四竜皇国斎王記 〜火の章〜
卯崎瑛珠@溺愛コン受賞
序章 火の巫女、立つ
一話 竜人が治める国
斎王とは、竜皇の寵愛を一身に受ける者のことであり、竜人のように人を超越した存在となる。現在まで斎王になれた巫女はいない、と思われていた――
❖
天から遣わされた火・風・土・水それぞれの性質を持つ四人の竜人が、交代で竜皇となり治める国がある。
新たな年を迎えたばかりの朝は、昨夜から降り積った雪の照り返しが眩しい。足元の悪い中、竜皇の御座す竜宮から発せられた『即位の令』を伝えるため、馬に跨った役人どもが貴族の家の軒先に、矢に括りつけた書状を放って回っていた。
その書状には、朱書で『
(火ノ竜の代。ということは、災厄の年の、始まり……)
勝気そうに上がった眉に、唇は紅を引いていなくても赤い。血色の良い頬で、
からし色の
(どうりで、空が赤い……裏山からも、煙が上がっているように見える……)
百年毎に代替わりする竜皇の性格・気質は、その治世に色濃く反映される、というのが市井の常識だ。土ノ竜なら大地の恵み、風ノ竜なら風の運ぶ新たな種、水ノ竜なら豊かな水。
だが火の代だけは、『災厄の代』と呼ばれている。
苛烈な性格の火ノ竜・
日照りや、山火事。水不足や、食糧不足。火ノ竜に影響されてか、短気で暴力的な人間も増えるらしい。
人々は「生まれた時代が悪かった」と諦め、ひたすら耐え、次世代へ命を繋ぐことに注力するのだ。
朝比奈家は、四竜皇国中央にある竜都の、南西区画にあった。
従七位という、貴族と名乗るのも躊躇われるくらい下位である家は、自然豊かといえば聞こえは良いが、竜都に住んでいると言えるかも怪しいぐらい、最も端に在る。そのような家でも一応書状は届くのだな、と琴乃は妙なところに感心していた。
(
火ノ竜が竜皇に就くのは四巡目、ということだ。四火百年の翌年が
つまり四竜皇国は千二百年続いており、昨夜の
見上げた冬空は眩しいぐらいに青い部分と、昼前であるのになぜか赤い部分とがある。
昨夜の雪の影響か、風には少し湿気が混ざっている。
目に見える分には、まだ何の変化があったわけでもないのに、不安が胸をよぎる。
「あねさま……」
か細い声が背後から聞こえ、琴乃は精一杯口角を上げてから振り返った。ぜろぜろと苦しそうに、胸からくる咳を繰り返すのは、琴乃の十歳になる弟だ。布団に横たわったまま顔だけをこちらに向けている。
「ごほっ、ごほっ……さむ、い」
寒さを訴えられた琴乃は、急いで立ち上がった。室内へ足を踏み入れ、手早く上げていた
琴乃は床の上を静かに数歩進んで、畳の上に敷かれた布団の枕もとで膝を折りながら、横になっている弟の顔を覗きこんだ。琴乃と良く似た面立ちの少年の、痩けた頬が青白い。
琴乃はすぐに火の入った
「あり、がと」
喘ぐように告げる少年の声には、張りがない。
この、病床に
朝比奈家五番目の男だから、
次いで二十五、二十三、十九と男が生まれ、十七の琴乃。最後に十歳の五典の六人である。男ばかり産んだ母は、親戚筋から優秀な母体であると持ち上げられていたが、子供に全ての生気を渡しきったようで、五典の産後すぐ亡くなった。
「年が、変わり、ましたか」
目を閉じたままの五典が問うと、琴乃はこくりと頷き書状を広げて見せる。五典はそれをうっすら開けた片目でちろりと見て、また閉じてホッと表情を緩めた。
年末になると必ず、年を越えられないだろうと言われ続けている五典は、また少し自分の命を長らえたと思えるかもしれないが、と琴乃は切なくなる。災厄の年に病弱な弟が生きられるだろうか、と不謹慎なことを考えてしまうからだ。
(これから、どうなっちゃうんだろう……畑が枯れちゃったりしたら、五典の薬湯が作れなくなってしまう……そうならないと良いけれど)
「ゆき、ふって、ましたか」
続けて問われた琴乃は、軽く首を横に振る。五典は目を閉じたままでも、その動きだけで全てを察する。
「そ、です、か。ごほっ。また、あそび、たいな」
庭の雪をかき集めて、雪玉を投げあったり、わざと寝転んだり。小さな五典が無邪気に遊んでいた様子が、琴乃の脳裏に鮮やかに蘇る。
(私が喋れたら、五典を励ますことができるのに)
琴乃は琴乃で、数年前に声を失い、言葉を発することができない。声を失った頃の記憶も思い出せないから、原因も分からない。五典の世話をするだけなら支障はないものの、実の父からすら役立たたずと蔑まれている。
与えられた離れで、姉弟身を寄せ合いながら過ごす毎日は、貧しくともなんとかなっていたのだが、ここにきて災厄の代だ。
ざわざわとした胸騒ぎが止まらない、琴乃の勘は、当たることになる。
❖
朝比奈家の当主である父から呼び出されることは、滅多にない。
琴乃は、何事かと緊張の面持ちで離れを出て、
滅多に会わないからして、他人のように感じる。
琴乃が座すや否や、その男――琴乃の父は、唸るように口を開いた。
「琴乃……
父の言葉を聞いた琴乃は、座した姿勢のまま目を見開き固まった。禁中とはすなわち、竜皇の寝所である後宮のことだ。女官として採用されるような身分や素養が自分にないことを自覚しているので、心底驚いている。
「はあ。お前に何をさせるのかは知らぬ。だが口のない不出来なお前でも、竜皇陛下のお役に立てるならば、ありがたがって行くが良い。七日の
五典の世話は誰が、と琴乃は問いたい。だが、いくら喉へ力を入れようが、舌を動かそうが、声は出ない。
幼少時は普通に話していた記憶があるのに、と琴乃は焦燥感に駆られる。
声を失っている琴乃は、嫁ぎ先に腐心することなく、家に留まり弟の世話ができる境遇を、むしろ有難いと思っていた。
なにしろ母親がいないのだ。世話をする人間がいなければ、下級貴族の家で臥せる病人など、厄介払いとばかりに見捨てられてしまうに違いない。
琴乃は
『
父はその書き付けを読むや眉間に深い皺を寄せ、手の甲をパタパタと振った。
「わかっておる」
琴乃には、それ以上できることはない。
平身して礼を執り、再び離れへと戻った。
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