日曜は、ももクロ → エロマンガ立ち読み → 大人のデパート → おいも屋本舗 → アイドルショップ とまわる。 秋葉原はやはり混沌。面白い。 外国人も相当多い。やはりクールジャパンの象徴、秋葉原のブランド力か。 12:30〜13:00 初のももクロイベ参加。メンバーの名前もよく知らない状態で秋葉原UDXシアターへ向かう。12時からの整理券配布に合わせて会場に到着するも、思ったほど列は伸びておらず。メディア上でかなり扱われてきた印象よりは、まだまだマイナーな存在なのか、と感じる。並んでいる間に、携帯でももクロのメンバー名と顔をだいたい覚える。12時になり、1000円払って整理券を引く。…13番。若い。ビギナーズラックか、この薄々ヲタが良番を引くことに若干の申し訳なさと期待感。 それにしても、運営するスタッフがハロ現場と比べて発声も動きもよく、きびきびとした印象で好感が持てる。ハロでもこのく
→ Togetter - まとめ「オタク文化圏の人間の自意識過剰について」 よくありますよね。コミック/アニメ文化の絵柄を、いわゆるコミック/アニメ文化と関係ない「一般人」が商品とか看板とかに採用して、それがネット上で叩かれる現象。パッと思いついたのでは、 → 痛いニュース(ノ∀`):エロゲ絵師・西又葵がデザインした萌え米袋「あきたこまち」を販売…JAうご とか。しかしこういう話題を見る度に私は思うんですが、多分その「一般人」は、そういうオタク的な文脈を共有してないから、単に「かわいい絵柄」とかそんなレベルに捉えて、叩かれているところの点をスルーするんじゃないでしょうか。 彼らにとって、ミッキーとかミッフィーとか「○○くん」と比べて何か本質的に違うものと――大ブランドでない、無名の何かということを除いて――思えるかという問題。それを特殊なものと見なして、特別に論難するという姿勢が既に、叩く
9.「メガネっ娘」というコンセプト 編集部:「ルリ萌え」を断固として主張しても、誤配どころか配達すらされないわけで(笑)。ギャルゲー特集も、内側には問題なく通じる言葉がまるで通じない、その困難さから企画をスタートさせていますが。とはいえオタクの欲望は、なにかもう少し物質的なもので、東さんが言われるようなコンセプトとは遠いものに思えますが? 東:僕は単純にはそうも思わない。例えば僕は実は、「メガネっ娘」はコンセプトだと思ってるんですよ(笑)。いや、冗談じゃなくて。だってね、メガネっ娘萌えを自称しているオタクは多いけれど、本当にメガネっ娘を生まれたときから好きなやつがいるかっていったら、いるわけないでしょう。しかもいま、メガネっ娘って言えばだいたいデザイン決まっていて、こんな丸っこい顔に、髪型もこういうふうに決まってるじゃないですか[と東氏は、手近のノートにはづきっちを思わせる絵を描き始めた―
森川嘉一郎 もりかわ・かいちろう - 1971年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、同大学院修士課程修了。早稲田大学理工学総合研究センター客員講師等を経て、現在は同センター客員研究員、桑沢デザイン研究所特別任用教授。専門は建築意匠論。 著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』、共著に『20世紀建築研究』など。 前回見取り図を描いたように、アカデミー賞をとるような"上昇的"な作品が出る一方で、日本のアニメのメインストリームは、『セーラームーン』や『エヴァンゲリオン』、さらには、新世紀に入って急増したいわゆる"萌えアニメ"へと、おたく好みなキャラクターの魅力に偏重してゆく"下降的"な方向をたどった。ではこの二つの方向へのアニメの分離は、いかなる背景をもっているのか。今回はそこから、話を始めたい。 キャラクターによって訴求していくベクトルを"下降的"と形容したが、これはどのような価値観に照ら
Perfumeライブを経験した後でヲタ現場に行くと、否応なくその原色率の高さに気づかされる。 モーニング娘。やら℃-uteやらといったグループの場合、ライブ空間でヲタが誰のヲタかを明示する手段が必要になる。そうでなければ、なかなかメンバーから視認してもらうことができない。そのため、一瞬で自分が誰を応援しているヲタかを判別してもらう手段として、色を利用する。 また、そういったレス、認識行為を求めないヲタであっても、自分が誰のヲタであるかということを周囲に顕示し、そのことにより集団への帰属意識(○○推しの私、℃-uteヲタの私)を確認し、高める手段として、色を利用することがある。 いずれにしても、ヲタは見られる手段として色を利用する。それはヲタが望んだものであり、またグッズ等によって方向付けられた行為でもある。ハロプロのグループ、モーニング娘。、Berryz工房、℃-ute共に、ツアーグッズで
