ヤクザの事務所に……?」


 すこぶる平和な提案のはずだったが、飛田のおっさんは震えていた。ヤクザが「事務所に来い」と声をかけてんだ、そりゃ無理もない。


「ビビらせちまって申し訳ねぇが、普段はここに住みながら、飯でも食いに来るぐらいで構わねぇ。互いの無事を確認する意味で、ってことだ」

「そ……そうさせていただけると、ありがたい……です」


 丁寧に頭を下げた飛田のおっさんの眼から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ出した。大人が泣くのを久しぶりに目の当たりにすると、さすがに狼狽える。


「お、おう、すまねぇ……また俺、怖ぇツラしてたか」

「いえ……そんなんじゃないんです……」


 両膝に置いたおっさんの拳が握りしめられる。


「心細かった……今までずっと……!住み慣れたはずの町に、たったひとりぼっちで……このまま、誰にも会わずに……もう、ダメかと……」

「……分かるぜ、その気持ち」


 しゃくり上げるおっさんを前に、ぬるくなったコーヒーを飲み干す。



 カツが一緒に転移してきたからこそ、どうにかここまでやってこれている。もしたった一人だったらと考えると、異世界に順応するどころか、正気を保っていられる自信も疑わしいもんだ。



「強ぇな、あんた」

「……ありがとう……ございます……!」


 リビングにはしばらく、飛田のおっさんがすすり泣く声だけが響いていた。




「でな」


 ひとしきり泣いたら落ち着いたのか、おっさんは大きな音を立てながら鼻をかんでいる。


「俺ら、ちょっと次があってよ。もう行かなきゃならねぇんだが……身を守るもん、何か持ってるか」

「あ、はい、一応これを肌身離さず」


 おっさんがソファーの脇から手にしたのはゴルフグラブだった。きれいに光っていて、随分と手入れが行き届いているように見える。


「良いのか?それ、あんたの趣味のだろ?」

「大丈夫です。新しいドライバー買ったばかりですし、こっちは今、練習用に使ってる方ですから」


 ようやくの笑顔に安心しつつ、ふと訊いてみた。


「そういやゴルフが趣味だって言ってたな。ベストスコアいくつなんだよ」

「79です」

「はぁ?!」


 思わず大声を上げた俺の顔を、リデリンドが覗き込む。


「私、その……ゴルフという競技は存じ上げないのですけど、得点が高い方が良いのですか?」

「違ぇよ、逆だ。打数……つまり、数字を少なく抑えながら進めるスポーツだからな」

「では、79は凄いのですか?」

「凄ぇなんてもんじゃねえよ。言っちまえばプロに片足突っ込んでるレベルだ」


 そう言ってはみるが、ゴルフの知識は組長オヤジの受け売りで、実際にやったことはない。

 だが、時間がある度にうんざりするほど話を聞かされてきたから、上手い下手ぐらいは分かってる。


 上級者で80から90。つまり、飛田のおっさんは相当な腕前だ。ここまで上手いと、ひょっとしたら異世界のどこかで役に立つかもしれない。


「いえいえ、私なんてとてもとても……週六でラウンドする社長や専務の上司たちには到底歯が立ちません」

「長くなさそうだな、あんたの会社」

「とんでもない!うち、今年で創業百五十周年ですよ」

「世も末ってやつか」


 少し呆れる俺に、飛田のおっさんは頭を掻きながら微笑んだ。


「いやぁ……面目ないです」

「そういや、あんた役職は」

「私、副係長代理補佐です」


 「それってヒラと同じなんじゃねぇのか」……そう突っ込みかけたが、気の抜ける笑顔を前にして、何も言えなくなった。

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