第22話

 遺体の身元確認は、署員の人々によって行われた。打撲と内臓破裂と複雑骨折の同時多発による死亡。幼かった頃の私は、父の死を理解できずにぼんやりと取り残された。

 後に聞いた話では、私は特に動揺するでもなく、父との面会を求めていたのだという。そのあたりの記憶が曖昧なのは、父がもうこの世にいない、という事実があまりにも非現実的で、脳が拒否反応を示していたからかもしれない。

 父を最後に目撃した、という若い警官が、私に話してくれた。


 散発的な暴動により、警備にあたった警官たちの陣形は完全に崩れていたこと。

 それでも父は必死に指示を飛ばし、より広い範囲を自らが担当しようとしたこと。

 サポーター同士の波に飲み込まれながらも、何とか事態の終息を図ろうとしていたこと。


 最後に、


「君はまだ若くて経験が浅い、ここは自分に任せろと、神矢警部補はおっしゃっておられました。私がそばについていれば、もしかしたら神矢警部補は殉職されなくともよかったかもしれません……」


 そこまでを私に告げた後、その警官はひざまずいて号泣してしまった。途切れ途切れに聞こえてくるのは、『申し訳ない』という謝罪の弁だった。

 しかし、私には彼を責める気は全くなかった。警察組織における命令順守の重要性を、私は子供ながらに理解していたのだ。


 その後、私の進む道は自然と決定した。警察官になるのだ。優秀で父にも負けないような、立派な警官に。

 父がいなくなってしまった空白は、私が埋めてみせる。上層部の期待や狙いに沿って、現場を安全に治められる警官になる。

 そんな意志の塊が、今の私を作った。


 警官ではなく刑事になったのは、単に適性があったからだ。それに、親族が少なく、友人関係も希薄とあれば、いくらでも危険な現場に飛び込んでいける。

 父親を失った私に対し、同情を寄せるだけの友人などいらなかった。恋人などもっての外だ。


 だが、そんな私の意志は今、瓦解しそうになっている。

 父が命を捧げた、警察官という職務。その組織の中に、『グリーンフィールド』などという、残虐で非合法的で非人道的な暗い一面があったとは。


 一体私は何をすればいい? 私にできることは? こんな警察組織の暗部を知ってなお、私は刑事でいられるのか? 

 誰でもいい、教えて。私の依って立つ術を。


         ※


「お父さん……」


 そんな自分の寝言が聞こえて、私はようやく目を覚ました。


「大丈夫か、神矢」


 涙で滲んだ視界に、誰かの顔が入ってくる。男性だ。私はその誰かを察したが、すぐには声が出せなかった。身体に伝わってくる振動からして、ここは車の中らしい。男性はすぐに顔を助手席に引っ込めた。

 車のテールランプが点いている。どうやら三、四時間は眠っていたらしい。


「ジャック、彼女の具合は?」

「大丈夫だ。一時的なショック状態にあったようだが、今意識を取り戻した。ヴィル、次のコンビニに寄ってくれ。神矢にも何か飲み物を」

「ああ」


 ヴィル……? ヴィル!?


