もう少し間をおいてから読むつもりだったのだが、なんとなく夜というものにつられて「アフターダーク(村上春樹)」(参照)読んでしまった。日本では長編という扱いになっているのだろうか。しかし長編というほどの重さはなく、さらっと数時間で読める。私は朝を迎える前に読み終えてしまったのだが、できたら、そのまま渋谷の深夜でぶらぶらと彷徨して読みたかったようにも思う。街の深夜が、いとおしいというのでもないが、とてもキーンに感じられた。 この作品も従来の春樹らしい作品だと言える。あるいは言えると思う。冒頭の「私たち」の映画的な、あるいは無人称的で超越的な(吉本隆明のいう世界視線のような)視線を維持する文体が少しばかり従来の村上春樹とは違った印象も与えるが、展開されているエピソードと会話はむしろ初期の村上春樹の短編を特定の主人公に寄りあわせたようになっており、その意味では短編集という趣も感じられる。 作品の統
え、読んでなかったのとか言われそうだが、この本との関わりもいろいろ因縁のようなものがあった。先日「極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)」(参照)を読み返し、その登場人物のナカタになにか心がひっかかるなと思って書架を見ると、「アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)」(参照)がおあつらえ向きにあった。今なら読めるかと読んだ。読めた。 この本は考えようによっては随分昔から私の元にある。七〇年代からあったかもしれない。この間何度も引っ越ししても蘇生してくる、といって同じ本ではない。今回読んだのは九九年版の文庫だ。購入した記憶がない。貰い物かもしれないが誰に貰ったかの記憶もない。以前の本も、お前これ読めみたいなことだったと思う、というか、なんかよくわからないが私の回りの人が私にこれを読ませようとしてきた。長年書架にあるので、たまたま書架を見た人が、これいいんですよねとか私に共感を求める
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/01/27メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 14人 クリック: 130回この商品を含むブログ (253件) を見る東京の都市風景を通して、東浩紀と北田暁大が現代社会の諸問題について対談する、という企画なのですが、結論から言うと失敗してます。自宅の引越しのために東京中の物件を比較検討し、東京という街をほぼリアルにつかんでいる東氏に対して、北田氏は「広告都市・東京」のような著作があるにもかかわらず、どうやら東京という都市の在り様を全然現状認識していないがために、東の問題提起に対して、揚げ足をとるような学者的な切りかえしばかりするのでしばしば話が脱線し、薄っぺらい議論に終わってしまったという印象でした。都市論・格差論・ファスト風土化問題と、かなり私にと
ようやく読めたということに個人的な感慨がある。長いこと読めなかった。私事めくが私は村上春樹の熱心な読者で十年前までは初期の作品のほぼコンプリートなライブラリーを持っていた。後に「回転木馬のデッド・ヒート」(参照)にほぼ収録された『IN・POCKET』も全巻持っていた。が、ごく僅かを残して捨てた。彼が国分寺で経営していた喫茶店ピーターキャットにも行ったことがある(もっともそのときの店主の記憶はない)し、その他、彼が住んでいた地域や「遠い太鼓」(参照)の異国の町まで見聞したこともある。それほど好きだった村上春樹の文学がぱったりと読めなくなった。 私に二つの事件が起きた。一つは期待していたというかあまりに期待していた「ねじまき鳥クロニクル」(参照1・2・3)の第三部「鳥刺し男編」(参照)にぶっち切れしてしまったことだ。私はこの作品は二部までの力量で最低でも五部まで続くと信じていた。ひどく裏切られ