オーガニックコットンなど厳選素材で謹製した最高級国産Tシャツに世界で1枚のプリントを!老舗メーカー三代目の第二創業記 昨年、経済産業省産業構造課長の西山圭太さんがご来社されて 楽しく雑談したのがきっかけになったのでしょうか、 先日、同省の日本発トレンド研究会に参加させていただきました。 この会の主旨は....依頼状によれば... ──────────────────────────────── 現在、経済産業省では、グローバル化、人口減少社会の 到来の下での我が国経済社会のあり方について、産業構造 の変化の方向と必要な取組という観点から検討を行ってお ります。既に本件については一度御意見を拝聴しており、 誠にありがとうございました。 特に、日本の独自の強みである「文化」を軸に産業構造 の変化を議論することが重要と考えており、重点的に検討 していくべきではないかという問題意識を持っています。
今さらなのだが、昨年12月に放送されたオタクを取り上げた番組が面白かった。 まず一点目として、ある程度生きたヲタ芸を見ることが出来たということ。つまり、オタクがテレビで取り上げられる場合、テレビ的な文法の中で、無害化された形に馴致されてしまうことも多いように思われるが、オタクの気持ち悪さとエネルギーと、という、バイアスがさほどかからないヲタ芸の姿を提供してくれているように見えたことだ。 ヲタ芸はヲタ芸を必要とするアイドルの現場でしっかりと息づいているということが感じられて非常に興味深い。ハローの現場で見たこともないような形のヲタ芸が開発され、定着していく。これは紛れもなく文化である。 二点目として、アイドルとオタクの境界線がいよいよ曖昧になっているという事態である。 アイドル桜井聖良とそのオタクの女の子を同じ視野の中に捉える時、どちらも見られる対象としての強度は持ち合わせていることを感じる
今売りの『GQ』誌12月号のブック・イン・ブック「BOOKS OF LIFE 名著の処方箋」でお仕事させていただきました。 「名著の処方箋」は、恋愛、性愛、食など、50にわたるジャンルから、選者がそれぞれ5ジャンルずつピックアップ。そのジャンルに関する書籍を3冊ずつ紹介するという企画。ボクに与えられたミッションは2つ。洋書店「ハックネット」の安岡洋一さん、同じく洋書店「ユトレヒト」の江口宏志さん、ブックディレクター・幅允孝さんのもとに取材にうかがい、選書・書評していただき、それをとりまとめること。そしてもうひとつが、ボク自身も選書と書評。 お三人さんの並びからもわかるとおり、おこがましいにもほどがあることをやっております。『情熱大陸』で特集される男と同列ですよ。ボクは何様なんでしょう? 調子に乗っているのを見透かしたんでしょう。この3連休、代官山のオサレ美容院に行った嫁が、そこの美容師から
斎藤 環(たまき)さん 46 精神科医。青少年の引きこもり問題に取り組むほか、オタク文化にも詳しい。著書は「『負けた』教の信者たち」「『性愛』格差論」(共著)など。 ――「彼女さえいれば」「不細工」など、ネットの書き込みからは、容姿や異性関係に対する加藤智大容疑者(25)のコンプレックスがうかがえる 内向的な若者に多く見られる自意識のあり方だ。最近は、自分たちのことを「非モテ」「キモメン」(気持ち悪い男)という言葉で卑下する若者も多い。彼らは実際は醜くなくても、コミュニケーション能力不足が原因で、異性経験が少なくなり、そのことだけで「負け組」と思い込む。彼らは「努力すればモテるかも」と期待を持ち続けることをつらいと感じることが多い。加藤容疑者も、努力では変えられない外見に劣等感を集約し、あえて自ら期待を断ち切ろうとしたのではないか。 ――周囲に「アニメの女性は裏切らない」と語っていた点をど
はげしくいまさらですが、逆にもうネタバレとかあんまり気にしなくていいかなと。 以下、ネタバレありです。いちおう注記しておきます。 竹熊健太郎さんを筆頭に、森川嘉一郎さん、東浩紀くんといったエヴァ番長のみなさんの感想をたっぷり聞いていたので、なんだかもう観たような気になってたというのが正直なところだったのです。 結論からいえば、良かったです。とても。 昨晩、吉祥寺バウスシアターでみたんですが、思ったよりも客層が広く、中学生から60代までいる印象。意外なくらい「いかにもオタ」という風体の客がいない。カップルもいる。メジャー化とはこういうことかと思いました。 出だし20分くらいは「何だこの雑なダイジェストは?」と思いかなり白けていたんですが、二番めに出てきたエビみたいな使徒(第四使徒シャムシェル)戦あたりから身を乗り出し、クライマックスであるヤシマ作戦のころには素で「シンジ君がんばれ」と思ってい
ボーカロイド雑感。 1000本売れれば大ヒットの、音楽ソフト業界でamazon1位をとるという空前絶後の大ブームになった、歌い上げロボ・ボーカロイドの初音ミク。普通に口コミヒットの事例としても面白いんだけど、もうちょっと文脈的な部分が面白そう。 なんかこのブームの裏には、ある種の女装願望というか、俺達(非リア充)カワイイ女の子に生まれればもっと幸せに生きられたんじゃね?的倒錯感が根底に流れてそうで面白い。 熱血バトルモノ → 暴力の正当性の喪失 → 世界系 → 世界はそんな優しくなかった → ほのぼの学園系 → 実際の学園生活とのギャップに絶望 → ほのぼの女子高系 → 女の子になってあの輪に入りたい、みたいな流れなのかな?? ボクは世界系以降の文脈は実体験はしてないので、あくまであてずっぽうですが・・・ そんな間違ってないと思う。 もしも自分が女の子で可愛くて、歌が歌えて、サイトとかにア
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