第21話『地獄龍』


 一歩踏み出す度に、ひりり強大な妖気が肌を焦がす様だ。

 紀子は確信する。


 鬼門遁甲なんちゃらを仕掛けた術者が何者かは分からねぇが、通れば死ぬ門に門番は必要か!? 否!! つまりはそこが正解の出口!!


「さ~て、鬼が出るか、蛇が出るか……」


 ぺろり舌なめずりをし、ずずいと前へ出る。その都度、ぎしりぎししと空間が、まるで悲鳴を上げるかに歪み、上下左右の感覚すら怪しくなる。ただ、前方にあるだろう強大な妖気は、まるで強風が吹き付ける様に荒々しくも息づいていた。


「ま、待って……」

「待たねえよ」


 腰にまとわりつく鏡の手を振りほどく。

 こんな強い妖気は、初めてだ。逸る気持ちが、紀子を駆り立てる。死の危険など微塵も無い。どんな敵がそこに居るのか。己の魔術が、父や兄らから学んだタイ捨流剣術が、どこまで通用するのか、熱烈な好奇心と冒険心が燃え盛る石炭の如くに紀子の胸を焦がしてやまぬ。


 その内、幾重にもダブっていた陽炎の様な風景は融けて消え、大小様々な砂利石の転がる、まるで賽の河原かの様な風景が広がり出した。見晴らしは悪い。遠くを見れば、闇が深く、近くにあれば青白い鬼火がそこかしこに。


 そして、それは居た。


 まるで戦国かそれ以前から飛び出して来たかの巨大な大鎧。


 黒ずむそれはまるで焼けただれたかに赤い炎をまとい、ただ座してるだけだが、その巨躯は優に紀子と同じ目線にある。紀子も、というか鬼島家の者は、皆それなりに背丈がある。つまりは、目の前の妖魔がそれ程に大きいという事だ。

 遠目に見ても、小山の様なそれはただひたすらに強烈な陰気を放ち、わずかに近付くだけでもその熱気を感じずにはいられなかった。


「こいつあ~……」

「や、やばいよ……のりちゃん、これ、やばい奴だよ……」

「へっ、上等だぁ!」


 ザンと手にした水晶剣を地面に突き立て、紀子は思い切って上着を脱ぐ。その意気込みを現す様に、勢い丸めて鏡に叩きつけた。続き、例の黄色いエプロンも脱ぎ捨てると、鏡の頭に放り投げる。


「っぷ!?」

「預けたぜ」


 ぶるん、大きく胸が揺れ、ジーンズとTシャツ一枚の動き易い姿になった紀子は、改めて剣を引っこ抜き、ぶんと振る。


「よし!」


 目に力が宿る。己に気合を入れ、勢い前へと出た。




 その燃える大鎧の妖魔は、紀子が近付くにつれ、その面頬の奥から赤黒い瞳を開き、じっと見据えてきた。


「女か……」


 嘲笑するかの響き。

 腹の奥底から漏れ出る様な。

 微笑む紀子はそれを平然と受け流す。


「それがどうした?」

「いや……男を一人、消してくれと頼まれたでな」

「お~い、鏡~。お呼びだぜ~」

「遠慮しまーす!」

「だとよ」

「気にするな。順番が少しずれただけの事」


 そう告げて巨体が揺らぐ。徐に立ち上がると優に背丈三メートルはあろう。影の如きいびつな面から見下ろす眼光は静か。目の前の術者二人等、端から問題にしてはおらぬかに見えた。


「へっ、言うじゃねぇか……」


 じわり、汗が滲む。妖魔の放つ熱気の性か、それとも……


「どうした? 二人同時でも、俺は一向に構わぬ」

「悪いがお相手は、あたし一人だぜ」

「ふっ……無理はするな。貴様ら程度の術者など、星の数ほど喰ろうて来た我ぞ」

「ぺらぺらと良く喋る」


 正直、こんなにすらすらと人語を操る妖魔は初めてだ。この流れ出る妖気からして、相当強力な妖魔。いや、もしかしたら妖魔将の類かも知れない。

 妖魔の中には、妖魔将と呼ばれる更に強力な存在があると言う。多くの妖魔を従え、異界より度々訪れてはヒノモトを混乱に陥れたらしい。


 だが、頼まれただと? こいつを使役する存在とは?


「くくく……迷うか……」

「何をっ!?」


 一瞬の迷いを突かれ、紀子は思わず前へ出た。己の間合い。斬れぬ距離では無い。

 だが、その妖魔はすうと半歩下がり、背の大剣へと手をかけた。


「ふ……青いな」

「若いんだよ! 爺さん!」


 振りぬくそのままに、紀子は剣と己を風車の様に滑らせ、独楽となって大剣を打ち反らす。

 カチン。

 軽い金属音と火花が散り、横へ、右へと回り込む紀子。剣を肩に担ぎ、そのまま体をぶつける様に斬り込もうというのを、斬り降ろされた大剣が斜に切り上げるかに追い、激しく打ち合っては離れた。


「ほう。良く動く。また独特の間合いだな」

「ちっ、妖魔のくせに良い体裁きしてんじゃねぇかよ!」


 紀子の納めているタイ捨流剣術とは、その昔、京において新陰流開祖の上泉信綱の元に集った新陰流四天王と呼ばれた内の一人、丸目蔵人之介が九州で開いた剣術で、手裏剣や小太刀と言った半ば忍術めいた技が多数あり、後に江戸城の警護として「東の柳生、西のタイ捨」と並び称された流派である。


 紀子は剣を右肩に担いだそのままに、油断無く、欠けた水晶をぬらりと修復する。

 一合、二合とした感触。剣圧が重い。が、あれが本気とは思えない。


 余裕ぶってる?


 楽しんでやがる?


 すると、面頬の内からくぐもった笑いが漏れ出る。先ほどの嘲笑では無い。愉悦を帯びた、タールの様な人ならざる者の笑いだ。


「なる程。現世の剣士といったところか」

「なんだあ~、妖魔にもやっとうの流派って奴があんのかよ!?」

「知らんな。知らんが、言うなれば我が名『地獄龍』よりとりて『地獄流』とでも名付けようか」

「『タイ捨流』剣士『鬼島紀子』!」

「ふ……人の身で、名に鬼を持つか……」

「そっちこそ、読みが同じだぞ!」

「ぬかせ……ならば、これでどうだ?」


 ゆっくりと大剣を掲げ持った地獄龍は、瞬間、全身より烈火の如き炎を吹き出し、間合いより離れた位置に立つ紀子の衣服をちりりと焦がす。まるで炎の塊。地獄の炎そのものと化した。


「それが本性か!?」

「ふふふ……矢は焼け落ち、剣は持つ手が焦げるぞ。まさか、卑怯などと言わぬよな?」


 大上段に構える地獄龍は、正に火の構え(剣道において上段の構えを火に例える)そのもの。火柱となって周囲を赤々と照らし出した。その足元は石すらも溶け、しゅうしゅうとガスを発っす。そのうねる様は正に地獄の龍であった。


「まあ、大した化け物だぜ」

「の、のりちゃん! 逃げよう! 逃げようよ!」

「は! 今ならおめぇ一人くらい抜け出せんじゃねえの? いけよ」

「で、でも!」

「行けって! 邪魔すんなってーの!」


 そう鏡に一括すると、紀子は己の剣を高々と上段に構え、不敵な笑みを浮かべた。


「やってやろうじゃないの」



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