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非国民通信

ノーモア・コイズミ

どの戦争から80年なのか

2025-03-30 21:22:48 | 政治・国際

 今年は「戦後80年」なのだそうで、諸々のメディアで特集が組まれていたりします。確かにアメリカとの戦争終結から80年が経過したことには違いないのでしょう。ただ日本が加担した戦争は80年前のそれだけではなく他にも色々とあるはずです。太平洋戦争は「悲惨な戦争」として語り継がれているわけでもありますが、それ以外の戦争をどう思っているのか、私は常々疑問に感じるところです。

 明治以降の外国との戦争としては、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、日中戦争から太平洋戦争、イラク侵攻、アフガニスタン侵攻などが挙げられるでしょうか。ここで反省の対象として想起されるのは専らアメリカとの戦争に限定されているところですが、その他の戦争と何が違うのかを考えることは日本が何を過ちとしてきたかを測る基準になると言えます。

 ではアメリカとの戦争は他の戦争と比べて何が違うのか。まず第一は「負けたこと」です。他の戦争は勝ちきれなかったとしても日本国内へ攻め込まれるまでは至らないものでした。そしてもう一つは「アメリカが相手であること」ぐらいですかね。だからアメリカとの戦争に限定された日本の反省とはすなわち「二度と敗北はしない(攻撃あるのみ)、二度とアメリカには逆らわない」という誓いなのだと解釈することが出来ます。

 しかし80年前の戦争以外にも、反省すべき点はないのでしょうか? 今の世論は80年前の鬼畜米英が鬼畜中露に変わっただけ、たしかに「アメリカとは二度と戦わない」という強い決意こそ窺えるものの戦争そのものへの忌避感は見られません。むしろ満蒙ならぬ台湾は日本の生命線と語る政治家も出るなど「暴支膺懲」の方は盛り上がっており、「陣営を間違えないように」という思い以外は皆無のようです。

 原爆やパレスチナ問題で顕著なのは、その攻撃がアメリカやイスラエルによって行われたものである場合、専ら主体をぼかして伝えられることです。あたかもそれは天から突如として降ってきたように語られる、加害国への非難に繋がらないような「配慮」が窺われます。それほどまでに日本の「陣営」に対する意識は強い、「敵」と見なした国への憎悪や蔑視とは裏腹に、「味方」と見なした国をかばう意識もまた深く根付いていると言えるでしょう。

 トランプは、アメリカ以外の国にとっては概ね良い大統領だと私は思います。「概ね」と留保したのは中東の国々にとっては前任者と同レベルという話で、逆にネオコンのアメリカの靴を舐めることに悦びを見出してきた国──日本など──にとっては良い機会を与えてくれる存在です。これまで日本はアメリカの世界戦略における不沈空母の役割を担っていましたが、その重要性を当のアメリカ大統領が理解していない今以上に日本が自立するチャンスはないはずです。

 アメリカと戦い敗れた80年前の戦争を唯一の反省対象として回顧し続けるのか、それとも他の戦争をも悔悟するのか、これは完全な分岐点であるように思います。80年前の戦争だけしか反省していないから、日本が攻める側の戦争、アメリカの側に付く戦争に対しては(昨今のウクライナを傭兵とした戦争のように)専ら官民あげて賛同の声しか聞こえてこないような有様になるのではないでしょうか。

 一方でネオコン達の本尊であった当のアメリカではトランプという異端者が大統領となってしまい、ヨーロッパでは「アメリカへの追従」から「自国の軍拡」へと舵が切られ始めています。4年後にはどうなるか分からないにせよ、少なくとも大きな転換点であることは間違いありません。では日本はどうするのか、このまま対米追従を続けるのか、80余年前の軍拡路線に回帰するのか、それとも隣国との協調という初めての道へと踏み出すのか、選ぶべきチャンスは今まさに訪れています。

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