「トラック借りて工場封鎖」加藤容疑者、派遣先同僚に話す(読売新聞)
東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人未遂容疑で逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)が、事件数日前、リストラを進める派遣先に対し、「トラックを借りて工場を封鎖し、嫌がらせをしたい」と同僚に話していたことがわかった。
犯行の際と同様、トラックを悪用しようとしていることから、警視庁では、事件への伏線の可能性もあるとみて調べている。
派遣先の自動車組み立て工場(静岡県裾野市)の同僚男性によると、加藤容疑者は今月上旬、工場の休憩室で、派遣社員のリストラを話題に挙げ、「4トントラックを工場の前に横付けして入り口を封鎖してやろうか」と話したという。リストラの情報が工場内で広まった際、加藤容疑者がひどく動揺したことを知っていた同僚は、「冗談には思えなかった」と話している。
私よりは行動力のありそうな加藤容疑者ですが、何でやらなかったんでしょうね? 工場封鎖を。代わりに実行したのが秋葉原で無関係な人を襲うことだったわけですが、自分を脅かす雇用主ではなく他の人に怒りを振り向けた辺り、日本社会が抱えている限りない経営側への優しさを感じないでもありません。
ここでか当容疑者が怒りにまかせてトラックで工場を封鎖したら、それはストライキでありサボタージュであり、要するに労働運動でもあるわけですが、それでいいのです。元より労働運動は「世のため人のため」などと高尚な考えに基づいて行われねばならないものではありません。ただ自分のおかれた待遇に不満があるから、「もっと俺に取り分を寄こせ!」と訴えるのが元来の筋です。それが昨今では「ゴネる」「モンスター~」などと呼ばれるわけではありますが、何も道徳的な正当化を施されたものだけが労働争議じゃありません。自分のために立ち上がるのが第一歩なのです。
「九州のある駅で…」携帯サイトに殺人予告の書き込み(朝日新聞)
14日午前11時ごろ、携帯電話の書き込みサイトに「明日、九州のある駅で歴史に残る大量殺人する」との書き込みがあるのを知ったJR九州の社員が110番通報した。九州管区警察局は九州・沖縄の8県警に対し、JRなどの鉄道各社と連携して駅の警戒や警備を強化するよう指示した。通報を受けた福岡県警が、書き込みをした人物の特定を急いでいる。
管区警察局によると、書き込みがあったのは携帯電話からインターネットを通じてメッセージなどを書き込むことのできる無料の掲示板で、14日午前7時20分ごろ書き込まれたとみられる。「俺(おれ)も加藤と同じなんだ 加藤に共感したんだ 俺、死刑になる 加藤よりも多い人数を殺す」と東京・秋葉原であった無差別殺傷事件を示唆する文言もあったという。
まぁ結局、書き込みをした人は特定されたそうで、ポリに拘束された容疑者は「いたずらだった」と言い訳しているようです。どっちに真意があるかは、定かでありません。もしかしたら本当にいたずらであったかも知れませんが、少なくとも書き込みを行った時点では、問題の掲示板への書き込みの方に真意があったかも知れません。それがいざ警察官達に取り囲まれてみると、途端に縮み上がって言い訳を始めたようにも見えます。
注目すべきことの一つは、死刑への積極性です。「死刑になりたかった」などと、どうしようもない理由で犯行に走る人も出てきた昨今ですが、どうやらこの国では人を罰しようと欲望する側だけではなく、罰されようとしている人もまた「死刑が当然」と信じているようです。現実論として死刑が急増しているとは言え、そこまで確実に死刑判決が得られるわけではありません。それでも犯人は死刑を信じて凶行に及ぶわけです。みんな死刑が好きなんだな、と。
他にも模倣犯は2、3人いるようです(犯行予告までですが)。上の引用のように「加藤に共感した」という人は少なからずいるのではないでしょうか? まぁ、特定の部分だけを抜粋すれば同情できる部分、共感できる部分もあるでしょう。ところでもし、加藤容疑者が無関係な人々に襲いかかったのではなく、トラックで工場を封鎖したり派遣会社に突入したり、そうやって待遇改善を訴えていたらどうだったでしょうか?
それだったら例えば私など加藤容疑者を大いに応援してしまうわけですが、逆に今、加藤容疑者に共感している人々はどうでしょうか? むしろ反感を覚えるかも知れませんね。そうでなくとも労働者が経営側の視点でばかり物事を見る昨今です、御用学者や財界人と一緒になって自分達の待遇よりも経営側の事情を慮るような、そんな献身的な人々が庶民の側には多いわけです。こうした人々は、たとえ無関係な第三者に襲いかかる加藤容疑者には共感しても、経営側にたてつく加藤容疑者には共感しないどころか激しく憎悪するような気もします。経営者の敵は社会の敵、実質的にそう考えている人も多いでしょう? もし加藤容疑者が反旗を翻した先が雇用先であり、それに対して共感する人が相継いだというのなら、それは未来への希望になるのですけれど。