どうでもいいことかもだけど。"Flavor Of Life"という変な英語がネイティブにどう響くのか。ヒッキーの場合、ネイティブの語感があってわざとやっているのだろうけど。 Matter of Lifeではないけど、命に関わる、とか、余命とか、生存、とかいう感じ、なので、生きているっていう味わい、というのが近いか。 ほいで、当然、このテーマが詩で日本語に展開されるのだが、該当するのは、たぶん、 忘れかけてた人の香りを 突然思い出す頃 降り積もる雪の白さをもっと 素直に喜びたいよ つうわけで、"Flavor Of Life"というのは、かなりたぶん、「人の香り」なんだろう。 で、「人の香り」ってなにか? まあ、こりゃ野暮の領域になってくるわけだが。 ここで、それがなぜ雪の白さと結びつくのか? またも野暮なんだが、「降り積もる雪の白さ」を喜べない「私」というのがある。そしてそうした「私」を告知
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石川雅之『もやしもん』 短い期間だったが、大学に入ってすぐにぼくは自治寮で暮らした。 部屋がまだ割り振れぬというので、大部屋で雑魚寝をさせられていると、夜中いきなり上回生(上級生)が大量に入ってきて酒をのみだす。まだ入学式前、寮に来て1~2日の新入生を肴に、である。 ことし大学8回生という童顔の男が、新入生相手に大ぼらを吹き出したかと思うと、威勢のいい新入生がそれに喰ってかかる。 やがて酒に酔った寮生数人がいきなり部屋の外で「インタナショナル」を放歌しだす。 いざたたかわん いざ ふるいたて いざ ああ インタナショナル われらがもの 「俺も共産主義者なんですよ」などと、ぼくの横の見ず知らずの新入生が告白。向こう側で「おれはアナキスト」「私は民族派だ」というやつが出たかとおもえば、負けじとぼくも「俺もコミュニストです」などと修学旅行の夜ならぬバカな“告白ごっこ”を開始した。 初日の夜からこ
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171860573について、張江さんからご指摘いただいたように*1、「もはや戦後ではない」が1955年ですから、1958年は「高度経済成長前夜」というよりは高度経済成長初期といった方が妥当ですね。それから、傷痍軍人は私の子どもの頃(1970年前後)にもまだいて、上野とか成田山門前で見たことはあるけれど、傷痍軍人が消えたのが何時頃だったのかは定かではない。 さて、緒方明の『いつか読書する日』 いつか読書する日 [DVD] 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント発売日: 2006/02/24メディア: DVD購入: 1人 クリック: 52回この商品を含むブログ (70件) を見るは街を描く映画だ。勿論、中年の男女が恋愛をする映画、30年以上前に分かれたカップルが縒りを戻す映画でもあるのだが。ヒロイ
Amazon.co.jpのカスタマーレビューから、最新・注目のレビューを抽出するサービスです。 売れ筋チャートじゃ見えない、Amazonレビュアーの『声』をリアルタイムでお届けします 随時更新中RSS全文配信中!What's new もっと便利に、ブックマークレット提供中。 2007/07/25 DVD/ゲーム/ホビー/R18ナビを公開 2007/07/15 トップ画面を更新 2007/04/02 アイテム画面に関連商品、カテゴリの一覧を表示しました。- (詳細) 2007/03/25 新着/人気アイテムの一覧表示、RSS配信に対応しました- (詳細) 2007/03/21 レビューラインが週刊アスキーに掲載されました!- (詳細) 2007/03/10 検索機能を追加しました。- (詳細) 2007/02/20 商品レビューRSS取得ブックマークレットを提供開始。 2007/02/20
