社会システム理論に依拠した本を書評していてあらためて感じたのは、社会システム理論好きの人々は、あらゆる社会現象を一つの枠組みで捉えたいという野望にとり憑かれた人たちだということだ。例えば、合理的選択理論は非合理な行為を説明できない。デュルケム理論は、ある種の反社会的行為を説明できない。しかし、システム理論ならば、どちらも説明できる。というわけだ。ミクロからマクロまで一貫した図式で説明できる。 ただ、彼らのいう説明は説明ではない。ただの記述である。日常言語で記述されたものをシステム理論のジャーゴンで言い換えているに過ぎない。社会システム理論は、これまでほとんど反証可能な理論を生み出さなかった(とはいえ、パーソンズの議論の一部は反証可能だったし、生産的な議論を生み出した。結果的にはパーソンズが考えるほど近代社会は一様でないことがわかったのだが)。こういった批判はこれまでも繰り返し述べられてきた