第21話 劣等感の末に
炎の檻とも言える壁に囲まれた神官二人は、顔面蒼白となり諦めたように立ち尽くしていた。
「ここにいる礼拝者と神官は、この炎から逃さない。イリスはルバーブを追いかけな!」
アイネが軽やかに指を鳴らすと、イリスの前に蒼炎の道が拓ける。
「青い炎……?」
「その炎は、私が許可した者が触れる分には問題ない」
レイへ繋がる青く揺らめく炎に誘われ、イリスは一歩を踏み出す。
その姿を僅かに目を細めたアイネが見守る。
ルバーブの持つ闇の石は、イリスとあの青年にしか破壊できない。
アイネは自分の力ではどうにもできない歯痒さを感じながら、己にできる最大限のサポートをすると決めてこの場所へ来ていた。
イリスが、レイと共に神殿を出たことを確認すると、蒼炎は消滅し本来の赫灼たる炎が部屋の中を包み込んだ——。
「イリスのお母さんが炎の陣を展開した時、ルバーブは自分に防護魔術をかけて逃げたんだ」
外へ出ると、不気味なほど静かだった。人の気配が全くしない。
ナズナが礼拝に来ていた人達を避難させたことは知っていたが、まるで人のいない異世界に迷い込んだ気分になった。
レイの金色の双眸が、ルバーブの後ろ姿を捉えた。
周りに人がいないからこそ、レイは躊躇いなく魔力を解放する。
「逃さない……!」
静かな決意に魔力が乗る。
レイが肩の位置まで腕を伸ばす。手首を返し拳をつくったかと思うと、何かを引き降ろすような動きを見せた。
すると、突如として浮かび上がった巨大な氷柱が、ルバーブ目がけて降り注がれた。
ルバーブに氷柱が突き刺さる直前、イリスは思わず顔を背ける。
白い煙が立ち昇ったかと思うと、靄がかかったように視界を奪われる。
レイが手をゆっくりと下ろすと、風が吹き靄を押し流す。
「まだ逃げるか……」
解けた氷柱の水溜まりと、氷片がそこかしこに残るのみ。ルバーブの姿は、そこにはなかった。
ルバーブは攻撃を受けると同時に、自身の火魔術で相殺し、蒸発した霧に紛れて逃走したのだ。
ルバーブは、こんな無様に神殿の敷地内を走ることになるとは思っていなかった。苦々しい表情で唇を噛む。
儀式も邪魔され、闇の力の増幅もできず、何のためにここまでのし上がってきたのか。儀式さえ上手くいっていれば!
「何時だってあいつが邪魔をする! あいつさえ——アオイさえいなければ……っ」
目を見開き、恨めしい顔で唸るように声を絞り出す。
「今回とて、グレイとかいうジジイの姿で動き回りよって……忌々しい! クソッ! クソッ! クソォォォーーっ!!」
◇
ルバーブの同期——アオイという神官は規格外に優秀だった。人当たりも良く、魔術師としての腕も超一流。
ああいう男を天才なのだと……仕方ないのだと言い訳して、投げ捨てたくなるほどであった。
それでもルバーブは、アオイとて同じ人間なのだと自分に言い聞かせて食らい付いてきた。
ルバーブは貴族出身で、元々傲慢な性格ではあったが努力家でもあった。そんな彼が初めて負け続けるという屈辱を味わった相手がアオイだ。
アオイがいなければ、アオイと同じ時代に生まれなければ……っ!
次第に邪魔な存在としか思えなくなり、己を高めることよりも、相手を貶める事ばかりに没頭していった。
そんな小さな怨みがこつこつと積み重なり、醜い感情に囚われた頃、ある男と出会う。
ルバーブの心の隙間——弱くて軟い部分が朽ちて熟すのを待っていたかのような絶妙な頃合いだった。
その人物は神殿に出入りする商人で、眼鏡をかけた穏和な見た目に、長い髪の男だった。
初めて会った時は、口の上手い商人くらいにしか思っていなかった。
しかし、この男は存外に使える男で、物以外にも多くの商品を扱っていた。
それは"情報"だ。
ある時、この男は商人という立場を逸脱してルバーブに接触を図った。
手順も踏まず不躾な男だ、とルバーブは思った。
「大司教様の貴重なお時間を割いてしまい、申し訳ございません。どうしてもお伝えしたいことがございまして……」
謙りながら話す商人に対し、気分を良くしたルバーブは話を聞いてやることにした。
男の目が、眼鏡越しに暗く嗤っていることにも気づかずに……。
それからルバーブは、情報を買う客の一人となった。
情報を入手することによって、神殿内では有利な立場で物事を進め、確固たる地位と信頼を得ることに成功した。
それでも、あと一つ成し遂げたいことがルバーブにはあった。
「大司教は、二人も要らんだろう」
当然ながら神殿にも規則がある。
そのうちの一つが"大司教の役職は二名とする"というもの。
その理由は幾つかあるが、多種多様な人々が様々な想いを抱えて訪れる神殿という場に於いて、偏った意見を持たぬように……というのが一番の理由だった。
ルバーブは、この決まりを変えたかった。
そのためには力が必要だ。
しかし、ルバーブにはアオイに勝てるほどの魔力も魔術もないことは、痛いほど理解していた。
先に大司教になっていたアオイを蹴落とし、己こそが唯一無二の存在になるためにはどうした良いか。そんなことを明くる日も、明くる日も考えていた。
そしてまた、眼鏡の男が甘い言葉を囁く。
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