もしも「生活のための労働」から人間が解放され、一定水準の生活(贅沢はできないが、生活が苦しくはない程度が保障される世界になったとしたら、人間にとって「労働の価値」はあると思いますか? 「ある」と考える場合は、どのような価値があるのか 「ない」と考える場合は、労働をしない人間はどのような人生を送るのか みなさんの考えを教えて欲しいです。

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ベストアンサー

私は働く価値はいろいろあると思います。例を挙げると、 ・人の役に立てる ・やりがいがある ・人間の欲望を叶える (贅沢を出来るほどの生活水準にするなどなど) 他にもたくさん考えれば思いつくと思います!

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その他の回答(5件)

一定水準からさらに突き抜けることが可能であれば「ある」です 一定水準の生活が保障されるとなると、恐らく労働意欲が低下して経済が回らなくなると思います 労働は時に苦しいこともありますが、やはり成果を上げることでいい意味での競争により循環するからだという考えです 今でさえ、一定の時間仕事するふりしておけば一定の金額もらえるという考えの人もいるから

「ある」方に一票をいれます。 価値といっても、たとえば、プロ・アマも含めたスポーツや、芸能活動、純文学からオタクまで広い層が手掛けている同人誌制作、美味しい家庭料理など、労働すること自体に楽しさや価値を持つ、趣味に近いもののようになります。 これらを自己満足とも言えますが、妥協や退屈さを排した純度の高い自己満足を目指すのは、相当な覚悟と労力が必要になります。

「いや労働を生活の為にするという発想からして私は疑問を覚える。」 という回答に賛成です。

贅沢がしたい、物欲が強い人にとってはプラスアルファの付加価値があると思います。 個人的には、週2くらいで働いて推しグッズを買える程度の豊かさは欲しいところ…。 でもそんな付加価値は要らない・推しがいなくて食にも興味がない(お金を使う動機がない)人も少なくないと思うので多くの人は全く働かないで支給された補助金?で好き勝手に消費だけすることが予想されますので、需要と供給のバランスが崩れて社会が成り立たないと思います。 コンビニにごはんを買いに行っても店員が居ないのです…。