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「社会の最底辺に落ちるのは自業自得」などと、近年このサイトなどでよく耳にしますが、言ってる当人も、自分がいつその最底辺に転がり落ちてもおかしくない立場であるという自覚はあるのでしょうか? それも自業自得で片づけられるのなら、一周回って逆に尊敬できますけど…。 少なくとも人を見下せる身分では決してないし、なんだったら明日には自分が見下される側に回ってるかもしれないというのにその自信はどこから来るのでしょうか?結局のところ弱者がより下の弱者を叩いてるだけですよね。 それとも全て自己責任・個人の問題ということにすれば頭使わなくていい上にそれっぽく言えた気分になれるから楽、ということでしょうか。それでしたら、同意できなくもないですが。
補足

もう少し補足すべきでしたね。 "いつ誰でも、自分の意志や選択・行動に関係なく社会の最底辺に転落しうるというのに"という意味でした。

生き方、人生相談 | 政治、社会問題98閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">250

回答(6件)

当然自分が落ちるのも自業自得です。 能力も運もないクズだったというだけです。

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いつ誰でも、自分の意志や選択・行動に関係なく社会の最底辺に転落しうるというのに、なぜ自己責任論に陥る人がいるのか?というご質問ですが、この質問がもう答えだと思います。 社会に人権意識を浸透させて、みんなに機会を均等に与え、自分の能力と努力で成功できる社会にするほど、自己責任論は強くなります。 社会システムがうまくいっていると感じる人が増えるほど、弱者救済をやるほど、競争社会を弱めて、高福祉社会にするほど、自己責任論が強くなるということですね。

見下している訳じゃないでしょうけど、自分とは違う遠い世界の事でそうなる人達もそうなる要素を持っているはずだから、自分は関係ないと考えているのでしょう でも悲しいかな質問者さんの言われる様な事はあります 最底辺に落ちる迄はいかないかもしれませんが、実際の話で身近な方々が全くのでっち上げの理不尽な理由で突然懲戒解雇になりました。仕事を懸命にやって会社や仕事を改善しようとするのが目障りだったのでしょう 1人は支援も得て裁判を行い、勝訴しましたけど1年以上かかりましたよ

自民党の政治家で、 「国民に人権はいらない」と言った政治家がいます。 自分は国民に戻る日は来ないと思っているようです。

見下してるわけじゃないと思いますよ。ただ「人のせいじゃなくて自分のせい」と言ってるだけじゃないんでしょうか。ごく一般的な正論だと思います。 言わずもがなでもありますけどね。

「いつ誰でも、自分の意志や選択・行動に関係なく社会の最底辺に転落しうる」というのは今の日本では考え難いと思いますよ。具体例でも上げていただけば納得できるかも知れませんが。