Track 009 MAY I REMEMBER THE DEAR DAY, PLEASE?



 こんなやり口が、もし、その定義を満たすというなら――

 音楽を創るということ。

 そして、音楽を奏でるということ。

 潺湲さらさらとは流れない――はずなのに。

 全ては呆気あっけないまでに、素知そしらぬふりで過ぎ去っていく。

 朝陽あさひの角度の変わりゆく、何の変哲もない路傍みちばた、一谷家の立派な家はあれど、特に高級住宅地というわけでなく、まあ、ぼくのために買ってやった家なら、ぼくがそんな品等ひんとうなど望むはずのないのは明らかだな。

 小学校への通学路、ぼくがとおっていたそれではなくて、かつての道をったって、旧懐きゅうかいひたる記憶の持ち合わせはまるでないのだし、近所の子供達が並んで歩いていたおぼえのある道程いくすえをなぞってみている。実際に子供達と出会でくわすには、まだ少々時間が早いらしい。出来たコーヒーは飲まなかった。やはり父子おやこだ。ぼくはぼくで、結局、本来やろうとしていたことの中途ちゅうとで、満足してしまったな。まさか、これから起きる仲間たちのために用意してやったとは、普段の行いからして思われまい。

 こんな朝は、こんな朝でも、瞬間は残らない。今なんて、まるで残ることがない。

 ズボンのポケットで――最低限の配慮でじ込んで来たのは不正解ではなかったらしく、PHSピッチが鳴って、確認すれば八汐やしおからのPメール、「ソクホウ イチタニアヤト シッソウ」と、ある。世紀のライヴの当日の朝に姿がなければ、失踪しっそうと言われても文句は言えないが、一谷いちたに絢人あやとが失踪したとの報を、一谷絢人本人に送らないで欲しい。安心してくれ、財布さいふさえ持っていない。高飛びはできない。もとより、マネからの連絡でないあたり、心配しているわけではないのだろう。

 ここで見かけた子供達のいくらかは、もう、季節ときの過ぎて、別な道程いくすえで、別のところへ向かうのだろう。そのうちのまたいくらかは、例えば私立に入学するなどして、すでに道をたがえたのだろう。

 さて、自分の誕生日はいつだったかな、と、とぼけて、分からないふりをしてみる。

 どうせ無駄、それが一年ひととせのうちのどこであろうと、一年後の今日には、ひとつ歳を重ねている。おそらくのところ、生きている。おそらくのところ、オンガクとの悪縁あくえんは続いている。結局それが、今となっては、章帆あきほ離縁りえんしていたくはないからと、そこに帰結してしまうので、つまらない人間でいられる幸福シアワセで、よくして何が悪いのかと、開き直ってみせるくらいしかできない。とうに分かっていることは、ぼくはもう、一谷絢人の源流ではあっても、一谷絢人を貫くには相応ふさわしくない。

 最初から、知れていたろう。思ったよりずっと早かったなと、あるいは苦笑する、あるいは歓迎する、それはできるけれど。

 仮初かりそめの生き方を、いつまでも続けていられると思うなら、そんな傲慢ごうまんは、何より一谷絢人にあたいしない。もはや諦めろと迫るのがぼくなら、真っ先にけじめを付けろよ。

 終わるべきだ。

 今だから。

 終わらない今がどこにある。

 世紀のライヴだとか、とんでもない冗談だな。コドモのやり納めに過ぎないよ。もっとも、思い残しは少ない方がいいな。やるだけやるさ。今日くらい、いくらだって。いくらか誕生日より先んじても、今日がいい。式を挙げない理由もないことだしな。何やら準備は大変だろうよ。のままそれをするわけにもいかないし、何せ、礼節れいせつわきまえて、天下の一谷史真しまにピアノでの伴奏をひとつ頼まねばならない気もしている。

 今更いまさらに過ぎる。心より納得済みのはずだろ。疑問の余地などあるものかよ。章帆のユメを叶えるならば――よっぽど冗談みたいな話だが、ぼくが父親をやるという、そのことを本当にしなけりゃならないんだから。

