lynx   »   [go: up one dir, main page]

goo blog サービス終了のお知らせ 

hituziのブログ 無料体験コース

いま、そのとき、かんがえつつあること。

性差別と性別主義

2008-05-08 | にんげん
いまジェンダー論で ひとつの争点となっているのは、ひとことで いえば、「性別主義という問題について、あなたは どのように かんがえるのか」ってことだと おもう。一般的には「性別二元論」と よばれている。だが、三元論なら いいのか。六元論なら いいのか。そういう問題ではないと おもう。ずばり、性別主義が問題なのである。


性差別に反対するのは、まあ、そりゃ そうだよね。性別のちがいによって差別したり されたりしたら いけないよね。これは、はなしとしては納得のいくことのように おもう。じっさいのところは、「そうは いってもねー」と、差別が合理化=正当化されているのが現状なのだけど。

でね、性別主義ってのは、けっこう意識さえ されていないわけ。トランスジェンダーとか、性同一性障害ってのが話題になっても、なお。

オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれることがない、という状態。

「ただのオトコ」だの、「ただのオンナ」だのは どこにも いなくて、具体的な、ある肉体をもった人間しか存在しないのだけどさ。たったひとりの人間といってしまうと、ひとりの人間とは なにか?という問題になって、また問題になるんだけどね。わかるでしょ? からだが くっついて うまれた「ふたり」は、ひとりなのか ふたりなのか。うるせー。そんなの、どうでも いい。そういうふうに うまれて、いま、そういうふうである。ただ それだけのことだ。ごちゃごちゃ いうな!って、そういう問題ね。

とにかく、さきにオンナという実体、オトコという実体を「あるもの」だと かんがえては いけないものです。人間というのは ただ、「にたものどうし」ってだけのことです。「人間の概念、さきに ありき」じゃ いけないのです。


はなしをもどすと、「ジェンダー論」で問題なのは、性差別に反対しながらも、性別主義を問題とさえ認識していないひとが あまりに たくさんいるということです。

最近では、エイジズムといって年齢差別を表現しています。あれも、そう。

「年齢」「とし」ってものをうたがう視点が必要です。

だって、あなた。

としが いくら ちがおうと、3才のひとも、69才のひとも、27才のひとも、おなじ時代をいきています。同時代を共有しているのです。

いまをいきる わたしたちに、としが ちがうってことに、なんの意味が あるでしょう。「いまを共有する わたしたち」。それだけで いいのです。

3才とか10才とか、そんなもの でっちあげの数字です。ある文化的、政治的観点からみて、人間を数字で あらわしているに すぎません。年齢主義に支配されては いけません。

オンナとかオトコってのも、ただの いやがらせです。

「えー、で、わたしは どっちのトイレにいけば いいの?」

だれかに、そんなことをなやませている「性別」なんてものは、いやがらせでしか ありません。

「いやがらせじゃないよ」ってのは、「わたしにとっては」っていう それだけのことです。

性別主義を破壊しよう。

さよなら、男女別。

さよなら、「彼ら彼女ら」。

さよなら、「彼/彼女」。



人間よ! こんにちわ。

どうも、はじめまして。

Лучший частный хостинг