野里征彦さんの『カシオペアの風』を読みました。上野公園のテントの布をたたく雨粒の音で目を覚ました杉崎信博は野宿を始めたばかりの元証券ディーラー。同僚と設立した会社がバブル崩壊とともに立ち行かなくなり、借金に押しつぶされ、五十代半ばでホームレスになります。公園にはさまざまな人たちが暮らしています。元中学校教師。詩を愛する口べたな若者。一攫千金を夢見て宝くじにすべてをつぎ込んでしまう男。火事で家族を一瞬にして失ってしまい、それ以来、屋根の下では眠ることができなくなった男。夫に内緒でサラ金から借りた金が返せなくなって家に帰れない女。彼らの間を、ゆっくりと流れる時のように物語は進んでいきます。 ある日の明け方、杉崎は故郷の夢を見ます。彼に故郷を思い出させたのは、彼が敷いていた段ボールに残っているりんごの匂い。彼の故郷岩手から出荷されたその箱には「カシオペアの風おくります」と印刷してありました。懐か
とある郵便局にエアガンを持って押し入ったが、結局、金は奪えず、そのまま逃走して捕まった男性。東京地裁でおこなわれた、その裁判。森は傍聴席にいる。刑務官に手錠をつけられ、腰縄を巻かれた男性を見ながら、森は想像する。男性の表情は、ふしぎにおだやかである。彼はこれまでどんな人生を送ってきたのだろうとかんがえる。そしてこう書く。 「彼が生まれてきたときは、まだ若い父と母はどれほどに喜んだのだろう。幼稚園には行ったのだろうか。初恋はいつだろう。ラブレターは書いたのだろうか。部活は何をやっていたのかな。成績はまあまあのはずだ(根拠はないけれど)。どんな未来を思い描いていたのだろう。どんな大人になろうと考えていたのだろう」 酒を飲みながら読んでいたせいもあったが、このくだりですこし泣きそうになった。誰にだって生活がある。家族があって、日々の営みがある。たとえ郵便局へ強盗に入った男であっても同じだ。生まれ
映画『かもめ食堂』の予告編をたまたま見たところ、舞台がフィンランドのヘルシンキだとわかって、俄然興味が湧いてきた。早速DVDをレンタルして見てみたのだが、淡々とした人と人との距離感をベースに、乾いたユーモアとペーソスを静かに織り込んだ作品で、なかなかよかった。一人でフィンランドに渡り、「かもめ食堂」を始めたサチエ(小林聡美)は、開店一ヶ月もの間、客が一人も入らないにもかかわらず、滅入る様子もなく、淡々とマイペースで生きているようにみえる。時々通りすがりの主婦たちが立ち止まって、ガラス越しに店の中を覗きながら、サチエのことを「あれは子どもかしら」などと噂しているのが、何か「万国共通の光景」のようで面白い。彼女たちは妙な外国人が始めた店に不審感と好奇心がない交ぜになった気持ちを隠せないのだが、入ってみる具体的なきっかけがまだ掴めないのだろう。やがて日本のアニメおたくの青年トンミが初めてこの店に
印象:「ウェブ人間論」 徳光和夫と江川卓が「プロ野球」を語っている日テレの番組みたいな感じがする。 ウェブ人間論posted with amazlet on 06.12.27梅田 望夫 平野 啓一郎 新潮社 売り上げランキング: 72 Amazon.co.jp で詳細を見る 年齢でいえば徳光=梅田/江川=平野という配置になるけど、その道の専門家である江川=梅田/外野視点から主観全開で語る徳光=平野という見方もできる。どちらかといえば後者の方がしっくり……ていうかどっちでもいい。 どちらにしても、彼らの発言は個人の立ち位置・経験に基づいたものであって客観的なデータなどはほとんど参照されず(対談集なのだから別に悪いことではないが)、そして、「プロ野球」全体を語っているはずなのに巨人を中心にしすぎる感じだ。 見ているこっちにはこっちの「プロ野球」観があるので、なんか立ち居地や議論の枠組みに違和感
最初に断っておく。先日出版記念パーティーにお誘いを受けた。久しぶりにお話しがしたい知り合いからのお誘いでもあったので、忘年会も兼ねてと思い、ひょいひょいと顔を出した。上はMSKKの古川さんから、下は僕のような舌禍ブロガーまで、ものすごいレンジの人が集まっていた。参加者が20~30代の男性ギークだらけだった梅田さんの『ウェブ進化論』の出版記念オフ会と比べて、渡辺さんのお客さんは幅が広いなあと感じた。 で、本を受け取って渡辺さんにお祝いのごあいさつをしに行ったら、サンタ帽子をかぶったちょうかわいい渡辺千賀さんに「ここに来たからには5冊以上買うこと!」と笑顔で脅迫された。出版記念パーティーの席上で、サンタコスプレした著者が列席者に向かって「献本もらったんだからブログで紹介し、さらに1人5冊ずつ買え」とか脅すのを見たのは初めてだ。サンタにあるまじき所業。シリコンバレーのサンタっちゃ、えずか(恐ろし