 一谷史真を、ただの祖父じじいにしてやるのも、一興いっきょうというものだ。

 ――あんたは何を思った。ぼくが金槌かなづちで、鍵盤を叩き割った時に。

 あんたが後悔していることを、繰り返すつもりはないよ。ただ、ぼくは、あんたを反面教師にしたいとは、どうしたって思えないんだ。不都合な現実は確かにあったさ。あんたにとっては悔悟かいごの尽きないものかもしれないよ。それでもぼくは、求めた。そして、求め続けた。そればかりは、忘れちゃいない。忘れるはずがない。間違いなく自分の意志で、あんたを追いかけた。どうしたって、同じに弾きたかった。

 どんな苦しさと傷と引き換えにしてでも、弾きたかったよ。

 ついに叶わぬことを認めた、だから、今がある。

 やっぱり、ぼくは思えない。

 負けて清々せいせいする。

 あんたはやっぱり、世界一のピアニストなんだよ。

 それを、この世の誰よりも、ぼくははっきり知っているよ。誰よりも辿り着きたかったぼくだから。誰よりも信じたぼくだから。誰よりも、誰よりも――

 追わせてくれたよ。ぼくに。あんただったからこそに。

 だから、今、分かるんだよ。

 どうしたって、変えられないんだよ。

 泣き出してしまった、幼子おさなごの心持ちの失われぬままに。

 ――どうして、おとうさんみたいな音がでない。

 今となって、そんな自分を、馬鹿とも思えない。なあ、いつかのあの日のぼく、お前は最初から正しかった。この世の誰もそうとは言わなくとも、ぼくだけは認めてやる。

 どんなに下手でも、どんなにか無謀でも、一谷史真に憧れ続けて、一谷史真を追い続けて、同じに弾きたかった。そんな愚かの極まるやりよう、ぼくのほか、いったい誰にできるというんだ?

 ――それがなんだよ。

 自分というもののない、悪い模倣もほうと言われたとしても、何者なにものにもなれなくても、たとえあんたがそれを望まなくても、叶うことのなくとも――

 ――変えない。

 もし、コドモを、たったひとつだけ残すことが許されるなら――

 ぼくはそれがいい。



 ――――――――



 そろそろぼくも、危機感を持つべきではないのか。

 何かおりの良いライヴにあたっては、警戒をすべきなのかもしれない。にされてはいないか、と。

 もともとは三條さんじょうのせいか、姫名ひなが報われて欲しいとぼくらが願ったゆえか、後悔があるではないにせよ。ともあれ、をやるならぼくらでも一致協力できるとの前例ができてしまい、央歌おうか件で、相手は問わないとも知れてしまった――ので、まあ仕掛しかけたわけだが。今回も。

 なか恒例こうれい行事となりつつあり、騙したいとの意向だけで何もかも円滑えんかつに進んでしまうとなると――とうに被害を受けたふたりは報復がてら非常に前向きだったことも付言ふげん、これではいつ自分が被害にうか知れないというもの。最後まで残るのはさてどちらか。もう三人目は、もはや陥落も同然。

 女性専用楽屋の前の廊下、閉ざされたドア越しに室内の様子をうかがうところ、本来ならぼくは、ここにいるべきでない。第二部のぼくらの出番のため、もう一度ピアニストをやらせていただくための衣装に着替えているべきで、もっとも、そのを知っているつもりのが室内へやにひとりいるに過ぎないのだが。何もかも呑気のんきではあるな。先番の〈Worstワースト Hurtsハーツ〉の成した事におくするかというと、そもそもどうやったって勝たせてはくれないのだ。いっそ、もう好き放題だ。

 楽屋の中、姫名が章帆に確認をするのは、気配きくばりの達人だからだ。「結局、ドレスなんすね。バイオリンは。」と、衣擦きぬずれの音はしないのでまだ着替える前だろう。もともと衣装は章帆の希望で決まった。、と。つまり、正装をして弾くことに強く違和感のあったはずの章帆が、しかしここで正装する意志でいいのかと、最終確認。