「ヴィルっ!!」

「お、おう」


 私が叫んだのを聞いて、ヴィルは運転席から横顔を覗かせた。


「突然でかい声を出すな。驚いたぞ」

「怪我は? 無事ですか?」

「ああ。問題ない」

「……」


 私は音にならないため息をついた。


「あの……」

「仕留めたぞ、荒川なら」


 ヴィルは素っ気なく答えた。


「ど、どうやって?」

「奴の狙撃用ライフル、俺の初弾で赤外線スコープが壊されていたようだ。だから光学スコープを潰せばよかった。そこで、閃光音響手榴弾の出番だ」


 今頃になって、私はヴィルが野外戦闘用のベルトを締めていることに気づいた。その腰元に、手榴弾を携帯していたのだろう。

 考えてみれば、荒川があんなに連続で狙撃できたのは、ヴィルと彼が極めて近距離にいたからだ。手榴弾を投げつけるのにちょうどいい距離だったのだろうと、私は推察した。


「閃光音響手榴弾の効果域は、通常の手榴弾よりずっと広いからな。それに非売品でもあるし。有効範囲は、ざっと半径五百メートルといったところか」

「ご、五百メートル!?」

「ジャックの作った試作品だがな」

「ご丁寧に説明いただき、恐れ入るぜ」


 なるほど。先ほどの身分証明書型爆弾もジャックのお手製だったし、彼には発明の才があるらしい。


「ま、自分の狙撃用ライフルにこだわりすぎたんだろうな。荒川の奴、赤外線スコープに遮光板を取りつけようとして身を乗り出したんだ。そこを」


 ヴィルはヒュウッ、と短く口笛を吹いた。片手で銃の形を作り、発砲したかのように手首を上げる。


「そこから先は、大した道のりじゃなかった。GFの連中が来る前の森の中を突破すればよかったからな」

「何人殺したんです?」

「何?」


 私が急に話題を変えたことで、ヴィルは微かに眉をしかめた。


「森の中を突破するのに、あなたは何人の警察官を殺したんです?」

「恐らく、重傷者が十名、死者が七名といったところか」


 私の背中を冷たいものが伝った。

 死者七名。GFでもない、ただ森の警備を任された警官たちを七名、ヴィルは殺したのだ。


「ッ!!」

「がっ!?」


 私は自分を制することができなかった。殺されたという警官たちに面識はないはずだが、それでも、いや、それ故に、彼らが父とダブって見えてしまったのだ。

 気がついた時には、私は後部座席から腕を伸ばし、ヴィルの首を絞めていた。


「この、人殺し!!」

「おい神矢、ヴィルを放せ!」


 ジャックの言葉などお構いなしに、私は持ちうる限りの力を動員して、腕に力を込めた。

 しかしその直後、


「痛っ!」


 手の甲に激痛が走った。ヴィルが噛みついたのだ。こういう手段は女性や子供の専売特許だと思っていたが。

 そこから先はあっという間だった。ヴィルはぐっとアクセルを踏み込み、急激に加速した。体勢の崩れた私は、呆気なく後部座席の背もたれに叩きつけられた。


「な、何をしてるんだ、神矢!」


 この場で最も狼狽しているジャックが声を上げ、私とヴィルの間に視線を行き来させる。


「だって、だってヴィルは、善良な警察官を殺したんですよ!?」

「連中を殺さなきゃ、コイツがやられてた!」

「だからって、怪我をさせるだけでもいいでしょう!? 一般人は殺さないって誓ってるくせに、警察官なら平気で殺せるんですか!?」

「俺に訊くな! そんなことはヴィル本人に――」


 と言いかけたジャックの怒鳴り声を、すっと冷えた声音が制した。


「本気で自分を殺そうとしている人間に出会ったことはあるか、神矢?」


 ヴィルは前方を見つめ、ハンドルを握ったまま問うてきた。


「どうだ?」

「そ、それは、治安維持のために出動したことは何度も――」

「そうじゃない」


 すっと息を吸い込んでから、ヴィルは氷河から削り出した日本刀のように――そんなもの、ありはしないのだけれど――冷え切った、鋭い、そして落ち着きのある声で続けた。


「自分を個人的に憎み、蔑み、何としてでも地獄に叩き落としてやろうという意志を持った人間の瞳を見たことがあるか、と訊いてるんだ」


 出会ったことというのは、確かにその人物の瞳を覗き込むこととほぼ同義だろう。面と向かって、直接出会った場合のことを指すのであれば。

 そう考えて、私は困惑した。なんだかとてつもなく重い問いかけになっている。私たち警察官、それも刑事となれば、確かに誰かから恨みを買うことも少なくないと聞く。だが、日本で、実際に刑事となってからの私の経験は半年弱。銃を構えることはあったが、そのまま発砲に至ったケースはない。


 そんな私の沈黙をどう捉えたのかは分からない。だが、次にヴィルが口にしたのは、とても信じがたい一言だった。


「俺は怖い」

「……え?」

「銃を持った人間というのが、どうしようもなく怖い」


 何を馬鹿な。いつも冷静なヴィル。人間離れした運動神経を持つヴィル。卓越した射撃センスを有するヴィル。そんな彼が、ただ銃を持った人間が怖い、だって?


「何故だか分からない、って顔だな」

「……」


 私は無言で肯定の意を表した。


「だが俺にとっては当然のことだ。だって、考えてもみろ。俺の人生の全て――妻を殺したのは、紛れもなく銃なんだぞ。見ろ。話しているそばから」


 ヴィルは左手をハンドルから離し、こちらに差し出してきた。

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