いまジェンダー論で ひとつの争点となっているのは、ひとことで いえば、「性別主義という問題について、あなたは どのように かんがえるのか」ってことだと おもう。一般的には「性別二元論」と よばれている。だが、三元論なら いいのか。六元論なら いいのか。そういう問題ではないと おもう。ずばり、性別主義が問題なのである。
性差別に反対するのは、まあ、そりゃ そうだよね。性別のちがいによって差別したり されたりしたら いけないよね。これは、はなしとしては納得のいくことのように おもう。じっさいのところは、「そうは いってもねー」と、差別が合理化=正当化されているのが現状なのだけど。
でね、性別主義ってのは、けっこう意識さえ されていないわけ。トランスジェンダーとか、性同一性障害ってのが話題になっても、なお。
オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれることがない、という状態。
「ただのオトコ」だの、「ただのオンナ」だのは どこにも いなくて、具体的な、ある肉体をもった人間しか存在しないのだけどさ。たったひとりの人間といってしまうと、ひとりの人間とは なにか?という問題になって、また問題になるんだけどね。わかるでしょ? からだが くっついて うまれた「ふたり」は、ひとりなのか ふたりなのか。うるせー。そんなの、どうでも いい。そういうふうに うまれて、いま、そういうふうである。ただ それだけのことだ。ごちゃごちゃ いうな!って、そういう問題ね。
とにかく、さきにオンナという実体、オトコという実体を「あるもの」だと かんがえては いけないものです。人間というのは ただ、「にたものどうし」ってだけのことです。「人間の概念、さきに ありき」じゃ いけないのです。
はなしをもどすと、「ジェンダー論」で問題なのは、性差別に反対しながらも、性別主義を問題とさえ認識していないひとが あまりに たくさんいるということです。
最近では、エイジズムといって年齢差別を表現しています。あれも、そう。
「年齢」「とし」ってものをうたがう視点が必要です。
だって、あなた。
としが いくら ちがおうと、3才のひとも、69才のひとも、27才のひとも、おなじ時代をいきています。同時代を共有しているのです。
いまをいきる わたしたちに、としが ちがうってことに、なんの意味が あるでしょう。「いまを共有する わたしたち」。それだけで いいのです。
3才とか10才とか、そんなもの でっちあげの数字です。ある文化的、政治的観点からみて、人間を数字で あらわしているに すぎません。年齢主義に支配されては いけません。
オンナとかオトコってのも、ただの いやがらせです。
「えー、で、わたしは どっちのトイレにいけば いいの?」
だれかに、そんなことをなやませている「性別」なんてものは、いやがらせでしか ありません。
「いやがらせじゃないよ」ってのは、「わたしにとっては」っていう それだけのことです。
性別主義を破壊しよう。
さよなら、男女別。
さよなら、「彼ら彼女ら」。
さよなら、「彼/彼女」。
人間よ! こんにちわ。
どうも、はじめまして。
性差別に反対するのは、まあ、そりゃ そうだよね。性別のちがいによって差別したり されたりしたら いけないよね。これは、はなしとしては納得のいくことのように おもう。じっさいのところは、「そうは いってもねー」と、差別が合理化=正当化されているのが現状なのだけど。
でね、性別主義ってのは、けっこう意識さえ されていないわけ。トランスジェンダーとか、性同一性障害ってのが話題になっても、なお。
オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれることがない、という状態。
「ただのオトコ」だの、「ただのオンナ」だのは どこにも いなくて、具体的な、ある肉体をもった人間しか存在しないのだけどさ。たったひとりの人間といってしまうと、ひとりの人間とは なにか?という問題になって、また問題になるんだけどね。わかるでしょ? からだが くっついて うまれた「ふたり」は、ひとりなのか ふたりなのか。うるせー。そんなの、どうでも いい。そういうふうに うまれて、いま、そういうふうである。ただ それだけのことだ。ごちゃごちゃ いうな!って、そういう問題ね。
とにかく、さきにオンナという実体、オトコという実体を「あるもの」だと かんがえては いけないものです。人間というのは ただ、「にたものどうし」ってだけのことです。「人間の概念、さきに ありき」じゃ いけないのです。
はなしをもどすと、「ジェンダー論」で問題なのは、性差別に反対しながらも、性別主義を問題とさえ認識していないひとが あまりに たくさんいるということです。
最近では、エイジズムといって年齢差別を表現しています。あれも、そう。
「年齢」「とし」ってものをうたがう視点が必要です。
だって、あなた。
としが いくら ちがおうと、3才のひとも、69才のひとも、27才のひとも、おなじ時代をいきています。同時代を共有しているのです。
いまをいきる わたしたちに、としが ちがうってことに、なんの意味が あるでしょう。「いまを共有する わたしたち」。それだけで いいのです。
3才とか10才とか、そんなもの でっちあげの数字です。ある文化的、政治的観点からみて、人間を数字で あらわしているに すぎません。年齢主義に支配されては いけません。
オンナとかオトコってのも、ただの いやがらせです。
「えー、で、わたしは どっちのトイレにいけば いいの?」
だれかに、そんなことをなやませている「性別」なんてものは、いやがらせでしか ありません。
「いやがらせじゃないよ」ってのは、「わたしにとっては」っていう それだけのことです。
性別主義を破壊しよう。
さよなら、男女別。
さよなら、「彼ら彼女ら」。
さよなら、「彼/彼女」。
人間よ! こんにちわ。
どうも、はじめまして。