第15話 堂々巡りの思考

 やる気のないステップを踏みながら、ネイローザにそれとなく視線を送る僕は、ふと気が付いた事がある。



(そう言えば、彼女がドレスを着た姿を見た事がないな)



 目の前にいる練習相手の女官は、本番さながらを意識してか、割と上等な衣装に身を包んでいる。


 艶やかな赤を基調としたドレスで、緻密な刺繡が施され、要所要所に真珠などの宝石が縫い付けられた物だ。


 貴族のお嬢様が着るのに相応しい装いであり、もしこれが本当に夜会の舞踊の場であれば、人々の目を惹き付ける事だろう。


 その点では異論はない。


 実際、目の前の女官は美しい。まだ少女のあどけなさは抜け切っていないが、それでも淑女の雰囲気を纏いつつある。


 少女の可憐さと、大人の女性の淑やかさを兼ね備えた、過渡期特有の色香と言うものを感じる。


 背丈は低いので、どちらかというと少女寄りではあるが。


 そんな目の前の女官に、部屋の脇で僕を見ているネイローザの姿を映してみた。


 しかし、想像するのが、意外と難しい。



(そうだよな。彼女は武官として、王家に仕えているんだ。目の前の女官とは、根本的に立場が違う)



 それが彼女がドレスを着ない理由であると結論付けた。


 そもそも、ネイローザの正式な役職は“近衛騎士団 零番隊 隊長”なのである。


 まごう事なき“武官”の役職だ。


 そして、その役目は“国王ないしその継嗣の護衛”である。


 その役目柄、僕か父の側に侍り、これを警護するのが仕事だ。


 ドレスを着て、のんびり宴に出る事はない。


 もちろん、宴に出るには出るが、それはあくまで“仕事”としてであって、僕や父に張り付いている。


 宴で着ている服も、武官用の礼服ばかりで、あでやかなドレスに身を包む事はない。


 男装の麗人と言えば物珍しさもあるかもしれないが、彼女の体は“子供”だ。


 長身の女性が格好良く男性の服装を着こなす場合もあるが、彼女についてははっきり言って似合っていない。


 少女がガチガチの男社会の騎士団に身を寄せ、服装もそれに合わせている。


 だが、身体や見た目がそれに合っていない。



(だからこそ、彼女にはドレスで身を包み、僕と踊って欲しいんだ!)



 僕は彼女の事を理解しているという自負がある。


 彼女に合わせてステップを踏む事には、自信があると言っても良い。


 なにしろ毎日、剣の稽古で彼女の息吹を感じているのだから、その動きはなんとなく見えている。


 それでもボコボコにされるのは、僕の体が付いて行っていないからだ。


 先はある程度は読めても、彼女の“速さ”には付いていけていない。


 さらに言えば、それこそ”百年の研鑽“という超え難い壁もある。


 意識と体の不釣り合い、不均衡、僕も彼女もチグハグなのかもしれない。



(それでも、だ。こんなつまらない踊りの稽古なんぞ止めにしてしまいたい。君と剣の稽古に勤しみたいんだ。せめて、せめて、だ。どうせ踊るのであれば、君とステップを踏みたい!)



 変わらず部屋の隅で僕を眺めている君は、どことなく不満げな雰囲気がある。


 おそらくは僕が真面目に踊っていない事に対してだろう。


 気が入っていない。熱を込めて練習をしていない。


 彼女にはバレバレだ。



(でも、仕方がないんだ。本当にやる気がないんだから)



 一緒に踊っている女官は、決して笑顔を絶やさない。


 あるいは、踊りの指導をしてくれている年配の女官ばあやからの助言もまた、僕のためを思っての行動だろう。


 王子が他国の姫を娶ろうというのに、踊りの一つも満足にできないのは、体面上よろしくない、と。



(言いたい事は分かる。遠回しに苦言を呈している事も、な。そんな事は分かり切っているんだ)



 でも、不本意な結婚である点は動かしようもない。


 なんで好き好んで、顔を合わせた事もない女性を……。と言うか、女性と呼んでも良いのか分からないくらいの幼子を、妻に迎えねばならないのか?


 その理由も知っている。


 先程、父と散々に口論になったが、その方が国益にかなうからだ。


 茶番だ。何もかも茶番だ。


 本当に踊りの稽古はつまらない。


 必要だと言う事も分かるが、それはあくまで“国”の為であって、“僕”の感情なんてものは黙殺されている。


 僕は彼女と、ネイローザと一緒に過ごしたいだけなのに。


 できれば、主従ではなく対等の、結婚という形の夫婦になりたい。


 でも、それを許してくれない。


 何もかも、その状況を構築できる条件にないのだ。


 子供であるネイローザは、子供を産めない。


 彼女と添い遂げた段階で、王家の血が絶える。


 嫁いでくる姫君を粗略に扱えば、一応成った和平の話が潰れ、再び戦になるかもしれない。


 上手に踊れないと、何と無様な王子だと嘲りを受けるかもしれない。


 ましてや、今がそうであるように、年齢も、体格も、明らかに下の女性にいい様に操られるのは、どうしようもないほどに格好悪い。



(様にならないんだよ、何もかもが! 彼女を抱き締めたい、ただそれだけなのに! 彼女と結婚したい、それだけなのに! せめて彼女を着飾らせ、踊りの相手を勤めて欲しいのに、何もかもがままならない!)



 こう思うからこそ、突き刺さる彼女の視線が痛い。


 殿下、真面目にお稽古してください、そうお小言を言われているようで。


 実際、真面目にやっていないのだから、その指摘は正しい。


 良薬は口に苦くとも体を良くする、忠言は耳に逆らうが行いを良くする、とは良く言ったものだ。


 ネイローザ、君はいつも正しい。


 正しいからこそ、僕にとっては痛いんだ。


 逆らいたい。世間から、国から、立場から、そして、君からも、何もかも、だ。


 君の真面目さを捻じ曲げてでも、僕は君と添い遂げたい。


 でも、それを許さないのもまた、君なんだ。


 ああ、本当に君と言う存在は罪深い。


 君の言葉に従えば従う程、君と離れて行ってしまうかのように錯覚してしまう。


 かと言って、全てに抗えるほどの力は、残念ながら僕にはない。


 君が先程祝ってくれた結婚の件。万歳三唱は僕にとって呪詛そのものだ。


 こんな踊りなんぞ止めにして、君を掻っ攫って城を出たい。


 クルクル回る円舞は、まるで僕の答えの出ない苦境を表しているかのようだ。


 女官も、先生方も、楽師も、そして、君さえも、僕に望んでいるのは“立派な王様”になる事であり、それこそ至上命題だ。


 ああ、本当に、本当に、なんてつまらない稽古なんだ。

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