対談書「ウェブ人間論」は、表題の類似性から「ウェブ進化論」の続編として読まれるかもしれない。確かにそうした文脈もあり、特に「第三章 本、iPod、グーグル、ユーチューブ」に詳しい話が展開されている。いわゆるネット業界的にはこの三章の情報が有益だろうし、出版界にとっても非常にわかりやすく示唆的な内容に富んでいる。 単純な話、未来の書籍はどうなるのか。平野啓一郎はある危機感を感じているがこれは現在出版に関わる人にとって共感されることだろう。これに対して梅田望夫は大きな変化はないだろうとしている。 文学者と情報技術の先端にいるコンサルタントとの、時代の変化に対する嗅覚の差もあるが、ここで梅田の判断の軸になっているのは「情報の構造化」という考え方だ。確かにネットには多くの情報がある。だがそれは構造化されていない。梅田の著作に表現されているアイデアの大半はすでにネットで公開されているが、それらは書籍
■ 俺とデジタル放送 2003年12月から始まった 地上デジタル放送 。そして2006年4月から始まった ワンセグ放送 。この両方に対してモヤモヤした思いをしていた俺は、ソレ関連の俺的初のハードウェアとなるバッファローDH-ONE/U2、通称“ ちょいテレ ”を購入した。 バッファローのUSBワンセグチューナー“ちょいテレ”ことDH-ONE/U2のパッケージと本体。ウィンドウズPCでワンセグを視聴するために必要なものがひと揃いになっている。実勢価格は1万円程度 ところで、イロイロと思うんですよ、個人的に。例えば、現行のフツーのテレビ放送こと“アナログ放送”は、本当に2011年の7月24日までに終了(停波)するのか!? テレビでは「2011年に地デジになります」とか「法令により地デジに」とか言ってはいる。が、アナログ放送とデジタル放送の違い、広く報じられているんだろーか? 女子アナだとかデジ
先月16日(月)に大阪・ナンバまで「ガンダム講談」を見に行ってきた。 僕が落語をやろうと思ったときに、まず最初に思ったのは「ガンダム落語は可能か?」ということだ。たぶん先達も多くいるだろうはずけど、いまだに「これが面白い!」という噂は聞かない。 落語家でガンダムやウルトラマンやガメラが好きな人もいるけど、そういう人の「好き」という気持ちが、その人の落語に面白く反映されているかもよくわかんない。 すっごく面白いオタク落語があれば、噂ぐらい聞こえてくると思うんだけど、少なくとも僕は今まで「面白いオタク系古典芸能」は知らなかった。 僕が「落語をやろう」と決意したときに、「ではいずれ、僕はガンダム落語をやるのか?」と自問自答し、その疑問に答えるべくネットをいろいろ探して見つけたのが、講談師の極堂南半球氏だ。 http://www.kcc.zaq.ne.jp/hankyu/ 見てみたい。 素直にそう
この長いテキストについて、すべてを論じるのには時間がかかるし、それなりの準備も必要になるため、今回は、ひとつだけ要点をぬきだして書いてみたいです。それは、「全体主義は大衆運動であり」「指導者たちは、プロパガンダによって人為的に作られたとは言えない本物の人気を享受していた」ことについてである。わたしがこのテキストでいちばん恐怖をかんじたことは、やはりこの点だった。ヒットラーも、スターリンも、大衆の熱狂的な支持をえて、また、きわめて民主主義的な手続きのもとに、政権を成立させている*1。まさに市井の人々にこそ、つよく支持されていたわけである。やばいよなあ。全体主義運動という問題の根が深いのは、それが国民の総意にもとづいて始動していることにある。 「権力は下からくる」といったのは、ミシェル・フーコーだ。この場合の「下」を、大衆や世論、同調圧力といいかえてもかまわないだろう。日本においても、たとえば
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