心のモヤ

「宮廷に夢占いができる巫術師がいる。君の夢を占って貰えば、悪夢を見た原因が分かるかもしれない」


「お気遣い感謝いたします。ですが、巫術師を寄越す必要はございません。失礼を承知で申し上げますが、三百年すら経験を重ねていない術者の占いを信じることは出来ません」


「三百年か……残念ながら只人ただびどである俺は八十年が精々生きられる年月だが――やはり君は花の精霊なのか?」


「しっ、失礼いたしました。先ほど申し上げたことは忘れてください」


 やってしまった。

 寝起きで意識がまとまらない事もあり、不用意な発言をしてしまった。


 養父は私が物心ついた時には既に、数百歳となっていたが、これは彼が仙人という特殊な存在であるゆえだ。

 大抵の人間は、八十年も生きれば長生きな方である。


 恥ずかしさのあまり、かけ布で口元を覆うと、白蓮は肩を揺らしながら笑った。


「良い。今聞いたことは忘れよう」


「ありがとうございます。あのぉ……今日はどうして青衣宮にいらっしゃったのですか?」


「理由は単純だ。君を俺の寝所へ呼ぼうと使いを送ったのに、俺の愛しい妃はもう既に眠ってしまったという知らせを聞いてね。こうして俺が直接、青衣宮へ足を運ぶことになった訳だ」


「そっそれは……」


 後宮の妃は日が暮れた後も、皇帝から夜伽の相手として指名される可能性があるので、すぐには眠らない。

 しかし、私は後宮へ来た日から、皇帝に指名される事など、頭の片隅にすら無かったので、他の妃より早く眠っていた。

 もちろん、今日も。


「大変失礼いたしました。明日からは、もう少し起きているようにします」


「いや、気にするな。これから後宮では千秋節宴せんしゅうせつえんの準備で忙しくなるであろう。ならば、今のうちによく眠っておくべきだ」


 白蓮が牀へ入ってこようとしたので、体を隅に寄せる。相変わらず青衣宮の牀は、二人で眠るには狭いが、窮屈な思いをしているのは、彼も一緒だ。明日からは夜伽の知らせを待ってから眠るようにしよう。


 疲れている彼を慰めてあげないと。


 他の妃はどうせ権力とか、つまらないものを狙って彼に近づくのだろうが私は別だ。


 正直な気持ちで彼に接することができる。


 これは彼にとって救いになるのだろうか?


「もし俺の体裁を気にしているのならば、その必要はないよ。今日は宦官の服を着て、ここまで来たからね」


「そんな……天子であろう方に、私はそのような事をさせてしまったのですか?」


 白蓮は再び笑い声を上げた。

 今度は、とびきり豪快に。


「他の妃が君に対して嫌がらせの類をしていることも、七七チーチー八八バーバーから聞いているよ。俺から彼女達に忠告することが一番手っ取り早い方法だろうけど、これでは根本的な解決になはならない。ゆえに俺は明日から他の妃も夜伽に呼ぼうと思う」


「そうですか。それならば、私への嫌がらせも減りそうですね……」


 白蓮がここまで私のことを、気遣ってくれていたとは。嬉しい気持ちが広がる反面、モヤモヤとした感情に襲われる。


 別に私は彼が居なくとも問題ない。


 一人で眠れる。


 一人で十分。


 今まで通りずっと一人でいい。


 私は復讐者だ。


 復讐をする者は孤独でいい。


 いずれ多くの人々から恨まれる存在だ。


 誰かに執着していては、きっと後悔することになる。


 私は白蓮を利用したいだけなの。


 情けをかけたいわけではない。


 だけど、彼が他の女と夜を共にしているところを想像すると心底不快になった。


「案ずるな。どのような事があれ俺にとって一番大切な存在は曇月だ。君が後宮にいる限り……いや、後宮に留めてでも君を守りたい」


 知っている。分かっている。

 今まで何度も聞いてきたから。

 だけど私は仙人で、いるべき場所は豪華な宮殿ではなく、凍えるように寒い山の中だ。



***



 早朝から、ぽつぽつと降り始めた雨は、日が昇るにつれ、次第に強くなっていった。

 窓辺で外を眺める鬼猫グウェイマオは、毛づくろいをしながら時々、にゃあと鳴き声を挙げた。

 

「ご実家から文が届いております」


 華やかな色紙に包まれた文を、持った侍女が一礼する。


「ありがとう。下がって良いわ」


 文を受け取り、中身を見る。

 そこには張家のかしらが書いた文章が綴られていた。

 内容は後宮の妃嬪ひひんにとっては、ありきたりな物で、社交辞令から始まり、後半には「最近陛下が君の元へ通っていると聞く」だの「一族を代表して喜ばしく思う」などと、私が陛下から寵愛を賜っていることに対して祝う言葉が並べられていた。

 最後にはご丁寧な事に「もし君がお世継ぎを身ごもった日には、盛大に祝わせてくれ」と書かれていた。


 結局は私自身も政治上の駒でしかないということになる。いや、私に限らず後宮に住まう妃は全員同じ宿命をかせられている。


(後宮は、まるで華やかに彩られた鳥籠で、私達は閉じ込められた小鳥ね)


「娘娘、文をお読みのところ失礼いたします」


 再び先ほどの侍女が、傍に寄り一礼する。


「本日のご予定を伺ってもよろしいですか?」


「今日は素衣宮へ行くわ」


「瑤徳妃様をお訪ねになられるのですね。承知いたしました」


 瑤徳妃へ官女の遺言を伝えないと……。


 


 

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