第26話 馬鹿でも帰れる道案内



 その森は一際瘴気に満ち溢れていた。

 深部から徐々に蝕み、広がり、そして森全て呑み込むように。


 それは生物の恐怖をも取り込んで、踏み込む者を惑わせ、更にはそこに生ける者をも生贄にしてゆく。




「けっけっけ、俺たちの瘴気も混じって森が澱んでやがるぜ。ここの水もどんどん濃くなってんな」


「パズーズ、いつまで飲んでいる。どうやら久しぶりの餌が来たらしい、森が咆えている」



 幻惑の森、その深部にある泉は魔力が濃く淀み、魔物にとってはいい住処になっていた。

 漆黒の羽を持つ二人の魔物は、ある者達と共に魔界からこの世界に降り立った悪魔だ。


 

 一ヶ月程前あちらとこちら、二つの世界を繋ぐ通り道が百余年越しに繋がれた。



 それはこの世界で言うところの魔王復活である。


 その事に最も早く、そして最も興味を持って行動したのが悪魔界の若きエリート、千手剣のラーヴァナと言う悪魔であった。



 無限巨大とも呼べるほど広きその魔界を手中に治める大悪魔神皇帝ルシファー、そしてその配下である六代悪魔に対抗する派閥は未だ魔界に存在しない。



 だが千手剣ラーヴァナはそこに風穴を開けてやろうと数百年の間、常に魔界の端でその隙を狙っていた。

 

 その末に六人の同士達がラーヴァナの元に集まり、都合良くもラーヴァナが住む魔界の端で偶然時空の歪みを見つけた。


 それがこの世界への入り口だったのだ。


 

 手始めにこの世界をその手にする事で自分の実力を魔界にいる悪魔達に示し、更なる同士を呼び集める。

 いずれはその戦力を持って、長く続く魔界のヒエラルキーを根底から覆すのが若きエリート、通称黒の魔王ラーヴァナの企みであった。




 ラーヴァナの企みを面白いと考え同士に加わった二人の悪魔、魔工ダンタリオンと風のパズーズ。


 魔力概論に聡いダンタリオンは、まずこの世界の魔力気場を抑えるべきだと考えパズーズと共にこの幻惑の森深部の泉を根城にしていたのだった。



「一丁暇つぶしと行くかい、魔工の」


「いや、必要ないだろう。ここに辿り着ける者だけに絞った方がいい生贄になる……どうやら一つ、二つ、いや三つ。ん、四つか? どうも高位な魔力を内包する者がいるな、はっはっは、これは面白い」


「んぁ? なんだ、はっきりしねぇな。まぁいい、退屈しのぎにはなりそうだな。ここが完全に瘴気堕ちしたらとっとと次に行こうぜ」



 パズーズはそう言い笑うと、再び泉の魔力で腹を満たし始めていた。












「ね、ねぇ……こんなに先頭行って大丈夫、メルリジョバーン?」


「え? 不味かったかな。まぁ確かに魔力がが多くて危険な森だね、これだとすぐにでも魔獣辺りが出そ……」

「ちょ、ちょ、ちょっと!!!」



 革服にショートソードを一本だけ差した簡素な装備の少年が、後ろに続く女性陣に森の危険さを解こうとした刹那であった。


 少年の背後には緑色の肌を露出させ、どこからか拾ってきた太めの枝を棍棒代わりにした生き物がその牙を向けている所だった。



「ご、ゴブリン! 魔物がいるわ!」

「ジョバーンヌー!!」


「わ、私が! ファイアーボール」



 メルリジョバーン少年を守ろうと、パーティ後衛の女子が空かさずステッキから火の玉をゴブリンに向け撃ち放った。

 だが火は棍棒に燃え移っただけで、全身緑の化物は平然とした顔で燃える棍棒をメルリジョバーンへと振り下ろす。



「ん、なんだ。ゴブリンか……鬱陶しいな、愛琉鱗斬」

「Pyuwaaaa!?」



 少年は気付けばショートソードを一振りし終えた所であった。

 ゴブリンは青黒い血液をその場に垂れ流し息を間もなくその生命の灯を消した。



「す、すごい!」

「さ、流石はメルリジョバーンね。造作も無いって所かしら」


「私の魔法が弱くなってる? それともゴブリンの方が強く……? この森、おかしいわ」



「なんだ、ちょっと痛めつけるつもりが勢い余って斬り殺しちゃったか。参ったな、もう少し威力を弱めないとか」


「相変わらずチート過ぎるわ、でも、好き」


「おいおい、当たってるって!」




 幻惑の森、リタ達の少し先では女性陣のキャーキャーと言う黄色い声が響いていた。


 