 着ることの躊躇ためらいは感じ取れなかった。「いやあ、今さらごめんなさいという話ではないんですけれど、何と言いますかね、反発を覚えていたのはあくまで私の心であって、そちらの世界はそちらの世界でとても素晴らしいですよ、と、それについては、否定したくはなかったものですから。」おそらくは、オトナである自分を認める、という意味になるのだろう。相互の尊重を重んじて、安易あんいな否定を先立さきだてずに。

 今回は、ロックバンドの舞台ステージに、およそ異邦いほうの楽器が組みで現れ、本来あるはずのものはない。章帆の意識はそこの融和ゆうわにあるのだろう。「どうせなら友好のはし的に、着てみようかな、と。私みたいなやんちゃしたやからで、不適任は承知なんですけど、なるべくなら、親善大使の気分で。」バイオリンで一曲だけらせてくれ、と、そう、ご希望通り、ぼくは章帆のためにその一曲を書いたようなところはあるわけだ。だったら、もっと飲みしてくれていいだろうと、簡素かんそな悪徳。

 少なくとも、パンクなりの衣装で跳ね回りたい気分ではないらしい、それが分かればいい。それについては同様に、廊下側にいる八汐も了得りょうとくしたようだ。八汐の出番はもう残らないために、どこで何をしていてもさして気にされないというのは都合が良かった。八汐はノックもなしにわずかだけドアを開け、中を覗き込む。「こちら八汐。応答願う。一谷サンを部屋に入れてもいいかな。」女性専用楽屋ではあるが、全員うちの面子メンツならば、許可有りなら問題ないだろう。

 ぼくが入るとあらかじめ知っていたのはいいが、どうも滞在を深くとらえすぎたらしく――ぼくがここで着替えるつもりだとでも解釈したのだろうか、無暗むやみに困惑するにはしても、さとり過ぎていてぼくが恐ろしくなる発言が返った。「えぇ。これから女衆おなごしゅうが着替えるんですけど。いや、私と央歌ちゃんなので、別に今さら全裸ぜんらだって見られても何もないですけど、それ郁杏いあんちゃんが怒りません?」勘弁かんべんしてくれ。章帆だけだとしても、ぼくは裸を眺めに来たわけじゃないぞ。央歌を何もないに数えるのもどうなんだ――何もないが。事実をそのままに言うことは、大抵たいてい、心に優しくない。

 八汐は八汐で事実を言うのを躊躇ちゅうちょせず。「うん。見せたら怒る。でもそれ被害がいくのは全部ウカちゃんだし、ウカちゃんはそれで悦べるように立派に成長したから、安心して。ただの軽犯罪だしむしろ足りないかも。」安心できる要素がひとつも見当たらないな。罪の軽重けいちょう問わず、ぼくはそこに一枚噛みたくはないぞ。

 央歌は補足を加えずにはいられなかったらしい、「分かってると思うけど、毎回、本気で泣いてるからね?」と、誤解を招く発言の一部追補ついほという形だが、ぼくにとっては何の慰めにもならない。ホンモノを受け止める側が、やはりホンモノでないわけはないのだが、深く考えまい。当人同士が納得していればそれでいいことなので、どうか全面的に秘匿ひとくしておいて欲しい。

 あきれ返るばかりなのは姫名で、計時員タイムキーパーも姫名である。「相変あいかわらず、茶番ちゃばんが始まると終わらないすね。時間ないんで。とっととお願いします。なるはや。」この場で央歌はいきなり着替えようとはしないので、おとなしく姫名の言うことに従って、ぼくは堂々と部屋に入ってやる。鏡のいくつかにぼくが映り込むのが見える。男の楽屋のテーブルはガラスの天板てんばんだったが、こっちはヴィンテージ風だな。さて、なるべく早くと言われても、そんな器用な話し方はできないわけで、徹底的に反論を封じ込むしか時間短縮のやりようはないぞ。

 仕掛けのはぼくなのであり、願うところはぼくにある。

 何よりまず、ぼくは章帆の楽器アンジーに、相応ふさわしい何かを与えてやりたかったのだ。その名を与えられた相棒は、章帆が抱く愛を深く受け止めてきたと思うから。

 やりきってやるってことだよ。今日、幼くつたなままを。

「章帆がオトナをやろうと、ぼくはまだコドモでね、残念ながら。どこそこが素晴らしい世界だからって、そいつを虚仮こけにしても、それでにくまれても、甲斐かいというものなんだ。悪いけど、の意地に付き合ってもらう。」

