第18話
「人の顔を見るなり叫ぶ奴がどこにいる」
正座しながらも切れのある視線を飛ばして来る細身の男。
体の線が出るワイシャツに細身のスラックス、サスペンダーがこれほどまでに似合う男を、俺はこの人以外に見たことが無い。
まだドキドキする心臓を落ち着かせて、改めて顔を見ながら声を掛ける。
「家に来る時は来るって連絡が欲しいんだけど、
シャープな眼鏡のツルの部分を中指で抑え、そのまま七対三で整った髪を指で梳くと、正座したまま俺を見る。
漆黒の室内で俺を待っていたのは、六つ年上の清春兄さんだった。
年末年始ぐらいしか顔を合わせていなかったのに。
「連絡はしてあっただろう、返信は無かったがな」
「ちょっと忙しかったんだよ、プライベートメールは仕事中は相手にしないことにしているし。それよりも、一体どうやって家の中に入ったのさ?」
無言で胸のポケットから鍵を取り出し、目の前でプラプラと。
そういえば母さんにスペアキー渡してたっけか。
一人暮らしで中で死んでたらどうするの? みたいなやり取りだった気がする。
「だったら電気を点けて待てばいいじゃないか、何もこんな……いや、いい。それよりも、急に訪ねて来るなんて珍しいじゃないか」
こう見えて兄さんは俺を驚かす事が大好きな人だ。
先の叫び声もきっと心地よかったに違いない。クソが。
「親父がな、いつまでも独り身のお前が心配だと最近周囲に言いふらしたみたいでな。それで、こんなものを預かってきたのだが」
兄さんはバッグの中から、白く豪華なレリーフに象られたパンフレットの様なものを取り出すと、コタツテーブルの上に置いた。
相向かいに座り、妙に神々しいパンフレットを手に取る。
触った感触からして豪華だ、質感も鰐皮っぽいぞ。
「え、これって」
「俗に言うお見合いだな」
おいおいおい、俺自身不倫だなんだで訴えられそうになっているのに。
今このタイミングでお見合いって、無理に決まってるだろ。あ、可愛い。
「俺も二十八で結婚して、三十で娘の
「おじさんって、それに今この話は無理だ。色々とややこしい事になってるんだよ」
「ややこしい事ね。なんだ? ウチの一族に喧嘩売って来た馬鹿でもいるのか?」
「……さすがに今さら身内は頼れねえよ。あと、このお見合いもお断りで話しておいて欲しい。兄貴も知ってると思うけど、七津星雫って俺の幼馴染いただろ? 最近彼女と再会してな、多分……俺、彼女と結婚することになると思う」
かなり強めの願望入りの言葉だが、四神の戦いを制する事が出来れば間違いなくこの夢は叶うはずだ。
雫だって俺の事を愛していると言ってくれた、俺だって雫の事が好きだ。
絶対に、何があっても奪い取ってみせる。
失った九年間を取り戻して、俺と雫はやり直すんだ。
「俺の記憶が確かならば、七津星雫はお前を死に追いやったと記憶しているが」
兄さん、殺気が駄々洩れだ。
俺が雫にフラれた日にやらかした事は、両親も清春兄さんも知っている。
父さんも母さんも、兄さんも激怒していたし。
その日たまたま遊びに来て救ってくれた夢桜も怒っていた。
あんな女のどこがいい、お前が命を落とす価値はあの女には無い……みたいな事を兄さんは言っていた気がする。
あの日から、雫は俺の周囲では完全に敵という扱いに変わってたっけ。
雫と俺が結婚するとなると、色々と大変そうだな。
「なあ彰人、お前いい様に使われているんじゃないのか? 今更彼女がお前に会いに来ただと? それは今になって、お前のある意味本当の価値に七津星が気付いたってだけじゃないのか?」
「違う、それはない。雫は俺にだけは……もう、嘘はつかないよ」
テーブル一つ挟んで迫りくる兄さんを横目に、俺は雫が片してくれた部屋を眺める。
コップや食器、調味料の数々。俺は、彼女との日々を一日も早く取り戻したい。
それは、彼女も望んでいることなのだろうから。
「恋は盲目と言うからな、お前の意見だけでは信用できん。もし七津星と結婚するような運びになるのなら、絶対に両親と顔を合わす前に俺と面通しさせろ」
「分かったよ、約束する」
「あと、このお見合いの話は保留という事にしておく。その子についてもちゃんと目を通しておけよ? 父さんの知り合いの娘さんなんだ、この意味が分かるだろう? それに、あの父さんが周囲に言いふらしたんだ、その意味もな」
「分かったって。心配してくれてありがとうな、清春兄さん」
「何が分かったんだか」と言いながら兄さんは立ち上がり、身なりを整える。
「今度飯でも食いに行くか、年に一回しか見ないんじゃ茜もお前の事を忘れてしまいそうだ」
「ああ、いいよ。その場合はちゃんと連絡くれな」
「今回だってしたさ。あとさっきのややこしい事だったか? どうにもならない様ならちゃんと身内を頼れよ? お前は世界で一人だけの弟なんだからな。思いつめて勝手に居なくなられちゃたまらん」
今度こそ誰もいなくなった部屋で、一人長座布団に腰掛ける。
俺は恵まれている、清春兄さんに夢桜。
気に掛けてくれる人がこんなにもいるのだから。
ひょいっと手に取ったお見合い写真。
中に写る絶世の美女、脇に書かれた経歴や親族をぼんやりと見ていると。
とある文字が目に飛び込んできた。
「……マジかよ。でもな……」
パタンとお見合い写真を閉じる。
俺はコタツの中に足を突っ込み、いつもの寝るスタイルへとなり掛けたのだが。
ふと、視線に飛び込んできたキングサイズのベッド。
雫の温もりは既に無くなってしまったけど。
俺はいつかの日の様に大の字になって寝そべる。
『あはは、最高に気持ち良いよ! ほら、若もおいで、絶対に気持ち良いから!』
雫が心の底から微笑んでいた、あの日。
たった一回しか使ってないこのベッドに、早く主である雫を戻したい。
「一人じゃ広いな……」
障害がありすぎて、壁が厚すぎて。
だけど、その先にある夢が大きすぎて。
諦める言葉なんて、どこにもない。
一日も早く、彼女を取り戻さないと。
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