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人間が本当に「考える葦」であるならば。

 この作品は思ったよりも難解だった。少なくとも小生にとっては、難解であると同時に楽しくもあった。考えることが好きな人にとっては、必読だろう。
 レヴューは本来、他の読者様にお勧めしたい点を書くだろうが、ここでは作者様の問いかけに少し耳を傾け、小生なりの考えをお伝えできれば、と思う。
 小生が大学で学んでいたのは文化人類学で、アイヌの口頭伝承を研究していたので、第二外国語はロシア語だった。作者様はドイツ語だったとのこと。文化人類学は歴史的に、植民地支配と結びつきが強かった。それと同時に、自省を深く求めてきた学問でもある。例えば世界がダーウィンの進化論に沸いたとき、文化も進化するという文化進化論がもてはやされた。しかし、その後、文化進化論は否定された。文化が進化するならば、「進んだ文化」と「遅れた文化」が存在することになり、植民地支配の考え方に逆戻りしてしまうと糾弾されたのだ。
 このように、世界中で持て囃された考え方であっても、よく考えれば間違いだと気づく。そして、文化は進化しないが変化はしている。今正しいとされる考え方やモノ、コトが、この先も正しいとは言い切れない。作者様の恩師の方が、今習ったことが間違いになるかもしれないという趣旨のことを仰ったのは、こうしたことを踏まえてのことだろう。
 散歩一つとってみても、AIは目的地への最短ルートしか教えてくれない。しかしふらりと自分の好きな道を通れば、思わぬ発見や出会いが待っているかもしれない。よくも悪くも、AIなどは直線的であり、出会ったかもしれないモノを、余分なものと断じて省いてしまう。
 果たして、人間にとって有益な散歩はどちらだろうか?

 是非、ご覧頂き、思考を巡らせてみてはいかがでしょうか?

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