 表情の消えようからして、しかし何かが意識を貫くふうからして、章帆はどうも察したらしく、もとより反論はなさそうだった――自分が仲間外れをくらったのだ、と。

「そりゃあ、分かるに決まってるだろ。やんちゃだろうが不純だろうが、ってきた金賞の山は、間違いなく愛器アンジーの実力の、名誉と勲章なんだよ。そいつが舞台ステージに帰ってくるってのに、復帰が、ただの親善大使か。馬鹿馬鹿しい。まるで役が足らない。もっと、とんでもない主役じゃなきゃ、ぼくは更々さらさら納得できないね。」

 章帆の愛を受け取るに足るものであるべきだ。

「ぼくは、今夜この舞台ステージで、章帆に真っ当な役柄やくがらで、真っ当な正装なんてして欲しくなかったんだ。飛び跳ねるつもりがなくても、それはいい。好きにしてくれ。だけど、章帆のバイオリンに、な役を負わせるな。それだけだよ。」

 何せ、章帆ひとり分だけの甲斐性かいしょうでも、やはり怪しいのだ。だからって、許せないものは許せない。

「――と、生憎あいにくだけど、ぼくに思えたのはここまで。正直に白状すれば、糸原いとはらさんに泣きついた。すると、糸原さんとしては、二回三回着たって、相手が同じなら嫌なものじゃないだろう、いっそ花嫁衣装を着せてやれ、ってさ。どうしてもこだわりがあるなら、本番は白無垢しろむくにでもしてもらえ、と。異論はなかった。全面採用した。」

 であれば、もう用意しているのだし、章帆は本来着るつもりだったドレスを着ることのない。章帆がコドモでいられないのなら、今夜、ぼくがその役を引き受ける。振り回して、巻き添えだ。ぼくなんぞ、本来着る予定だった服は、持ち込んでさえいない。

 もはや拒みようのないと本能でり、そして、もう、章帆は体をふるうこともままならず、まるで嫌でない、とはいえ、本番直前、落涙らくるいが行き場を求めようとも、根っからの奏者プレイヤーは、その至誠まことにおいて、それをかわくままにするしかない。とっとと着るよりない。

「ふたつ、言わせてください。」

 章帆に表情のないのは、もう、正解の分からないのだろうなと、そう思われた。

「次は絶対、お前を仲間外れにしてやるからな。覚えとけ。」

 どうやら、だいぶ大きな恨みを買ったらしく、敬語もなし。最後まで残るひとりは、八汐が大本命になったようだ。まあ、妥当だとうか。

 ふたつめを言うのに、章帆にかすかに笑みが生まれていたと見えるのは、気のせいではないだろう。

で着ちゃったらもう、金輪際こんりんざい着たくなんかねえですよ。本番は消去法の白無垢しろむくでお願いします。というか何ならもう、なしでいいです、挙式きょしき。」

 式を阻止したいがための企みではなかったので、消去法だな。すると必然、その後に何なりかを開催をすることも確定で、むしろ準備の手間が増える。そりゃあ、どうせなら弾かせたいだろう、一谷史真がやる気になってるんだからさ。無理がある、白無垢しろむくとピアノの組み合わせは。


 章帆は見事に騙されてしまい、結果、ぼくは報復に怯えなくてはならなくなり、では誰が一番得をしたかとなると、八汐の独り勝ちなのかもしれなかった。今後の企みの標的から大きくれたというだけの話でない。次点を挙げるなら姫名。

 章帆の衣装、さらにはぼくの衣装もだが、八汐と姫名は口出くちだしを控えた。何がどうあれ、当人たちの希望――というよりは、ぼく個人の好みが優先されるべきで、率直そっちょくに、ぼくが章帆に着て欲しいと感じたものが選ばれるべきだと、いくらぼくが朴念仁ぼくねんじんでもそのくらいの理屈は分かる。さらには、ぼく自身が何を着てそれを迎えたいのか、と、そういう話で、ぼくから最低限の確認を求めたのみだ。もともと着る予定だったドレスは存在していたので、寸法すんぽうなどは姫名が抜かりなくやってくれた。

