第39話 『Ex.五津木塔子』
今回の話は蛇足的な閑話となります。本筋に直接関わりのない内容ですので、読み飛ばしても大丈夫です。
本日、37話、38話も更新しています。最新話から飛んでこられた方はそちらを先にお読みください。
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瀟洒な椅子に腰かけ、膝に置いた本を捲る手を止め、塔子は俯いていた顔を上げるとフッと微笑む。
彼女の視線の先には、カウチに仰向けに寝そべり寝息を立てる、後輩の端正な寝顔があった。
当初はアパートの部屋と『箱庭』で分かれて就寝することになっていたが、『箱庭』内にダンジョンなどというものが見つかったおかげで、塔子はこうして後輩の寝顔を盗み見る恩恵にあずかっている。
今日は色々と事の多い1日であったが、こうして座り心地のいい椅子で興味深い本を捲りながら、彼の寝顔で1日を締めくくれるのならば、決して悪い1日ではなかった。
五津木塔子と篠崎佑真の出会いは、2人の中学生時代まで遡る。
偶々同じ委員会に所属し、数回ばかり2人で当番をこなしたこともあるが、当初は言ってしまえばそれだけの関係で、親しく言葉を交わすような間柄でもなかった。
塔子にとって佑真が少しだけ特別な存在になったのは、彼女が2年になった夏休みの出来事がきっかけだった。
五津木塔子は、生まれた時から恵まれた人間である。
裕福で優秀、寛容で情の深い両親の元で愛されて生まれ育ち、物も環境も教育も、求めれば、いや、求める前に何だって与えられた。
両親はよく塔子に、存分に学び存分に遊び、色々な経験をしなさい、と教えた。そうすれば将来、なりたい者になんだってなれる、と。
当時の塔子は、この世のあらゆるモノに興味も執着も持たない人間だった。
望む前に与えられることに慣れ切っていたからだろうか。何をやっても特別面白いともつまらないとも感じないので、とりあえず両親の教えに倣って勉強だけは熱心に熟す優等生となった。
勉強面に関しては非の打ち所がないと言って差し支えない程に優秀で、容姿にも恵まれていた彼女には、あまり親しく付き合う友人はいなかった。話し方が独特なせいもあるだろうか、それとも、何事にも興味を示さず、常に気だるげな雰囲気のせいであったのかもしれない。同世代の人間にとっては高嶺の花で、人を寄せ付けぬ近寄りがたい存在になっていた。
そんな無味乾燥した青春時代を送っていた塔子に、遠慮の欠片も無く声をかけてきたのが、当時中学1年生だった篠崎佑真であった。
「あ、センパイ!丁度いいとこに!今からいいとこだから!来て来て!」
彼らの通っていた中学では、夏休み中の自由研究の課題のため、校舎を開放する開放日が存在した。
塔子自身は当たり障りのない内容で既に自由研究は終わらせていたが、暇つぶしに図書館に本を読みに来ており、そこで佑真に捕まったのだ。
両親以外にこんなにも親しげに話しかけられたのは初めてのことで、まともに返事も返せずにいた塔子は、あれよあれよという間に彼の友人らしき1年生の輪に連れ込まれ。
数分後、頭からびしょ濡れになった塔子は、彼らと一緒に腹を抱えて笑っていた。
ペットボトルロケットにメントスコーラを合体させたら飛距離はどれ程伸ばせるか、という壮絶に頭の悪い実験の結果は、惨憺たる有様であった。夏の日差しに照らされカラカラになっていた地面は泥だらけになり、ペットボトルロケットは花壇を抉って突き刺さっていたが、それがまた無性に面白い。
こんなに馬鹿げたことをしたのも、こんなに笑ったのも、生まれて初めての経験だった。
駆けつけてきた教師には怒られたが、高揚した気分は消えない。
コーラの逆噴射からは佑真に庇われて、被害は顔だけであった塔子は(この頃の佑真は塔子よりも大分背が低かったので、残念ながら首から上は庇えなかった)濡れタオルを渡されたが、水まき用のホースで直に水浴びをする彼らがあまりにも楽しそうだったので、突撃して自分も水遊びに交じった。
その夏の日を契機に、無色透明であった塔子の人生は色づいた。
相変わらず将来の役に立ちそうな知識は面白いとは思えなかったが、何の役にも立たなそうな雑学を調べるのはなかなか面白い。
あとは成功するだけの準備が整えられた実験は退屈であったが、思いつきの理論とその場のノリで準備した、どんな結果が出るのか分からない実験にはワクワクする。
しかし、彼女の心を一番弾ませたのは、彼女に対して気後れすることもなく話しかけてくる、後輩との交流であった。
別に、彼がいつも彼女を楽しませる面白いことをしていたわけではない。
ただただ無意味で、くだらないお喋りをして、冗談を言って笑い合う。
そんな交流が、何故か一等楽しかった。
五津木塔子は、生まれた時から恵まれた人間である。
裕福で優秀、寛容で情の深い両親は、愛する我が子が不要な苦労をしないよう、進むべき道を綺麗に整備し磨き上げた。
五津木塔子は、ある意味で不幸な人間であった。
目の前に広がる道が、あまりに綺麗に整えられていたがために、その道を少し飛び越えて、藪の中にある見知らぬ道を探してみる楽しみを知らなかった。
しばし後輩の寝顔を堪能していた塔子だが、本に視線を戻して、ペラリとページを捲る。
近隣で一番偏差値の高い高校を選んでしまったばかりに、佑真と高校が離れてしまった時には少し落胆したが、大学で再会できたのは僥倖であった。
世界が軋みを上げて崩壊しようとしている現在、とても楽観視できる状況ではないはずなのだが、塔子の心は不思議と浮き立っている。
世界がどれ程退屈でも、残酷でも、不穏でも。どんな時でも、見方を変えれば喜びも楽しみも見いだせる。
最初にその一端を見せてくれた後輩に今度は置いて行かれぬよう、一緒にダンジョンに潜れるようになるために、まずは武器となる力を探さねばならない。
これだけファンタジーな異世界の技術なのだ。攻撃に使用できるような魔法もきっとあるだろう。
この『箱庭』にも、異世界にも、世界の外にも、まだまだ解明すべき謎が山ほどある。そしてその謎を、この後輩と共に追いかけることができる。
不穏な気配ばかりの明日が、そう思えば不思議と楽しみに感じるのだ。
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