第39話 大切にしたい
私はてっきり、みんながぴろりんと呼んでいるものだと思い込んでいた。めぐみがつけたあだ名だとは、知らなかった。
頭が真っ白になり、涙が引っ込んでしまった。
思考も体の動きも停止したというのに、先生は容赦なく質問を重ねてくる。
「渡瀬さんは、めぐみさんの記憶を持っているんじゃないですか? だから僕が、どこの村生まれなのか聞いた。花火大会に女性を誘ったことがあるのか、その女性を好きだったのか聞いたのは、単純な好奇心じゃない。めぐみさんの話をしてほしかったんですよね?」
「違う……記憶はほとんどなくて……」
「ほとんど? じゃあ、少しは記憶があるの?」
「あ、あの、先生は前世を信じる人?」
「渡瀬さんが、めぐみさんの生まれ変わりだと言うのなら、信じます」
「それって、めぐみが好きだから?」
先生は、困ったように曖昧に微笑んだ。
蛍光灯の下。私は、先生の目を見つめた。先生の心は、目に現れる。眼鏡の奥にある榛色の瞳は、祈っているように見える。
先生は、私がめぐみの生まれ変わりであることを祈っている。
私じゃなくて、めぐみを必要としているとしたら……。
渡瀬友那を見てほしいという、こじれた思いが膨らむ。
「……違います。めぐみの生まれ変わりじゃありません」
「そうですか」
「ガッカリした?」
「別に」
「嘘だ、絶対にガッカリした! だって、めぐみが好きだから、花火に誘ったんでしょう? めぐみが生きていたら、結婚したでしょう!」
自分の口から出た言葉がナイフとなって、胸に突き刺さる。
「渡瀬友那じゃなくて、及川めぐみが好きなんでしょう?」
先生はポケットからハンカチを出すと、ポロポロと泣く私の目元に当てた。
ハンカチを貸してくれたらいいのに、そうせずに、先生は私の涙を拭いている。
先生は、渡瀬友那にも親切にしてくれる。そのことに甘えたくて、スカートのポケットにハンカチがあることを忘れることにする。
涙を、先生に委ねる。
「どうして泣いているの? 理由を教えて」
「イヤだ。軽蔑される」
「軽蔑しない。渡瀬さんの考えていることを知りたい」
私がめぐみの生まれ変わりだと知ったら、私を通してめぐみを見るんでしょう?
そういうの嫌だ。私を見てほしい。私が先生の一番になりたい。
それが、泣いている理由。だけどそれを言うには、めぐみの生まれ変わりであることを白状しないといけない。
そういうわけで、遠回しに尋ねる。
「めぐみを花火に誘って、好きだって言うつもりだったんでしょう?」
「違います。思い出が欲しくて、花火に誘っただけです」
「それだけ? 告白は?」
「考えてなかった。年下に興味がないと言われたし」
「じゃあ、好きだと言わずに引っ越すつもりだったの?」
「はい」
「どうして⁉︎ そんなの変だよ!」
「変って言われても……。あのときの自分には、仲の良い幼馴染という関係を壊す勇気がなかった」
「じゃあ、めぐみのほうから好きだって、告白されたら?」
先生はしばらく考えたのちに、ゆっくりと言葉を吐きだした。
「千葉に来て、いろんなことが起こった。祖父が亡くなって、父が再婚して。自分の考えを押し付けてくる義理の母と口論しては、しょっちゅう家を飛び出した。家にも学校にも、居場所がなかった。当時の精神状態では、遠恋できなかった」
「めぐみが生きていても、結婚しなかったっていうこと?」
「多分」
「なんでよ!! だって、めぐみのことが、今でも好きなんでしょう! 忘れられないんでしょう!」
「だけど、亡くなって二十年がたっている。当時と同じ熱量で好きだというわけではない。気持ちの整理はついている」
「なんで、そんなこと言うの」
小さい子が感情のままに泣くように、私もぐちゃぐちゃの感情のままに涙をこぼす。
「気持ちの整理がついているんだったら、なんで、私……。生まれ変わって、バカみたい」