 森の中はまさに鬱蒼。

 陽の光は僅かに差し込み時折足元の草の葉に反射してキラキラと光るが、それでも森中の淀んだ瘴気は確実に皆の身体に纏わり付いてくるようで不気味だった。



 半ば無理矢理先頭を歩かされているゼオの頭をふとミュゼが引っ叩いた。



「って! 何すんだよ急に」


「分かんないけど、何かイラッとしたから」


「はぁ!? そんな理由で俺の正義の頭脳を痛めつけんなよな、偽王女」



「ははは、君達は仲がいいのだね。どうだい、僕も仲間に入れてはくれないか?」




 ゼオパーティの足並みはどうやらレオンハルト騎士団と並んでしまい、気付けば大所帯となっていた。

 だが薄暗く気味の悪いこの森ではむしろこの方がいいと思うのも正直な所だろう。



「キルレミット卿、些か戯れが過ぎます。未成年を誑かすのもその辺にしておかないとレオンハルト卿に」


「はいはい、分かってるって。ロレンスは小煩い小姑になりそうだな」

「こっ、小姑!?」

「なぁハッハッハ!! 確かに。コイツの旦那になる奴は大変そうだぁ!」



「俺は未成年じゃねぇ!」


「私だってもうすぐ15よ、あと少しで盛大なお誕生日会が開かれる筈だったのに……なんでこんなことに」



 

 深緑の葉ばかりの鬱蒼とした森で話に花が咲く。



 レオンハルト騎士団のリーダーである金髪の優男はキルレミットと名乗った。

 どうやらカルデラ帝国の国境を守るレオンハルト辺境伯の子息だと言う。

 


 パーティに加わるスキンヘッドの男はキルレミットと同じくレオンハルト領で傭兵団を指揮する団長だ。

 巷では鬼のカッチョルと有名らしい。

 

 今は隣国の動きも少なく、休暇を貰ったもののキルレミットの突拍子も無い行動に結局休みを潰してここまで付き合わされていた。



 真紅の長い髪に銀のプレートメイル。

 ロレンスと呼ばれた女流騎士もまた元カルデラ帝国騎士団の一人。

 

 紆余曲折あり辺境へと左遷された所をレオンハルト辺境伯に面倒見てもらい、今は逆に息子のキルレミットの護衛として日々仕えているらしい。

 



「あぁぁ、こんなに散らかして。魔物とは言え生き物は美しく扱わなければ」


「ふむ、確かに剣筋が荒すぎるな。手が震えたままノコを引いたかの様な乱雑さだ。何かの幻覚症状が出ている人間の仕業かもしれん……それにこの棍棒の燃え痕、マッチか何かで火をつけたのか?」