 ではどこに口が出されたかといえば、ふたりから集中砲火を浴びてしまったのは央歌なのだった。花嫁がいる、新郎にあたるぼくがいる。では央歌は何を着るのかとなって、八汐が、間に立つなら聖職者だしそれなら男装させようと言い出したのが口火くちび

 おおよそ八汐が央歌に着せて眺めたいからこその発想なのだが、央歌の男装などと聞き捨てならぬと――ファン心理的に絶対に見たいし口を出したいという意味で、姫名も猛烈に乗っかってしまい、央歌はひとり散々さんざんな目にっていた。ぼくは央歌の恨みも買っているのかもしれなかった。ちゃんと着た後のあめを八汐は約束していたが、それはきっつらはち――正しい順番としてははちきっつら、というものではないのか。

 ともあれ、堂々と舞台ステージの中央――ただし今宵こよいに限っては少しばかり奥まった位置に、歩みく央歌を見送る。結局のところ、歌うための自分が何を着ているかなど、どうでもよくはなるのだろうが。歌えれば満足のやつさ。ただお前、ぼくの恨みは買ったぞ。しっかり聞こえたからな。章帆が、正直、うちの旦那だんなよりかっこいいと言っていたのを。

 もともとのモチーフとしては神父しんぷなのだが、あくまで寸借すんしゃくというところであって、ゴシック調で徹底的に理想に限りなく近付ける、と、章帆リーダーWRワロアまで予算は実質無制限と明言してしまっていた事も不幸だった、ぼくの財布さいふから出ると承知のため、葛藤かっとうはあるにはあったらしい、しかし、機会チャンスは今しかない、及び、妻公認、つまりふたりともどこまでも止まらなかった。既製品きせいひんでもなければ素人しろうとがどこかに噛んだものでもない。結論から言えば、新郎新婦より高値たかね金勘定かねかんじょうでもひとつを付けなければ気が済まないか。

 黒尽くろずくめかと言えば、白のケープなどもあり、濃赤こきあかが差し色になっていたりと、いつもの央歌よりよっぽど多彩カラフルだ。宗教的な意図いとがあるではないので、十字架クロスは避けたそうで、流星を想起させるための三芒星さんぼうせいが代わりに用いられている。それはそれで、某外車ベンツに喧嘩を売っているのだが。わざわざ、いやおうでも目立つ楽器のすでに置かれている側から、央歌は威風いふうで進む。投光もまた、央歌に合わせて進んでいく。

 どうせ、とうに隠せるものでない。ドラムセットどころの騒ぎでない、機械に乗せて運び入れる必要のある楽器だ、その機械さえ、仮に購入しようとすれば、まあ、その額で買えないギターはどうかしている。まったく、いちいちそんなだから、一谷史真に似合いだというのだ。ある意味、楽器のうち、ほとんどこの世で一等いっとう、馬鹿げているよ。どうしてこれが人々に膾炙かいしゃしているのか。人のごうかたまりだな。重いわけだよ。

 あるものは分かる。この先どうか知れないとわからされる、わからねばならぬ、その宣告せんこくは、マイクの前に辿り着いた果て、央歌がする。

 大したことないさ。今日という日のいずこと比べても。事実は心に優しくないと、それだけ。央歌は今、マイクスタンドの正しい前にあり、嘘きにはならない。

「ごきげんよう、ミナサン。さあ、この舞台ステージだよ。サヨナラ。」

 そして、スタンドをそのまま、マイクごと床に倒す。ひと言発したならば、もはや要らないために。雑音は入らない。全くの予定通り、もう音量はない。音は拾わない。

 わざわざ頼まなくったって、お前の矜持プライドが許さないだろう。この舞台ステージで、そんなものに頼るなんて。

 ぼくもまた、かねばならないな。

 さあ、いいか。

 愚かの極みを――

 自分ぼくに問え。

 ぼくがを弾くということは、ということは――

 




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