「生まれ変わってもらって、僕は嬉しいけれど」
「だって、気持ちの整理はついているんでしょう? めぐみは過去の人なんでしょう?」
「渡瀬さんの中で、めぐみさんはどういう立ち位置なの?」
「……よくわからない。折り合いをつけられていないと思う。嫉妬しちゃうんだ。私が先生の一番になりたい。めぐみと比べられたり、私を通してめぐみを想われるのはイヤ。だけど、過去にケリをつけたから、めぐみは必要ないって言われるのもイヤ」
支離滅裂だ。こんがらがった頭で一生懸命に考えても、出す答えはこんがらがったもの。
私は、渡瀬友那として生きている。前世である及川めぐみをどう扱ったらいいのか、いまだにわからずにいる。
先生の手が、頭の上に置かれる。子供を宥めるように、優しい手つきで髪をひと撫でされた。
その手が離れていくのが、寂しい。
「渡瀬さんが嫌なこと、わかりました。比べたり、渡瀬さんを通して過去を懐かしむことをしないよう、気をつけます。それと、めぐみさんを必要ないと言うことはないです。──めぐみさんが事故で亡くなった日の夜。夢に、めぐみさんが出てきた。生まれ変わるから待っていて、と言った。自分の願望が見せた夢だと、ずっと思っていた。けれど、渡瀬さんがセミの鳴き真似をしたとき。本当に生まれ変わって来てくれたのかもしれないと思った。……当時の状況では、一緒になれなかった。だから、生まれ変わって来てくれた。自分はそう思ったのだけれど、違う?」
「えっ……」
「生徒とお付き合いするのは、信念に反している。でも、めぐみさんの生まれ変わりだというのなら……大切にしたい」
私はパチパチと瞬きすると、金魚みたいに口をぱくぱくと動かした。
「え? あの、え? どういう意味?」
「下校の時間が過ぎましたね。見回りの先生が来る前に、帰りますよ」
「待って! 頭が回っていなくて。えぇと、めぐみの生まれ変わりなら大切したいっていうのは、つまり……どういうこと?」
「ほら、立って」
先生に急きたてられ、よたよたと立ちあがる。背中を押されて、部室から追い出されてしまった。
先生の手が、私の背中を押している。生徒との境界線を守っている先生が、私に触れている。
「えぇと、めぐみの生まれ変わりなら、先生の大切な人になれるの?」
「止まらないで歩いてください」
「否定しないの⁉︎ ええーっ!! そうなの⁉︎ えっ? 先生って、私のこと好きなの?」
「さぁ?」
「焦らさないで! 教えてよーっ!」
「めぐみさんの生まれ変わりでない人には、教えられません」
「はい! 私、めぐみの生まれ変わりです!!」
「でしょうね。僕はめぐみさんって、さんづけで呼んでいるのに、渡瀬さんは呼び捨てにしているんですから」
「先生って、名探偵だね」
「犯人役がちょろすぎるんです」
「むむっ⁉︎」
昇降口から生徒たちの声がする。先生は一階に降りる階段の上で立ち止まった。
ここで別れる気だ。けれど、このままでは帰れない。
「先生、まだ質問に答えていないです。私のこと、好き?」
「……高校生と浪人生は、無理です」
私はしばし考え、その意味する答えに辿り着くや叫んだ。
「わかりました! 一発合格します!!」
真面目で理性的な冴木先生が、境界線を超えてきてくれた。私が、めぐみの生まれ変わりだから。
そのことに嫉妬は起こらなかった。わかったのだ。
先生は、私がめぐみの生まれ変わりだと言うのなら信じると話した。私の考えていることを知りたいと言った。めぐみと比べたり、私を通してめぐみを懐かしむことをしないように気をつけると話した。
先生は包容力がある。友那とめぐみ、二人を一緒に包み込んでくれた。
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