第37話 疑似恋愛
話に一区切りがつき、私と沙彩先輩はトイレに入った。
先輩は、話し足りない様子でいる。私は、トイレから出た後も先輩のおしゃべりに付き合うか悩んだ。
「こうなったら、とことん話を聞いてみる? でも、なんて言ったらいいか困る」
悪いのは柳先生だ。同僚の先生と女子中学生、二股をかけていた。最低のクズ人間。
だけど、告白したのは沙彩先輩。柳先生が告白を断っても、食い下がった。深山先生と交際していると知りながらも、身を引かなかった。
同情はするけれど、味方にはなれない。
水道で手を洗っていると、まるで幽霊のような朧げなものが、ふわっと隣に立った。
「沙彩先輩っ⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」
先輩の色白の顔が、さらに白みを帯びている。血の気がない。
先輩は手のひらで口を覆うと、ふらつく手を私の肩に置いた。
「ごめん。タクシーを呼んでくれる? 気持ち悪い」
「はい、今すぐに!」
制服のポケットに手を入れたが、スマホがない。先輩から借りて、タクシー会社に電話を入れる。
沙彩先輩を支えながら、校門に向かう。校門のすぐ近くにある花壇の縁に先輩を座らせ、背中をさする。
「大丈夫ですからね! 大至急来てくれるよう、言いましたから!」
「ありがとう」
「病院に行かなくていいんですか?」
「うん。つわりで、あまり食べられなくて。そのせいで、体力が落ちているだけだから。家で休めば、大丈夫」
タクシーが来るまでの間、私は食べ物の質問をした。
沙彩先輩は米が炊きあがったにおいもダメで、吐き気がするそう。食事は、果物やフライドポテトやナタデココゼリーなどが多い。
先輩は質問に答えながらも、どこか上の空。話したいことがあるのに、ひどくためらわれて口にだせないといった様子。
私は、質問をするのをやめた。
互いに無言を貫いているうちに、タクシーが到着した。
タクシーの中で、先輩は甘えるようにして私の肩に寄りかかった。そうして、ぽつりぽつりと話しだした。
「私ね、柳先生が好きだった。でも、最初から本気で好きだったわけじゃない。憧れで終わるって、思っていた。だけどある日、部活のことで相談に行ったら、先生は音楽準備室の鍵をかけた。他の生徒が入ってくると面倒だからって。私、柳先生と鍵のかかった部屋に二人でいるっていうシチュにドキドキした。でもね、勘違いしないで。なにもなかった。抱きしめられたりとかキスとか、なかった。普通に話をして、冗談っぽく、好きかどうか聞かれて。……好きって、答えた」
驚きの声さえ、あげられなかった。私もまったく同じシチュエーションを経験したから。
時期を聞くと、私より少し後。私は九月で、先輩は十月。
中二の九月。私は、実里のことで相談に行った。柳先生は、音楽準備室の鍵をかけた。
「他の生徒が来ると面倒だから、鍵をかけておこう」
相談が終わり、部屋を出ようとした私に、先生は冗談っぽく笑った。
「じゃあ、好きとか?」
鍵を解除しようと伸ばした先生の腕。半袖からでた無防備な素肌が、触れ合った。
私は柳先生を異性として意識していなかったし、修哉先輩が好きだった。だから、先生のしたことは不快でしかなかった。
けれど、相手が冴木先生なら話は変わってくる。沙彩先輩と同じように、私も好きだと想いを告げてしまうだろう。
沙彩先輩の告白は、他人事ではない。もしも私が柳先生を好きだったら、先輩と同じことになっていた。
沙彩先輩のアパートには、七分ほどで着いた。
私たちはタクシーから降りると、ファミリー向けのアパートに入った。
上品で落ち着いた、モダンな部屋。沙彩先輩はグレー色のソファーに横になった。
創立百周年記念の花火が始まるまで、あと四十五分。時間が気になる。だけど中途半端なままでは、帰れない。走れば、二十分ほどで学校に戻れる。
そういうわけで私は、話の続きを促した。沙彩先輩はソファーに横になったまま、話してくれた。
好きだと打ち明けてしまった沙彩先輩。柳先生は、おどけた口調で返した。
「顔が真っ赤。可愛い。そんなに俺のことが好きなんだ?」
そのときは、それだけで終わった。
しかしそれから柳先生は、
「顔にまつ毛がついている。とってあげるから、目をつぶって」
と、触れてきたり。
「フルート、うまくなったな。受験勉強も大変だろうに、えらいよ」
と、頭を撫でたり。
日に日に膨らんでいく、柳先生の存在。
沙彩先輩の頭は先生でいっぱいになり、ダメ元で告白した。先生は断り、沙彩先輩はこれで諦めることができると、少しホッとした。
音楽準備室から出ようとした沙彩先輩を、柳先生は後ろから抱きしめた。
「でも、沙彩の気持ちはすごく嬉しい。ありがとう」
その後。柳先生は沙彩先輩と二人になると、深山先生の愚痴をこぼすようになった。
「明るい性格がいいなって思ったんだけど、いざ付き合ってみたら、わがままだし、金銭感覚がずれているし。どうしようかって感じ。沙彩みたいに素直な性格なら、可愛げがあるのに。お嬢様って付き合いづらい」
それを聞いて、沙彩先輩は思ってしまった。
──先生は深山先生のことを、愛しているわけじゃない。そのうち、別れるのでは? だったら、諦めなくてもいいんじゃない? 先生は、私にだけ愚痴をこぼす。それって、私に心を許しているからだよね?
沙彩先輩は、その希望に縋りついてしまった。誰にも話さないから自分と付き合ってほしいと、再度告白した。
そうして付き合い、求められて体を許し、深山先生に子供ができたから別れようと告げられた。
話が終わり、沙彩先輩は静かに涙をこぼした。
「先生は擬似恋愛をしたかっただけなのに、本気になって。私、バカだよね」
「バカじゃないです! 悪いのは、柳先生です!! 最低っ! クズ人間! 地獄に落ちればいいのに! 見つけたら、ぶん殴ってやるっ!!」
「ふふっ。怒ってくれて、ありがとう」
先輩はソファーに横になったまま、片手を出した。その手に触れると、氷のように冷たい。
私はそばにあったブランケットを先輩の体にかけ、冷たい手を両手で包み込んだ。
柳先生は、生徒と本気の恋愛をする気なんて最初からなかった。思わせぶりな態度をとって、相手がどう反応するのかを楽しんでいた。先生と生徒という境界線のスレスレで遊んでいた。
十代の女の子の純粋な気持ちからくる、年上男性への憧れ。それを利用して、弄んだ。
憧れや優しさや弱さにつけ込む最低な人間がいることを、柳先生で知ることになるとは思わなかった。
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