 キルレミットはふと地面に散らばる緑色の死体と、青黒い血だまりを目に留め首を振った。恐らく先を行っていたグループが襲撃してきた小物を返り討ちにしたのだろう。


 キルレミットは「嘆かわしい」と一人呟いていたが、その横で死体を見聞するリタの鑑定眼には甚く同調している様子であった。



「キルレミット卿、魔物に同情等必要ありません。奴等は悪の塊。マキナ、仲間が集まると面倒だ、消し炭にしておけ」



 女騎士のロレンスは散らばるゴブリンの死骸に侮蔑の目を向け、後ろに控えていたマントの少女に声を掛けた。


 少女は黙ったまま身体を二つに分けられたゴブリンの死体を集中業火で念入りに燃やし尽くした後、氷の魔法でその炭を囲っていた。



「す、すご……魔法じゃん」

「氷結魔法、か。元素魔法でも高度と言われるものな筈だ」


「べ……別に、た、たいしたもんびゃな!?」



 沈黙を守っていた少女だが、突如アンナとミュゼに感嘆の声を向けられるとオロオロと恥ずかしげにその場をウロウロと徘徊し始めていた。



「ははは! やめてやれ、この嬢ちゃんは褒めると恥ずかしがって噛むんだ」


「ねぇちょっと、私はミュゼって言うの。私にもその魔法教えなさいよ」



 茶化すスキンヘッドを他所にミュゼはグイグイその少女へと歩み寄る。どうやら本気で自分も魔法を覚えたいようだった。



「へ……え、あ、わ、私、マキナ」

「そう、マキナ。何かキャラがどっかの奴隷猫と被ってるけどまあいいわ、私これでも王族の血を引いてるの、魔力量は多い筈よ! で、それどうやってやるの?」



「お前には無理だろ、偽物なんだからよ」




 ゼオは再びミュゼに脳天を引っぱたかれ、それをキャラの若干被った猫耳ミーフェルが慰めていた。





 幻惑の森に足を踏み入れてから小一時間程は歩いただろうか。

 変わらぬ景色と不穏な空気に皆の時間感覚は狂わされていく。


 森とは元来魔力が淀み、漂う場所。

 そこにはそんな気に魅せられ多くの生物が住み着く。


 時に森は瘴気を漂わせ、踏み入る者を恐怖させる。恐怖はまた更なる恐怖を呼んで瘴気は無限に広がるのだ。


 それを人々は森のダンジョン化と呼んだ。



 

「ってリタ、さっきから何してんのよ」



 ミュゼはレオンハルト騎士団の魔法少女マキナから小難しい魔法理論を語られ半ば飽き飽きした様子で、ふと木の幹を弄くり回すリタにいい加減ツッコミを入れた。



「何度も言わすな、蜜蝋に決まっている」


「初めて言ったわよ!」



 リタはこの質問がいい加減何度目かと苛立ったが、それは同郷のラックとルーシアの話だったなと気付く。


 二人は今頃どうしているだろうか、今頃はもうSランク冒険者になった頃か、いやそれはないな等と思いを馳せた。



「お前……まさかそりゃ月光蝶の為に塗ってんのか!?」

「ああ、そうだが」



 こりゃたまげたとばかりに、カッチョルはリタの行動を理解し自分のスキンヘッド頭をペチっと一つ叩いた。

 

 月光蝶と言う単語に疑問を抱いたキルレミット卿は、リタの蜜蝋を指で取り匂いを嗅いで一舐め。

 目を見開いている。



「これは、美味い!! どんな料理よりも絶品だ! これをトーストに塗って、ロマネンティを一口、あぁ! そんな朝がいい」


「月光蝶か……まだ生存していたとは。しかしそれを実際に扱えるのがこのような少年か、私ですらその手法は文献でしか知らない。良かったら少し見せてくれないだろうか?」




 女流騎士は興味津々の様子でリタに整った顔を近付ける。

 リタはその強引な好奇心に押し負け、腰のポーチから小さな小瓶を取り出した。


 小瓶には細い糸で結ばれた鱗粉蝶が皆の視線を受けてピクッと小刻みに舞った。




「何これ、虫?」

「月光蝶のミリアムだ」


「名前付けてんのかよ、やべえ奴かよ、でどうすんだよこれ」


「ほう、数十年振りに見たなぁ!」

「むむ。この蝶が蜜に寄せられ……そうか、解ったぞ。この蝶を漂わせて帰り道を導かせると言う案だろ? 凄いな、少年! 天才だ!」




「「「「か、可愛い!」」」」



 ミュゼを除く女子勢五人が声を揃えてリタの鱗粉蝶を食い入るように覗き込む。


 キルレミットはドヤ顔でリタのやろうとしていた事を読み解くが、月光蝶を使ったこの蜜蝋法は元来軍隊の斥候役が森のマッピングに用いるものだ。


 今やこの時代で使う者は居ない上、月光蝶自体も数が見られなくなった。


 その上森が完全にダンジョン化しては使えない事から、蜜蝋法は珍しいがこれと言って特に画期的なものではないのだ。



 リタは自分自身の為というよりもむしろメンバーの為既に帰りの準備を行っていた。


 もし泉を見つけた場合、この四人では確実に帰り道が分からないと悶えるだろう。

 その結果自分はそのまま森を抜ける事が出来なくなる。


 つまりリタはポンコツ等の道案内役を月光蝶ミリアムに任せる下拵えをしていたのだった。



「馬鹿でも帰れる道案内プランAmixES! だ」



「おいこら、また逃げようとしてんな?」



 

 そんなリタの作戦を嘲笑うかのように森は陰鬱とし、何処からともなく瘴気は濃くなっていくのであった。



 





 

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