フィギュアスケートの安藤美姫選手が、この4月に女児を出産したのだそうだ。
当稿では、出産の経緯には触れない。子供の父親を詮索することもしない。
スポーツ選手について何かを書く人間は、原則として、競技以外の話題には踏み込まないのが本筋だと思うからだ。
なので、私としては、お嬢さんの誕生に関しては、「おめでとう」という言葉を述べるにとどめておく。
それ以上の言及は失礼というものだ。
ここでは、彼女の出産の扱われ方について書く。
主旨としては、一人のアスリートが婚外子を産んだことについての、世間の反応を記録しておきたいということだ。
私はあきれている。
出産は、最大限に尊重されてしかるべき個人のプライバシーだ。
そもそも他人が口をはさんで良い事柄ではないし、仮に関心を抱いたのだとしても、おもてだった形での追求はつつしむべきだ。
なのに、報道は一向に沈静化しない。
どうかしていると思う。
私が高校生だった頃、ある女優さんが「未婚の母」として騒がれたことがあった。
当時の感覚からすると、「未婚の母」という出来事自体が一大スキャンダルだった。それゆえ、件の女優さんは、出産の意思を表明した後、かなり長い間、世間から身を隠さねばならなかった。人前に出るや、犯罪者に近い扱いで、記者に取り囲まれることがわかりきっていたからだ。
その時の騒ぎを思えば、安藤美姫選手の出産にかかわる現在のメディアのふるまい方は、ずっと控えめなものだ。ざっと見る限りでは、彼女の出産を正面切って非難する記事が出回っている事実もない。そういう意味では、この30年ほどの間に、わが国の大衆メディアの人権感覚は、改善されているわけだ。
とはいえ、30年前と今とで、この種の出来事について、世間の受け止め方に、確たる変化があるのかというと、私の見るに、結局のところ、たいした違いはない。
たしかに、ワイドショーの伝え方や女性週刊誌の書きっぷりは、上品になっている。
しかしながら、無遠慮に騒ぎ立てる芸能レポーターが前面に立たなくなった分だけ、話題の広がり方はむしろ陰湿になっていたりする。
なにより、21世紀の日本では、昭和の時代には影も形も無かったSNSやインターネット掲示板のような「陰口メディア」が殷賑を極めている。
思うに、報道が一向に沈静化しないことの一つの原因として、安藤選手自身の問題とは別に、女子スポーツ選手がメディアの中で担わされているイメージの問題がある。どういうことなのかというと、メディアが、女性アスリートに「清純さ」と「ひたむきさ」を兼ね備えた、「理想の娘」としての役割を着せかけることが常態化しているということだ。
これは、なにもマスメディアの取材姿勢や記事の作り方だけの問題ではない。
マスコミが無茶な取材をしたり、無理筋な記事を作り上げるのは、それを読みたがる読者がいるからで、そういう意味では、われら受け手の側にも一定の責任はある。
ネット内に流れている書き込みを見ていると、安藤選手の「出産」について、「非難」はしないまでも、「失望」している人々がけっこういる。
最も代表的な反応は、
「競技に打ち込んでいるのなら、子供を作るヒマなんかないはずだ」
という見方だ。
ファンというのは、残酷なものだ。
われわれは、アイドルやスポーツ選手に「ひたむきさ」を求める。
それだけなら良いのだが、「一途さ」や「純粋さ」を称揚する気持ちは、どうかすると、自分が崇めている対象に「目標への全人的な没入」を要求する態度として顕現する。
と、「恋愛禁止」「娯楽厳禁」みたいな、極端な態度が導き出される。
さるアイドルグループを手がけるプロデューサーのA氏は、とあるラジオ番組の中で以下のように語っている。
「恋愛がいけないんじゃなくて、スポーツと同じで、そんな暇はないはずなんですよ、一生懸命やったら」
この言葉は、当該のアイドルグループ内の不文律と言われる「恋愛禁止」規定について説明を求められた中で漏らしたものであるのだそうだが、ごらんの通り、この理屈には、逃げ場が無い。
プロデューサー氏は、
「禁止するまでもなく、アイドルがアイドルである前提として、恋愛に向かう動機自体が存在し得ない」
という意味のことを言っている。
この言葉は、
「命がけで全部のお客様をみていたら、命がけで全部のお客様を気にしてたら、ものなんか口に入るわけない、水くらいですよ」
という、ある企業のトップが従業員に向けて語った言葉と、構造において、まったく同一だ。
つまるところ、「接客」であれ「アイドル業」であれ「競技」であれ、真摯な人間が本当に必死になって対象に没入したら、「食事」や「恋愛」は関心の対象から外れるはずだ、と、彼らは言っている。なるほど。人間以上のものになるためには、人間的であることをあきらめなければならないのかもしれない。
でも、アイドルも、アスリートも、居酒屋の店長も、いずれ、人間であることに変わりはない。だとすれば、ファンの思い込みやプロデューサーの強欲や経営者の野心につきあって人間をやめて良いはずがないではないか。
安藤選手の出産のニュースのちょっと前だったと思うのだが、ある日、ツイッターのタイムライン上に印象的な書き込みが流れて来た。
ある母親が、彼女の中三になる息子の担任教師が妊娠した件について「自覚に欠けるのではないか」という意味のことを書いたツイートだ。
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